しゃべるっきずむ!<番外編>映画『顔 -かお-』のラストから始まる、ルッキズム社会への考察
容姿で人を判断したり、揶揄したりする「ルッキズム(外見至上主義)」。言葉の認知が進む一方で、まだまだ理解されていない概念でもあります。「ルッキズムってなんなの?」「これもルッキズム?」など、まずはいろいろしゃべってみよう!自身もルッキズムに苦しめられた経験を持ち、Yoga Journal Onlineで「ルッキズムひとり語り」を執筆する前川裕奈さんとゲストが語り合う連載が「しゃべるっきずむ!」です。
今回は番外編として、2026年8月28日に公開された映画『顔 -かお-』をご紹介します。『新感染 ファイナル・エクスプレス』で一躍脚光を浴びたヨン・サンホ監督の最新作は、「その顔は、他言厳禁……」というコピーとともに、ある顔にまつわる秘密を追いかけていくサスペンス・ミステリー。ルッキズムが激化していると言われる韓国で生まれた本作を観て感じたことを、「しゃべるっきずむ!」の語り手、前川さんに聞きました。
『顔 -かお-』のあらすじ:
盲目の篆刻家として名を馳せるイム・ヨンギュ。息子のドンファンは、偉大な父を尊敬し、その仕事を支えてきた。ある日、40年前に突然姿を消した母ヨンヒの白骨遺体が発見されたとの知らせが届く。母はなぜ消え、誰に殺されたのか。ドンファンはドキュメンタリー番組のプロデューサー、スジンとともに母の過去をたどり始める。そこで明らかになるのは、かつて「顔が醜い」と周囲から蔑まれていた母の壮絶な人生と、父・ヨンギュとの知られざる過去。そして、40年前の事件に隠された驚くべき真実とは――。
※本記事には映画の内容に関するネタバレを含みます。未鑑賞の方は、鑑賞後にお読みいただくことをおすすめします。
観る人によって、感想が分かれる?

——まず始めに、『顔 -かお-』を鑑賞されていかがでしたか?
父ヨンギュの若かりし頃と息子のドンファンを、パク・ジョンミンさんが一人二役で演じていたのが素晴らしかったですよね。最初は息子役だけだと思っていたので、回想シーンで父役として出てきたのには驚きました。また、映画全体の作りとしても、私は過激なエンタメも好きなので、ぼやかさずに容赦ないシーンもあったのがよかったです。
——結構、暴力や怒声のようなものもあって、観ていてつらくなる場面もありましたね。たしかに引き込まれました。
それから、やっぱりラストが……! 観る前から「エンディングは絶対に言わないでください」と言われていたので、やっぱり最後が気になって集中して観ました。映像的にもずっと母ヨンヒの顔が隠されていたので、どんな顔なのかなと。あれは、誰かと話したくなりますよね。
——今回、しゃべるっきずむ!の編集部も映画を観たので、感想がとても盛り上がりましたね。記事を作るにあたっても、やっぱりラストを書かずにはいられない、という結論になりました。
観る人によって意見が分かれる映画だと思うし、観終わった後にこそ誰かと話したくなる。ルッキズムについて“話す”ことを大切にしてきた「しゃべるっきずむ!」だからこそ、ラストも含めて読者のみなさんと共有したいなと思います。まず映画を観て、ラストをご自身で確認してから、この記事を読んでいろいろ考えてみてほしいですね。
実際の「醜さ」ではなく虚像

——早速ラストの話に進みますが、前川さんは母ヨンヒの実際の顔写真が出てきたときに、どのように感じましたか?私は、散々「醜い」と言われていたのに、想像の顔とは違った!と驚いたのですが……。
私は最初から、おそらく周りが言葉で言うほど「醜い」ではないんだろうなと思ってました。。というのも、私が著書『そのカワイイは誰のため?ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』を書いたときの体験とすごくリンクする部分があって。
——どんな部分でしょう?
私がルッキズムの呪いにかかった理由の一つに、小学校5年生の頃に「デブ」という言葉が入ったあだ名がついたことがあります。その経験を語る中で、著書でも取材でも「当時の写真を掲載させてほしい」と言われて、改めて写真を見返したことがあったんです。私自身もあだ名をキッカケに「自分は太っているんだ」と刷り込まれた記憶があるため、当時はすごく太っていたんだろうな、と。自分の中で見返したくない記憶だったので、20年近く写真などは見てなかったんです。
ところが、20年ぶりに見てみると、写真に写っている自分は脳内で思い描いていた体型よりははるかに標準体型寄りだったんですね。確かに華奢ではないものの、あの写真だけを見たら「なんであんなにデブって言われてたんだ?」とすら思ってしまった。
——実際には太っていたわけじゃないのに、あだ名がついたことで、自分自身にもそういうイメージがついてしまった……?
そう、華奢ではなくても「デブ」と周りに言われたことで、そのイメージが肥大化して脳内に定着したというか。なので、今回の映画でも、ずっと「母ヨンヒは醜かったのか、美しかったのか」という部分に焦点が当てられていますが、実際にどんな顔かが問題ではなく、周りが「醜い」と刷り込みで言い続けたことで、虚像を作り出してきたという部分がまったく同じだなと感じました。だから、なんとなくエンディングに出てくる顔はそこまで衝撃的なものではないんだろうなと思ってましたし、「醜い」と私は感じなかった。
——映画の最後に出てきた顔を見て、観客の中には、自分が心の中で描いていた「醜い顔」を突きつけられた人も多かったのではないかと思います。
「化け物」「便所紙」など、周りが散々言っているから、観客もイメージがどんどん作り出されていきますよね。私が「デブスパッツ」と言われて自分に自信を失ったように、ヨンヒも醜いというレッテルを貼られて顔以外の言動などに影響した部分もあるかもしれません。実際に、丸まった姿勢や動作なども自信がない感じになっていたし。それがさらに造形とは別で「負のオーラ」を加速させてしまっていたのかな、とも。
——あの最後の写真を見て、私たちは「醜くないじゃん」と思いましたが、人によっては「やっぱり醜い顔だったんだ」と思う人もいるのかもしれませんね。
映画を観終わった後に、一緒に観た人と「あの顔、どう思った?」と話すだけでいろいろ違いが出るかもしれないですね。
見えなくても、ルッキズムは起こる
——視覚障害がありながら「世界一美しい印鑑」を作るヨンギュは、目が見えないけれど「美しさ」に固執している、というシーンもありましたよね。この社会で「美」がどう定義されるのかは、目に見える/見えないだけではないんだなと感じました。
私がこの映画を観ながら、もう一つ思い出していたのが、過去にコラムにも書いた漫画『フォルトゥーナ(神羊弱虫 作・小学館)』でした。
この漫画は『顔 -かお-』と男女が逆で、「バケモノ」と呼ばれて蔑まれてきたフォルトゥーナと、盲目の少女コレーの物語です。彼らはカップルとして描かれていたわけではありませんが、容姿の美醜にとらわれてきた者と、視覚障害によってその壁がなくなる者という関係性がすごく似ているなと思ったんです。
ただ、この2作、結末は真逆に向かっていきます。『フォルトゥーナ』では、容姿にとらわれずに接してくれたコレーの存在が、フォルトゥーナ自身を変えてくれるんです。でも、『顔 -かお- 』では、ヨンギュ自身がすごく美醜にとらわれていますよね。
——友人から「あなたの妻は醜い」と教えられた瞬間、ヨンギュはかなり落ち込んで「目が見えないからってバカにされたんだ」と憤りますよね。
そこがフォルトゥーナと違いますね。きっとコレーだったら「だから何?私は彼がどんな容姿でも関係ないよ」って言うと思うんです。でも、ヨンギュは「それでも僕は彼女を愛してるから」とは言えなかった。似たような設定の作品にも関わらず、エンディングに向かっての乖離がすごいな……と思いました。

——最初に結婚を急いだのも、周りの男性に「美人を逃すなよ」と、そそのかされたのが理由でしたもんね。その時点で、彼自身には見えていなくても、すでに「容姿」が基準になっていたのかも。
目が見えない彼にご飯を差し入れてくれて、一番対等に扱ってくれていたのは彼女だったのに……。
——この部分は、男性社会のなかで妻や彼女などをトロフィー的に扱う空気があると感じました。同性の友人から羨ましがられるため、男社会のなかで一目置かれるため、といったものに女性の美が利用されてきたのではないかな、と。
私も、そもそも彼自身が視覚障害者として蔑まれてきて、それを見返すためのトロフィーとして“美人な妻”が必要だったんだと感じましたね。自分がバカにされたことに気づいて憤るのはいいと思うんですけど、その先に「でもいいんだ」と思ってほしかったなあ、と思います。でも、そう言えるほどの関係性が、彼らの間で作られていく描写もありませんでしたね。
この映画を、日本社会はどう受け取るのだろうか
——本作に込めたメッセージとして、ヨン・サンホ監督は「私たちが重要視している『成功への欲望』や『劣等感』が、結果として私たちから何か大事なものを失わせてしまったのではないか」と伝えています。まさにルッキズムにも通ずるテーマかなと思いますが、全面的に「顔・容姿」をテーマにした映画が出たことを、どう捉えていますか?
韓国は、世界的にもかなりルッキズムのある国なので、エンタメにおいても取り上げてきた作品が多い印象がありますね。整形をテーマにしたサイコホラー映画『整形水』や、ビジュアルを変えられる能力を持った主人公の人生が変わっていくWEB漫画『外見至上主義』、顔面を隠した配信者が主人公のドラマ『マスクガール』も韓国でした。
——日本よりもルッキズム問題自体が先を行く韓国だからこそ、こういったエンタメのテーマにもなりやすい、と。
そうですね。日本でも整形をテーマにした『ヘルタースケルター』もありましたし、つい最近も、ドラマ『ダウンタイム』が話題になっています。今後、日本でもルッキズムが加速するにつれて、こういったテーマの作品は増えてくるかもしれませんね。ただ一方で、現時点ではルッキズムをテーマにした作品を、どれだけの人がしっかりと受け取れるのかなというのは、少し心配です。
——というと?
以前、SNSでルッキズムについて発信した際に「外見至上主義」というタグを使ったら、先ほどのマンガに関するコメントばかりが集まってきて。実際のルッキズムと関係のあるものではなく、マンガのキャラクターやセリフに関するものばかりでした。私は社会問題としてのルッキズムについて話したかったですし、実際の作品にもそういった側面もあるなかで、視聴者の受け取り方の浅さを感じてしまったんです。
——エンタメから、実際の社会で起きているルッキズムに目を向けるのではなく、本当にただの娯楽として消費してしまっているような。
もちろんエンタメなので、そういう楽しみ方をしてもいいとは思うのですが、まだまだルッキズムを真剣に話せる人が少ないのかなと感じました。『顔 -かお-』も、韓国でどのような反応が起きているのかはわかりませんが、日本ではまだ、ここから議論につながることは少ないのかもしれません。
——日本ではまだ「ルッキズム」という言葉自体が、浸透し始めたフェーズという気がします。この映画を観て、「あれどう思った?」「あの顔ってさ」という会話が始まると、少しずつ自分事になっていくのかなと思いました。
母ヨンヒの顔を最後まで見せないというミステリー的な手法があったことによって、より最後には「誰かと話したい」という気持ちが高まったように思います。最初から顔が出ていたら、それが美人であっても「まあ映画だから“ブスの設定”だよね」みたいな見方をされて、こんなに衝撃はなかったかも。ぜひ、最後まで観て、いろんな人とおしゃべりしてほしいなと思います。

作品情報

顔 -かお-
2025 韓国 原題:얼굴 103分
監督:ヨン・サンホ
出演:パク・ジョンミン クォン・ヘヒョ シン・ヒョンビン イム・ソンジェ ハン・ジヒョン
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