恋人は好みのタイプで選びがち?桃山商事・清田さんと考える恋愛とルッキズム #しゃべるっきずむ!
容姿で人を判断したり、揶揄したりする「ルッキズム(外見至上主義)」。言葉の認知が進む一方で、まだまだ理解されていないルッキズムについて、おしゃべりしてみよう!自身もルッキズムに苦しめられた経験を持ち、Yoga Journal Onlineで「ルッキズムひとり語り」を執筆する前川裕奈さんとゲストが語り合う連載が「しゃべるっきずむ!」です。
第14回目は、文筆家で「桃山商事」代表の清田隆之さんをゲストにお迎えしました。恋愛相談から広がって世の中のジェンダー問題や男らしさについて考え続ける清田さんと、改めてルッキズムについておしゃべりしました。初回は、男子校での力関係や恋愛における容姿のお話です。
男子校でのルッキズムは、内容よりもポジション
——清田さんは中高6年間、男子校に通われていたとのことですが、ルッキズムしていた・されていたというご経験はありますか?
清田:当時はルッキズムなんて言葉も知らなかったですし、「容姿でジャッジしてはいけない」みたいな感覚も全然なかったので……今振り返ると、悪気なく人の見た目についていじったりからかったりすることも正直ありました。
前川:「ルッキズム」の考え方や言葉が日本に浸透し始めたのは、本当にここ数年の間という感覚ですよね。清田さんご自身が、ルッキズムに晒されるようなご経験は……?
清田:個人的にはいろいろありました。髪型とか身長とか服装とか……。ただ、社会全体で見れば女性にかかる圧力のほうが圧倒的に強いことを思うと、自分がさらされていたルッキズムの程度は大したことなかったのかも、とも思います。

前川:人によって強弱はありますよね。同じ発言をされてまったく悩まない人もいれば、それをきっかけに病的に気にする人もいます。私の友人にも、身長をいじられて嫌な思いをしている男性もいれば、特になにも感じない人もいますし。
清田:男子校にもルッキズム自体は確かにありました。ただ、人間関係の序列(ヒエラルキー)を決める要素が「外見」以外にもたくさんあって、例えば性格が明るいとか喧嘩が強いとか……。
前川: “運動できる”とか、“おもしろい”とか。
清田:ですです。そういういくつかの要素の掛け合わせで、ポジションが決まっていくところがあった。だから外見の問題に関しては、「優位なポジションにいる人がそうでない人をいじる」みたいな権力構造があって。いじられる側に位置づけられた人は、デカけりゃデカさをいじられ、小さいなら小ささをいじられ……。ニキビ、天然パーマ、服がダサいとかなんでも。中にはイケメンであることを馬鹿にされてるやつもいたんですよ。
前川:時々耳にする、いわゆる「残念なイケメン」的な。
清田:そうそう。背も高くてかっこいいんだけど、サッカー部でちょっとポンコツ扱いされて、「おい、イケメン」「イケメンなのにミスすんな!」とか言われて。
前川:顔の特徴を悪い意味でネタにしているという点では、立派なルッキズムですよね。
清田:確かに見た目も1つの要素ではあるけど、男子校の場合は様々な要素で力関係が決まっていた気がするんですよね。そこでは「ポジションが低い=いじられる側になる」という暗黙の構図があったため、みんなそうならないよう必死だったように思います。
前川:女子の場合は、学校内でのヒエラルキーを作り出す要素として容姿の比重が大きい気がします。それは大人の世界でも続いている気がして。一概には言えませんが、女性の価値が見た目に紐づけられることが多いのに対して、男性は性格や収入などさまざまな他の要素が「武器」になると思います。
清田:そういう意味では、社会に流通するジェンダー規範がそのまま若者たちの世界に浸透していってる感じですよね。
前川:10代の頃から出来上がってる部分はあるかもしれないです。
恋愛におけるルッキズムは、“しょうがない”のか
前川:私は、中高6年間女子高だったんです。「あの子細いよね」など女子同士でのルッキズムは多少はありましたが、私の学校では男性の品定めやビジュアルの話ってそこまでなかったんです。だから大学生で共学になったとき、急に「異性からどう見られるか」という視点が加わって、すごく新鮮だったんですよね。清田さんは、大学生になって異性の存在が入ってきて、女性に対する見方とか声のかけ方は変わりましたか?
清田:当時は女子という存在がファンタジーだったので、どう接していいか、なんかもう全然わからなかったんですよね。

前川:当時はまだ、フェミニズムの考え方を知る前ですよね。
清田:ジェンダーのジェの字も知りませんでした。とにかく女子を外見でしか判断できないから「女友達」という存在がなかなかできなかったし、高校3年生のときにできた初めての恋人も、「見た目に惹かれた」みたいなところが正直あって。それを周りの友達にも自慢してて、嫌な感じだっただろうな……。
前川:ああ、でもわかります。10〜20代はまだ人生をともにするパートナーという考えがあまりなかったんだろうなと思います。一方で、いくら年齢を重ねたとしても、やっぱり恋愛においてビジュアルというか、「自分の好み」みたいな感受性の部分を無視することはできないとも思うんですよね。「容姿で一切判断していません」と言い切るのは案外難しいんじゃないかなと。一旦、それが良いか悪いかは別として。
清田:「見た目じゃないよ」と言うと綺麗事っぽいけど、「ビジュ次第でしょ」みたいな開き直るのもあれだし……本当に難しい問題ですよね。
「好みのタイプ」で選ぶのはルッキズム?
清田:桃山商事で見聞きしてきた恋愛相談のなかにも、外見にまつわる悩みは多くありました。例えば、「外見に自信がない」「こんなコンプレックスがあるんです」といったお悩みに対して、「人は外見じゃないですよ!」なんて言ってもあまり響かない。もちろんルッキズムに囚われず、自分らしさを大事にできたほうがいいとは思うんですけど……。
前川:いわゆる「そのままの自分でどう幸せに生きるか」という。
清田:当人にとっては人生のなかで何万時間も悩んできたであろう問題なので、やっぱり簡単に結論づけることはできない。一方で、SNSなどには「内面は目に見えない」「外見を磨いたほうが早い」みたいなメッセージが根強く存在していますよね。「痩せたらうまくいった!」「整形で人生変わった!」といった事例を発信するインフルエンサーも多く、「コミュ力よりビジュアル磨け」みたいな風潮とどう向き合ったらいいのかは悩ましい問題です。ルッキズムを視界の外には置けないけど、あるもの前提で受け入れてしまうのもどうなんだろう……みたいな。

前川:もちろん容姿以外の性格、価値観、笑いのツボなど……本当にいろいろな要素が合致して人は恋に落ちるんだと思います。ただ、やっぱり好みのビジュアルだと恋愛に発展しやすいことが多い。そうすると短絡的に「ビジュ磨け」になる人たちの気持ちもわかります。ただ、繰り返しますが、それを相手や他人に押し付けたり、「こういうビジュになってくれたらもっと好きなのに」と言葉にしてしまったりするのはナンセンスです。
清田:人の魅力は多様だし、パートナー選びにおいても価値観や感覚など、いろんな要素が大事になってくると思うんですよ。それは本当にそう思うんだけど、「なんだかんだ言って結局は見た目でしょ?」みたいな言説は根強くあるし、そのほうが本音を言ってるように聞こえる部分もあるじゃないですか。前川さんが言ってた「好み」にしても、どこまで行っても付きまとってくる問題のような気がします。
昔、当時お付き合いしていた人を妹に紹介したとき、「お兄ちゃんが好きそうなタイプだね」って言われたんですよ。失礼なやつだなと思う一方、妙にドキッとする指摘でもあって。つまり、自分としては価値観や人間性も含めて惹かれていると思っているけど、俯瞰して見たら「結局は顔の好みで選んでるじゃないか」と言われたような気がして、本当に嫌なこと言うなあって……。
前川:ああ、それは嫌かもしれない。私は逆に、自分の好みと逆のタイプの人と付き合うことも過去には多かったんですよ。苦手な見た目とまではいかないですけど、私の「好み」とは違う感じ。そうすると、周りから突っ込まれて「だって性格で選んでるからね!」というやりとりに、多少なりとも快感を覚えていた自分も正直いたんです。でも、「ほら私はビジュで選んでない」と思っている時点で、やっぱり囚われているじゃん……とも思います。
清田:いや、考え出すとめちゃくちゃ難しいなルッキズム……。

個人と社会の境界線があいまいな社会で
前川:私としては、やっぱり“言葉にして外に出す”ことが危険かなと。「これがかっこいい/かわいい」と公の場で飛び交うほどに、世の中の美の定義がどんどん確立されてしまうから。好みは持ちつつ、自分の中に秘めとくのがいいのかなっていうところに最近着地しつつあります。
清田:「個人」としてはどう思っても自由だけど、それを外に出すと「社会」の問題になってきますもんね。画一的なイメージを作るのも、容姿に言及するのも、ジャッジするのもNG。容姿で採用などの不利益を被るなんてもってのほか!みたいな社会になることが、本当は理想だとは思いつつ……今の社会って、そのあたりの境界線がすごく曖昧じゃないですか。
例えば就活の面接官だって、「うちは外見を重視します」なんて絶対に言わないでしょう。でも、「清潔感や身だしなみ」みたいな“能力”に言い換えてビジュアルをジャッジしている可能性は否定できない。
前川:たしかに。個人の価値観を明確に数字で表せるわけじゃないですしね。とはいえ、「ビジュアルで採用していない」と証明するのは“悪魔の証明”的な難しさがあって、逆張り的に「プラスサイズの子だけ集めました」みたいな形にすると、その行為自体がすでにルッキズムであるという……。
清田:そうですよね。集められた理由がなんとなく透けて見えちゃった時点で「結局そこか……」ってなっちゃいますよね。以前、まさにそういった問題にモヤついていた女性の話を聞いたことがあって、「私はダイバーシティ要員なんだろうな」って嘆いていました。
前川:逆の意味で、見た目で採用しているという矛盾。
清田:まずは「個人」と「社会」を分けて考えて、社会としてはルッキズムのない世界を目指していくべきだと思うんですけど、なんなんだろう、「ルッキズムはダメですよ」「私はルッキズムに囚われてませんよ」と言えば言うほど、薄っぺらい理想論や嘘くさい正論に聞こえてしまうこの感じ……。
*次回、飲み会やSNSで「ルッキズムやめろよ」と声をあげるのって、本当は自分のためなのかも……? 2本目「SNSや飲み会の日常のなかで、正解のないルッキズムを考え続ける」は、こちらから。
清田隆之さん
文筆業、桃山商事代表。早稲田大学第一文学部卒業。ジェンダー、恋愛、人間関係、カルチャーなどをテーマに様々な媒体で執筆。朝日新聞beの人生相談「悩みのるつぼ」では回答者を務める。著書に『よかれと思ってやったのに』『さよなら、俺たち』『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』『戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえ』など。女子美術大学非常勤講師。Podcast番組「桃山商事」も定期配信中。
前川裕奈さん
慶應義塾大学法学部卒。民間企業に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にセルフラブをテーマとした、フィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業し代表に就任。ブランドを通して、日本のルッキズム問題を発信。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、「ジェンダー」「ルッキズム」などについて企業や学校などで講演を行う。著書に『そのカワイイは誰のため?ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』(イカロス出版)。yoga jouranal onlineコラム「ルッキズムひとり語り」。- SHARE:
- X(旧twitter)
- LINE
- noteで書く









