〈しゃべるっきずむ!番外編〉 「ルッキズム」の線引きはどこからどこまで?
容姿で人を判断したり、揶揄したりする「ルッキズム(外見至上主義)」。言葉が知られる一方で、まだまだ理解されていない概念でもあります。「ルッキズムってなんなの?」「これもルッキズム?」など、まずはいろいろしゃべってみよう!自身もルッキズムに苦しめられた経験を持ち、Yoga Journal Onlineでも「ルッキズムひとり語り」を執筆する前川裕奈さんとゲストが語り合う連載「しゃべるっきずむ!」です。 今回は、ゲストとして前川さんの友人の男性に来ていただき、「どこからがルッキズムなの?」をぶっちゃけトーク。普段からなんでも話せる間柄とのことで、対談でも直球なやりとりが印象的でした。
「イケメンはいいね」は嬉しくはない
裕奈:私が著書の『そのカワイイは誰のため?』を書いてたときに、ヨルに「褒め言葉でも言われて嫌だったことある?」と参考までに聞いたんだよね。そうしたら「イケメン」と返ってきたのをすごく覚えていて、今回それを思い出して「しゃべるっきずむ!」に来てほしいと思ったんだよ。
ヨル:そんなこと言ったかな(笑)。たしかに、「顔で勝負しているわけじゃないのに」と、あまりいい気分ではないかもしれない。
裕奈:ヨルは、学生時代からモテていたと言っていたよね。外見に対するコンプレックスみたいなものは全然なかったの?
ヨル:めっちゃあったよ!小学校くらいの頃は本当に自分が嫌で。世界中の人の顔が入れ替わるルーレットがあったら回したいと考えるほどには、自分が嫌いだった。
裕奈:ええ!想像がつかない!もっと詳しく聞かせて。
ヨル:うーん。子どもだけの狭い世界のなかで否定されたとき、「自分の見た目のせいなんじゃないか」と考えちゃったのかもしれない。
裕奈:確かに子どもの頃って、経験値も少ないから「容姿」が判断軸のひとつになりやすいよね。私自身も小学校5年生で容姿を揶揄されて、自分の世界が広がるまでは苦しんだからめっちゃわかる。
ヨル:そうなんだよね。俺も大人になって、自分をトータルで認めてくれる人がいると自信がついてから気にならなくなった。だから自分としては、顔や体型だけじゃなくて他にもいろいろ総合的に気を遣って今の自分があると思っているんだよね。それを単純に「イケメンだからいいよね」と言われると、少し違和感を覚えることがあるんだと思う。
裕奈:確かに、ヨルと話しているとすごく思慮深いし、いろいろなことを自分の糧にしていると思う。それを「イケメン」で片付けられるのは嫌かもね。
見た目に気を遣うのは、人と話したいから
ヨル:服装や髪型も流行に合わせてアップデートしているし、表情の作り方、周りを巻き込むコミュニケーション力も、すごく研究してきたと思う。相手が話しかけやすい格好をしていくとか、見た目への気遣いは結構しているかな。裕奈との会話のきっかけも、着ていたTシャツだったよね。
裕奈:ヨルが漫画のTシャツを着てたんだよね。たしかに、私自身も、漫画やアニメのシャツを着ることが多くて、それはもちろんキャラと一心同体になりたい気持ちもありつつ(笑)、やっぱり自分が取っ付きにくい見た目だってわかっているから。TPOを守りつつ、少し砕けたTシャツを着ることで話しやすくなるかもって考えてる。
ヨル:昔からなんだけど、俺は「話せない人」ができるのが嫌なんだよね。
裕奈:どういうこと?
ヨル:それこそルッキズムなのかもしれないけど、話す前に見た目で弾かれたくないっていうか……。音楽業界の仕事で若いアーティストと話すときは、同じようなテンションで話してもらえるように見た目も寄せていく。自分が話せる人の幅を広げるために、見た目に気を遣ってる感じ。
裕奈:以前、ヨルが金髪にした時も「派手な人が多い業界なのに金髪は案外少ないから、覚えてもらえる」みたいなことも言ってたよね。私もスリランカで起業したときは、 東洋人の女性は割と若く見られたり、舐められがちだから、黒髪を掻き上げて、濃いメイクにしてた。でも、日本に帰ってくると、逆にそのビジュアルだとうまくいかないことが多くて。今度は「怖い」「圧がある」とうまく会社が回せないから、私自身も「話を聞いてもらうため」に自分の見た目をアップデートしたところはあるよ。もちろん自分が良いなと思う範疇で。そうすると、確かに相手の反応は変わった。
ヨル:そう、単純に「モテたい」とかではなくて、みんなに「話しかけやすい」と思ってほしいんだよね。これもルッキズムになっちゃうのかな。
裕奈:それがルッキズムかどうか、簡単に答えは出せないけど、それが「自分が心地よい範囲での変化なのか」は大事かもしれない。
好きな人の好みに、ビジュアルを寄せる?
裕奈:恋愛面においても、例えば、好きな人に「ショートカット好きなんだよね」と言われたら、ショートにしようかなと思う人も多いよね。ヨルは、好きな女の子の好みに寄せにいく?
ヨル:恋愛に関しては、一切寄せないね。
裕奈:でしょうね(笑)。逆に、彼女が好みに合わせて変わってくれたら嬉しい?
ヨル:うーん、どっちでもいい……。見た目で判断しないし。
裕奈:まあ「相手の好みに合わせる」といっても濃淡があるよね。「髪の毛を三つ編みにしている子が好み」と言う人と会うときに髪を編むのと、「細い子が好き」と言う人のために10キロ減量するのでは、心身のすり減らし方が全然違う。
ヨル:すり減るほどは、自分を変えようとしないってことだよね。
裕奈:そう。好きな人にかわいい・かっこいいと思ってもらいたい気持ちは悪くないけれど、自分を傷つけたら、それはもう“自分のため”とは言えないと思うから。
ヨル:あー、それで思い出したけど、付き合いたいと思った子がちょっと太ってると思ったとき、本人に「痩せて」と言いづらいから「細い子が好き」と言っちゃったことある。
裕奈:え、「痩せろよ」のメッセージが隠れているってこと?それって「自分の好みに寄せて」と同義じゃない?誰かの呪いになることもあると思うよ。人によって体型の変化にかかる負荷も違うから簡単に言わないほうがいい。
ヨル:そうか……。でも、自分に負荷かかるならやらなければ良いんじゃない?
裕奈:恋してるとそうもいかなかったりするの!
「かわいい」は流動的で、どんどん変わっていくもの
裕奈:でもさ、やっぱり矛盾があると思うな(笑)。ヨルは「見た目で判断しない」と言うけどさ、もちろん性格や相性は大事だとした上で、見た目の影響はゼロではないよね。仕事の場面で見た目で不採用にするのはルッキズムだけど、恋愛においては、濃淡こそあれど容姿は関係してくることなんじゃない?好みってあるもんね?
ヨル:そうかなあ……ルッキズム難しいな。たしかに、好みじゃない見た目はある。
裕奈:私は、恋愛においては「それでいい」と思ってるんだと伝えておきたくて。「推し」とかもそうだと思うけど。この連載でも何度か話しているんだけど、私は「好みのタイプがあること」はルッキズムだとは思わない。ただ、「自分や社会の決めた基準以外を認めないこと」「誰かにそれを強制すること」がだめだと言ってるんだよね。
ヨル:「こういう子がかわいい」の基準が画一的で、そこに合わない人を「かわいくない」とするのは違うよね、と。俺は友達の幅が広くて10代から70代までと話すんだけど、その“基準”というのが、年代によって変化しているのは、すごく感じる。
裕奈:そうなんだ!
ヨル:デビュー当時の榊原郁恵が好きだった世代は、ムチムチした体型がいいと思っていたり。安室奈美恵の世代は、痩せている人が好きだったり。最近の子たちは、整形が身近になってきたから、そういう顔がかわいいと思う人も増えているみたい。
裕奈:原体験が違うから、好みも変わっていく。人が「かわいい」と思う容姿は、そのくらい流動的で、いくらでも変わっていくものだと知っててほしいね。だからこそ、そこに流されすぎずに、自分のための「かわいい」を追求してほしいな。
ヨル:そうだね。みんなの思う「かわいい」が違うからこそ、それが合う人同士で惹かれ合うのかもしれないし。無理に「みんなが決めたかわいい」に寄せていく必要はないよね。
AUTHOR
ウィルソン麻菜
「物の向こうにいる人」を伝えるライター。物の生まれた背景を伝えることが、使う人も作る人も幸せにすると信じて、作り手を中心に取材・執筆をおこなう。学生時代から国際協力に興味を持ち、サンフランシスコにて民俗学やセクシャルマイノリティについて学ぶなかで多様性について考えるようになる。現在は、アメリカ人の夫とともに2人の子どもを育てながら、「ルッキズム」「ジェンダー格差」を始めとした社会問題を次世代に残さないための発信にも取り組む。
- SHARE:
- X(旧twitter)
- LINE
- noteで書く