アイドルがルッキズムに晒されるのは“しょうがない”のか|前川裕奈さん×武田砂鉄さん(2)

アイドルがルッキズムに晒されるのは“しょうがない”のか|前川裕奈さん×武田砂鉄さん(2)
しゃべるっきずむ!

容姿で人を判断したり、揶揄したりする「ルッキズム(外見至上主義)」。言葉の認知が進む一方で、まだまだ理解されていないルッキズムについて、おしゃべりしてみよう!自身もルッキズムに苦しめられた経験を持ち、Yoga Journal Onlineで「ルッキズムひとり語り」を執筆する前川裕奈さんとゲストが語り合う連載が「しゃべるっきずむ!」です。

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第15回は、ライター・ラジオパーソナリティとして活躍する武田砂鉄さんをゲストに迎え、ルッキズムについて考えていきます。ルッキズムに声を上げるのは女性が多いのはなぜ? アイドルに「ビジュ最高」と言うのはルッキズム? などなど気になる話題が盛りだくさんの3本立てです。

そこには“関係性”があることを、忘れてはいけない

武田:前回、ルッキズムにおいて男女の文脈に差があると話しましたけど、自分の学生時代を思い返してみても、やっぱり男子は容姿のことを“キャラクター”として変化させやすかったと思うんですよね。いわゆる「かっこいいゾーン」ではないとわかった瞬間に、「おもしろいゾーン」「趣味に走っているゾーン」など、ほかの存在意義が見つけやすい。いじめなどの構造が生まれることもあるんですが、「かっこいいゾーン」にいなくても、割と息は吸えるっていうか。そこに男女差があるのではないかという考え方は、やっぱり当時は持てなかったですよね。

前川:多くはないと思いますけど、女子にもそういう“キャラクター”になる子はいましたよね。以前、男性が「同じブスでも、自分がブスだとわかっているやつは話が面白いから許せる」と言っているのに遭遇したことがあって、いやお前は誰なんだとブチギレたんですけど。

武田: 男子には多様な「かっこいいゾーン」じゃない枠が用意されていた一方、女子側に同じだけの枠が用意されていたかというと、そうではない気がします。その非対称性には、そのときはあまり気付いてなかったんですよね。「女子も同じようにやればいいじゃん」という話ではない、と。

前川:その枠に入った子たちも、本当に自分の希望で入ったかと言えば、そうじゃない子もいると思うんですよ。大人になって振り返ると、自分でも無意識のうちに実は傷つきながらそのポジションにいた、ということもあると思います。

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武田:そうですね。僕は中学時代から背が高かったんですけど 、目があんまり良くなくて。前の席にしてもらうことが多かったんですよ。それで「武田の座高が高いから黒板が見えないんですけど〜」と文句を言われると、僕はわざと背筋を伸ばしてふざける、みたいなやりとりがあったんですね。

それは「武田はそういうキャラクターだ」とみんなが把握しているからこそ、そういうやりとりが起きているわけです。でも、座高の高い子みんなに同じようにしていいかと言えば、本当はそうじゃないですよね。僕自身も「座高の高いやつが前に座ったらギャグとして消費していい」みたいなものを、生み出していたかもしれない。

前川:砂鉄さんは「座高が高い」といじられても傷つかない関係性ができていたけれど、他の人はわからないですもんね。やっぱり「こう言ったら傷つく/傷つかない」という一律のマニュアルは作れないなと思います。その個人の文脈や関係性に基づいている、というところは、大人の世界でも同じですね。

武田:そうですよね。

関係性が変われば、言葉遣いも変わる難しさ

前川:その関係性というのが、テレビの中にいる芸能人や、SNSを通じて出会う人は測りづらいというか、ぼやけてしまうとも感じています。いろいろな関係性の上でさまざまな言葉が飛び交うのも、ルッキズムを考えるときに複雑になる要因かなと思いました。

武田:著名人やインフルエンサーは、知っているような気になるけれど、実は知らない相手ですからね。僕が以前、難しさを感じていたのは、ラジオで何度も共演していた女性とのやりとり。番組としての盛り上がりを考えて突っ込んだりしていたんですが、リスナーさんから「砂鉄さんが厳しく突っ込んでいるのを聴いて、昔の嫌なことを思い出した」と言われたことがあります。言葉としてハラスメント的な発言をしたわけではないんですが、きっと言い方やシチュエーションがなにかを思い出させたのかもしれません。

前川:砂鉄さんとその女性の間ではOKな範囲でも、それを“離れた第三者に聴かせる”となると、また違う難しさがありますね。

武田:そうなんです。そのリスナーさんはこれまでのコミュニケーションを知らずに聴いたのかもしれないし、どんな届き方をしたのかもわからない。一方で、ただ丁寧なやりとりをしているだけでは、盛り上がりに欠けてしまう。ラジオに限らず、トークイベントや動画配信などでも悩ましいところですね。

前川:確かに、受け取り方はコントロールできないですし……。

武田:でも、それを拡大解釈していくと、テレビの男性司会者が女性アイドルにするツッコミやいじりなんかも、2人の間ではOKなのかもしれないじゃないですか。それとは違うと思っているけれど、似たことをやっちゃっていることになるのかな……とか。

前川:ルッキズムでも、そういうことは多いですよね。気の知れた信頼できる関係性で「太ったな」とか言い合う仲だったら、私はそれはいいんじゃない? と思うんです。ただ、それを第三者が聞いたらルッキズムだと思うでしょうし、それで傷つく人もいるかもしれない……と考え出すと、全てに注釈が必要になっちゃう。

武田:とはいえ、全部に注釈や補足をつけて「いや、彼らは中学からの同級生で……」なんて言えないわけで、難しいですよね。

前川:やっぱり、いろいろな関係性があるんだという前提を、みんなが共有していくしかない気がしますね。

グループアイドルに順位がつくって、どうなんだろう

武田:先ほど前川さんが「テレビやSNSにいる人の文脈は測りづらい」と言っていましたけど、今回の対談で、芸能人などに対してSNSに溢れる「ビジュアル最高!」みたいな容姿に言及するコメントについて、どう思うのかなって話してみたかったんですよね。

前川:推しなどに向けられる、「ビジュ最高」ってやつですね。

武田:例えばアイドルグループはわかりやすいですが、複数人で表に晒されたとき、今の社会では必ず査定や比較が始まることが避けられません。しかも、その声は当人たちにも届く形で発せられるので、その言葉を受けた本人も、それを言われていない他のメンバーも、きっとしんどい部分があると思うんですよ。ものすごいサバイバルを生き抜かなきゃいけない。

最近では、容姿にとらわれずにアイドルを目指す企画も世間から受け入れられているし、時代の変化は感じているんですが。ただ、そういう背景があったとしても、最終的に彼女たちに向けられるのは「ビジュ最高」みたいな言葉だったりするのって、どうなんでしょうか。

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前川:私は、表に立っている人たちに「ビジュ最高」「かわいい」などの言葉を向けるのは、悪いことだとは思っていないんですよね。人間はマシーンではないので感性を持つのは当たり前ですし、私自身も推しに対して「かわいい、かっこいい」ってやっぱり思っちゃいます。ただ、それを「ああじゃなきゃアイドルじゃない」「こうじゃないとかっこよくない」と一律の価値観を押し付けることがダメなのでは、というのは何度も繰り返し主張したいですね。

武田:なるほど。

前川:でも、おっしゃるとおり、グループで活動しているとどうしても比較が起こりますよね。「小顔でかわいい」「二重が最高」などの具体的な特徴を挙げるのは美の定義を狭めるのでNGですが、そういう言い方をしていなかったとしても“コメントやいいねの多さが可視化される”だけで優劣を感じてしまうのかなと、今日のお話で考え始めたところです。

武田:すごく難しいですよね。かつて毎日のように握手会をやらされていたアイドルグループがありましたけど、長蛇の列ができている人もいれば、数人しかいない人もいたそうで、ものすごい人気の差を見せつけられていました。人が来ないのも地獄だし、ずっと握手させられているほうも地獄だなと思いましたけど。最近は、「そういうのはおかしい」と世間が思うようになってきたと思うんですが、あからさまな形で表に出ないだけで、「誰が一番数字を持っているか」みたいなものは、やはり商売である以上は必ず出されるわけですよね。

前川:ランキングの順位自体は必ずしも「ビジュアルのみ」で決められているわけではない、というのが難しいところですね。容姿の割合は大きいかもしれませんが、歌のうまさや表現力、話のおもしろさなんかも含めて総合的にファンが増えますから。

とはいえ、やっぱり「格付け」という仕組みそのものが、そこに乗せられる人たちにとっては苦しいだろうな。エンタメ業界でなくても、学校で成績が張り出されるような“比較ありき”の方法って、やっぱり息苦しかった覚えがあります。

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彼らの発信は、本当に“彼らのもの”?

武田:今の時代、アイドルや芸能人がSNSでも発信することが当たり前になりましたが、それって本当に“彼ら・彼女らの発信”なんだろうか、と考えることがあります。外からの評価が仕事に直結する人たちが、自由気ままに発信できるわけではないのだろうなって。

前川:たしかに、一般の人ですら全てをさらけ出しているわけではないのに、芸能人になればもっと自由ではないはずですね。今まで、そういう視点で彼らの発信を見たことなかったです。体型やメイク、髪型なども本当に自分が好きでやっているのかわからないのに、「ビジュいい」「もっと痩せたらいいのに」など自分の価値観で伝えるのは、勝手なことなのかもと改めて感じました。

武田:こちらが勝手に物語を形成して、「このアイドルなら推せる」「このリアリティーショーなら受け入れられる」みたいになってしまって、本当にいいんだろうか。実際に内部を見られるわけではないんですけれど、だからこそそういうことをずっと考えてしまうんですよね。

前川:テレビやエンタメ業界をウォッチしてきた砂鉄さんならではの視点だなと思いました。やはり私たち消費者は、提供されるものを“すべて”だと思ってしまう。その背景を想像できる力を身につけておきたいですね。

武田:でも、今話していても「水刺すようなこと、言わないほうがいいんだろうな」という感覚もあるんです。近年は、グループ活動でも健全な方向に向かっているとは思うので、あれこれ言うのも少しためらいがあります。

前川:でも、言う人がいないと一方向にバーっと行っちゃいますもんね。

武田:昔も今も、体調を崩して休むアイドルたちが絶えませんね。もちろん体力的にも大変な仕事だと思いますけど、やっぱり精神的に過酷だと思うんですよ、晒され続けるということが。僕自身はその立場になったことがないから本当のところはわからないけれど、しんどいんじゃないかなと想像しています。

前川:ルッキズムを考えるとき、いつも「相手の立場に立つこと」を意識させられます。目の前の人だけでなく、テレビやSNSの向こうの人のことも、考えて言葉を残したいですね。

*次回、ゴシップ記事やテレビ番組から見える「人の変わらなさ」に焦点を当てます。3本目「『人は変わらない』を突きつけられても、諦めないで」は、こちらから。

Profile

しゃべるっきずむ!

武田砂鉄さん

1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年からフリーライターに。著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋、2017年)、『わかりやすさの罪』(小社、2020年)、『偉い人ほどすぐ逃げる』(文藝春秋、2021年)、『マチズモを削り取れ』(集英社、2021年)、『べつに怒ってない』(筑摩書房、2022年)、『今日拾った言葉たち』(暮しの手帖社、2022年)、『父ではありませんが 第三者として考える』(集英社、2023年)、『なんかいやな感じ』(講談社、2023年)、『テレビ磁石』(光文社、2024年)など多数。新聞への寄稿や、週刊誌、文芸誌、ファッション誌など幅広いメディアで連載を多数執筆するほか、ラジオ番組のパーソナリティとしても活躍している。

前川裕奈さん

慶應義塾大学法学部卒。民間企業に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にセルフラブをテーマとした、フィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業し代表に就任。ブランドを通して、日本のルッキズム問題を発信。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、「ジェンダー」「ルッキズム」などについて企業や学校などで講演を行う。著書に『そのカワイイは誰のため?ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』(イカロス出版)。yoga jouranal onlineコラム「ルッキズムひとり語り」。

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