無数の「かもしれない」が頭に浮かんでは消えていく。だけど…私は、自分の"選択"を後悔せずに生きる

無数の「かもしれない」が頭に浮かんでは消えていく。だけど…私は、自分の"選択"を後悔せずに生きる
Naoki Kankuka(2id)
宮井典子
宮井典子
2025-09-04

ピラティスインストラクターの宮井典子さんは、全身性エリテマトーデス(SLE)患者としてメディアで啓蒙発信しながら、心地よい暮らしと働き方を模索しています。そんな宮井さんによるエッセイ連載『"生きる"を綴る』です。

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後悔はしない。

けれど、後悔がないわけじゃない。

「後悔のない人生」とは、一度も後悔しなかった人生のことではない。

そして、「後悔がない人生」は、「後悔している」ということともまた違うのだ。

あのとき、違う道を選んでいたら。

あんなことを言わなければ。

もっと頑張っていれば──。

もしもあのとき別の選択をしていたら、今とは違う人生だったかもしれない。

そんなふうに思い返す瞬間は、これまでにも数えきれないほどあって、過去の自分を振り返っては落胆したことなんて誰にでもあるはず。

2023年の年末、特発性両側大腿骨頭壊死症と診断されたとき、最初は現実を受け止められず、これでインストラクター復帰はもう難しいかもしれないと落胆し、心が追いつかなくて涙が溢れたことを覚えている。

おそらく原因は、長期にわたり使用していたステロイドによるものだろうと言われたけれど、絶対的な原因とは断定できない。

どこまでが要因で、どこからが偶然なのか、はっきりとはわからない。

だからこそ、伝えておきたい。

ステロイドは悪ではない。

今もなお「ステロイドは怖い」「できれば避けたほうがいい」と、未だ間違った優しさで『ステロイドは悪』と言わんばかりの人がいるけれど、ステロイドが必要な人がいるのも事実であり、私のように恩恵を受けて病状が安定している人がいるのも事実。

何度も言うが、必要がなければ使う必要はない。

けれど、生きるために必要な人がいる。

そのための治療であり、生きるための選択。

しかし、世の中には事実と異なる情報が溢れているのも事実。

ステロイドを使ったからといって、誰もが壊死を起こすわけでも、手術が必要になるわけでもない。

ここでもう一度、伝えたい。

ステロイドは命を守るために必要で、大切な治療手段のひとつだということを忘れないでほしい。

私は、2023年12月に両足の特発性大腿骨頭壊死症と診断され、2024年7月には右股関節を人工股関節に置き換える手術を受けた。

あれから1年が経ち、左足は経過観察中ではあるけれど、ようやく日常を取り戻しつつある。

この1年、術後の痛みや日常生活上の不便さ、不都合さにもどかしさを感じながらもリハビリと向き合う中で、何度となく自分の選択を振り返る時間があった。

「ステロイドを飲まなければよかったのか?」
「他に治療法はなかったのか?」
「手術をしないという選択肢はなかったのか?」

何度も、何度も自分に問いかけた。

どんな病気でも投薬治療において、副作用はつきもの。

副作用を恐れて治療をためらう人もいるけれど、私はリスクを理解したうえで治療を選んだ。

私の場合、全身性エリテマトーデスを患ったことがきっかけで、大腿骨頭壊死症になり、人工股関節を入れることになってしまったけれど、もしステロイドを拒んでいたら命に危険があったかもしれない。

問いかけを繰り返せば繰り返すほど、その答えは明確になった。

現実は変わらないし、変えられない。

治療をしていく中で、誰もが葛藤を抱えている。  

諦めざるを得ないこともあれば、これまで当たり前にできていたことができなくなることも増えていくけれど、生きていく上で何を最優先するのかは自分や家族で決めていくしかない。

副作用を恐れて代替治療を選ぶのか。

標準的な治療を選ぶのか。

私が優先するのは命。

命が助かるならば副作用があっても治療をする。その選択をして、今ここにいる。

それならば、「人工股関節になったことを後悔していないのか?」と言われれば、それはまた別の話。率直に言えば、「後悔がないわけじゃないけれど、後悔はしていない」。

手術そのものについては「後悔はない」と心の底から言える。

ただ、それはあくまで手術に関してのこと。

後悔がないわけじゃないというのはそもそもの話。

股関節に痛みがなければ。

機能が落ちなければ。

手術をしなくて済んだのなら。

私の人生は、きっと、もっと違っていたのかもしれない。

もっと自由に動けたかもしれないし、もっと仕事に打ち込めたかもしれない。

今より多くのことを経験できたかもしれない。

さらに言えば、全身性エリテマトーデスにならなければ、そもそもステロイド治療を受けていなかったはず。

そう考え始めればキリがない。

どれだけ振り返っても、どれだけ願っても時間は戻らないのに、無数の「かもしれない」が頭に浮かんでは消えていく。

けれど、私の場合、最後にたどり着くのは、『ポジティブに生きる』それしかない。

未来は、今日をどう生きるかでしか作られない。

誰にとっても、後悔がない人生なんてきっと存在しない。

後悔があったとしても、大切なのは「いかに後悔を残さないか」だと思う。

たとえ望んだ未来ではなかったとしても、必要なのは「そのとき自分でちゃんと選んできた」という実感。
たとえ望んだ未来ではなかったとしても、大切なのは「そのとき自分でちゃんと選んできた」という実感。

「後悔のない人生」とは、「完璧な人生」という意味ではなく、選んだ人生を自分のものとして生ききることだと思うから。

後悔がないわけじゃない。私は「後悔しない」と決めただけ。

それは強がりでもない。自分の人生を最後まで歩くための覚悟のようなものなのかもしれない。

未来はきっと、今日をどう生きるかで変わっていく。

だから私は、これからも「後悔しない」と決めて生きていきたい。

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