「インストラクターは健康でなければならない。」という言葉と、私のこれから #生きるを綴る

「インストラクターは健康でなければならない。」という言葉と、私のこれから #生きるを綴る
Naoki Kanuka(2iD)
宮井典子
宮井典子
2025-06-12

ピラティスインストラクターの宮井典子さんは、全身性エリテマトーデス(SLE)患者としてメディアで啓蒙発信しながら、心地よい暮らしと働き方を模索しています。そんな宮井さんによるエッセイ連載『"生きる"を綴る』です。

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ここで度々書いている「インストラクターは健康でなければならない。」この言葉は私にとって鋭いキバのようで、聞くたびに自分に向き合い、何度も自信を失い、何度も諦め、そのたびに悔しい想いをしてきました。

罹患して今年で6年。振り返ってみると、ここまでの時間は決して無駄ではなかったのだと思えます。むしろ、時間をかけた分、身の丈に合った自信が芽生えてきたような気がします。

インストラクターという仕事柄、「常に元気でいなければ」「常に明るくいなければ」と必要以上に思っていたし、完璧とまでは言わないにしても、他者が持つイメージ像でありたい、近づきたい、期待に応えたいという想いから、少しずつ自分自身を追い込んでいたのかもしれません。

でも、今はそうではありません。

健康とは、肉体的にも精神的にも社会的にも、すべてが満たされた状態。大切なのは、自分自身が「満たされている」と感じられるかどうか。

私はいつの間にか外の声を敏感に受け取りすぎて、挙げ句に勝手に疲弊していったのです。

私はかつての思い込みを捨てて、ゆっくりでも、休みながらでも、諦めずに前に進むことを選びました。

経験を積み重ねていく中で、「健康でなければならない。」という言葉は、もはや私にとって鋭いキバではありません。からだと心に向き合うきっかけをくれ、背中を押し、自信を与えてくれた言葉です。

からだや心が疲れたときは、何もしない。今の自分を受け入れること。それは逃げでもズルでもなく、未来に向けての準備期間です。

健康という「当たり前」にある状態は、年齢を重ねていくにつれて、誰にとっても当たり前ではなくなっていきます。

若さや強さ、勢いなど、これまでのすべてを持ち続けることが難しくなっていくのは自然なこと。体調やホルモンの変化、心の揺らぎは静かに訪れます。

社会の中での役割や期待、自分の中の理想と現実の間で悩んだり、葛藤したり、つまずいたりする時間も増えていきます。

以前のように動けない日があったり、理由のない不調に戸惑ったり。そんなとき、つい「こんなはずじゃなかった…」と自分を責めてしまうこともあるかもしれません。

でも、そんなときこそ思い出したい。私たちのからだと心は、人生の中で少しずつ、少しずつ変化していくのが当然だということを。

若さがすべてではなく、病気をしていない状態だけが「健康」なのではありません。

日々の変化があってこそ。その変化は衰えではなく、積み重ねた経験や時間の証。

そのことを自分自身が理解しておくことが、きっとこれからを生きる上で大切なのだと思います。

体力に波があっても、「今日の自分によし!」と思えるなら、それで十分。

病気による身体の変化であっても、加齢による身体の変化であっても、どちらにしても変化を受け止めるには勇気がいるし、時間が必要です。

「健康でいなければ」と追い込むよりも、「今日できることをやる」。

そんな気負いなく、無理をしなくてもいいと知ることで、自分を労り、自分を大切にすることを学んでいけばいいのだと思います。

まだまだ先は長い人生です。自分の歩幅で、ゆっくり丁寧に歩んでいくためにも、小さな一歩であっても前進することが、大切で、意味のあること。

自分のからだと心に逆らわないことが、私にとっての健康であり、生き方です。

「インストラクターは健康でなければならない。」

今ではその言葉は、完璧さを求めるものではなく、自分を大切にしながら歳を重ねていくための指針になりました。

人生100年時代。自分らしく、心地よく生きていくには、むしろ少しばかり鈍感で、図々しいくらいのほうが生きやすい。

年齢を重ねることを恐れずに、年齢を重ねた今だからこそわかる健やかさを、これからも大切にしていけたらと思います。

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