「人生、死んだらおしまいやで」在りし日の父が言ったその言葉を噛み締めながら、今、思うこと
ピラティスインストラクターの宮井典子さんは、全身性エリテマトーデス(SLE)患者としてメディアで啓蒙発信しながら、心地よい暮らしと働き方を模索しています。そんな宮井さんによるエッセイ連載『"生きる"を綴る』です。
「人生、死んだらおしまいやで」
父が体調を崩して、自宅介護が始まった直後に発した言葉です。当時の私は父がどんな想いで口にしたのか…真意はわかりませんが、風邪ひとつ引いたことがない父が病気になって気弱になっていたことは充分伝わっていました。
私にとって父は昔からずっとずっと強い存在だったこともあって、どう答えたらよいのかわからず、なんとなくはぐらかしてその場をやり過ごしていたように思います。今となってはどう答えればよかったのか。なんて言ってほしくて口にしていたのか。わかるはずもないけれど、最近ふと、父の想いはもっと別のところにあって、ひとり娘を置いて旅立つ父なりに何かを伝えようとしていたのではないだろうかと思うようになりました。
今はもう、その真意を確かめる術はないけれど、歳を重ねた今、そのような気がしているのです。
私自身が置かれた状況を肯定したいがゆえの解釈なのか?そう振り返ったとき、父の前向きさや強い信念を思い出したのです。
歳を重ねるにつれて、父の記憶は晩年の頃のものだったので、本来の記憶がすっぽり抜け落ちていたのですが、手術に向かう私の背中を、そしてこれからの人生を押してくれてるかのようで、「人生、死んだらおしまい」は「死ぬまで人生を楽しんで」と言われているのかもしれません。
私はSLEの治療で服用していたステロイドにより、昨年末、特発性大腿骨頭壊死症と診断されました。
保存的治療にて経過をみてきましたが、痛みが進行してきたので、右股関節を手術(人工股関節全置換術)することにしました。
口からついて出るのは「脚が良くなったら○○がしたい」「脚の痛みがなくなったら○○に行きたい」という言葉の数々。とはいえ、今も自由に出掛け、これまでと変わりない生活をしているようだけど、やはり常に痛みを伴うもの。とても不自由で不都合な現実です。
強いて言えば、頭で考えずとも体と足が動かせる自由がほしい。
手術を控えた今のわたしには希望しかありません。
SLEを発症して6年。薬のおかげで発症してから今が一番と言っていいくらい体調が安定しています。
これは医療医学の進歩であり、私はその恩恵を受けて、同世代の人と変わりない生活が送ることができています。
その度に再燃し、緊急入院をしたとき、「同世代の女性と変わりない日常を過ごしてもらえるように、これから治療の提案をします」と言われた主治医の言葉が蘇ります。
だからこそ、足が良くなれば…。
今は希望しかないのです。
立ちたくても立てなかった日。
歩きたくても歩けなかった日。
奇妙な歩き方で笑われたことも、白い目で見られたことも恥ずかしくて悔しくて体作りに励んだこの1年。
世の中の厳しい醜い現実を突きつけられた時間を経て今があります。
さて、これから私は人工股関節の手術です。
ここ最近は強い痛みに耐えられず、普段あまり弱音を吐かない私もさすがにメンタルが崩壊しそうになっていましたが、こんなことで崩壊するのはこれまでの努力が水の泡、こんなことくらいで崩壊だなんて勿体ない。
今日も明日もこれからも、どんなときにでも感情をコントロールしてとにかくメンタルを維持する努力をして乗りきりたいと思います。
「人生、死んだらおしまい。」は「死ぬまで楽しめ、死ぬまでがんばれ」という父からの励ましのメッセージだとポジティブに変換し、前を向いてポジティブに生きていこうと再び宣言したいと思います。
この日を迎えて清々しい気持ちです。
深呼吸して、ひと息ついて、それではいってきます!!!
*このエッセイは、7月8日に執筆したものです。大きな手術を控えたその時の気持ちを書きました。
AUTHOR
宮井典子
SLE Activistとして活動。37歳のときに膠原病予備軍と診断される。38歳で結婚し、39歳で妊娠、出産。産後4カ月で仕事復帰し、ピラティスのインストラクターとして精力的に活動。46歳のときにSLE、シェーグレン症候群を発症。現在は、誰もが生きやすい社会を目指してSNSを中心に当事者の声を発信。
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