病気と共に生きる日常は努力だけでは限りがあって、常に理不尽さと闘っている|連載#生きるを綴る

 病気と共に生きる日常は努力だけでは限りがあって、常に理不尽さと闘っている|連載#生きるを綴る
Naoki Kanuka(2iD)
宮井典子
宮井典子
2023-09-06

ピラティスインストラクターの宮井典子さんは、全身性エリテマトーデス(SLE)患者としてメディアで啓蒙発信しながら、心地よい暮らしと働き方を模索しています。そんな宮井さんによるエッセイ連載『"生きる"を綴る』です。

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気づけば秋。

暑さと陽射しはまだまだ厳しいけれど、空も緑も匂いも秋を感じます。

2023年も残り4カ月。

ふと、今年は何が出来ただろう。何が残せただろう。ただ、ただ過ぎていく時間が憎らしい反面、幸せな時間を過ごせてることに感謝をしているものの、無性に、何とも言えない感情が湧き上がるのも確か。

考えても仕方がないこととわかってても、毎日動きづらい体と向き合う生活の中で「なぜ、わたしは再燃したのだろう…」「突然動けなくなった原因や理由は何だったんだろう…」と、わかるはずもない理由と出るはずもない答えを今なお探そうとしています。

SLEそのものの再燃だったのか。それともこれまでの治療が適切じゃなかったのか。紹介状にあったワクチン後遺症だったのか。病状はこんなにも安定してきているのに、これほどまでに回復しない体調への不安や焦りは言葉になりません。

そう、ここからは自分で自分の体の機嫌をとって、ひとつひとつ拭い去っていくしかないのです。

療養生活が長引くほど、将来への不安は募り、やるせない思いは膨らむばかりだけど、ネガティブな方向を向いても現状は変わりません。それどころか、ネガティブな感情に振り回されるだけ。それならば、現状が維持できる行いを選択し良くなることを信じてやるのみ。

そんな日々、わたしは常に理不尽さと静かにじんわりと闘っています。

おそらく様々な不都合さを抱えなければ遭遇しなかったであろう出来事に直面しては胸を痛め、心が砕け、生温かいため息をつく。病気と共に生きていく日常は、努力だけでは限りがあって、どうにもならないことの方が多いのかもしれません。

不都合なことにぶつかったとき、「ちょっと待って。これは思い過ごしかもしれない」「気のせいかもしれない」と思考を修正してみるものの、目の前にある現実は何も変わらない。そこだけ空気が違うというか、異質な感覚だけが残るという…情けなさを感じます。

突然、起きられなくなったあの日の前日に時を戻し、「今を生きられたらどんなにいいだろうか」と頭をよぎることもありますが、一方で「ドラマじゃあるまいし」と、そんな夢みたいなことは現実に起こるはずもないので、いつも通りの時間が流れて現実に戻るの繰り返しです。

きっとこれは良くなるための修行。きっとそうなんだ。そうじゃなきゃやってられない。

わたしは、この夏、50歳を迎えました。

待ちに待った50代の始まり。

実際には30代に思い描いていた50代の始まりとはまるで違うけれど、「生きているだけで丸儲け」な人生をこの先もっと楽しく生きるために、神様か仏様かさっぱりわからない誰かにわたしは修行をさせられているのでしょう。

そう、修行。きっと、そうだ。そうじゃなきゃやっていられません。

だからわたしは、どんな理不尽なことに遭遇しようとも、その理不尽さに真っ向から向き合ったり対等にならず、ひと呼吸おいてその場を去るようにしています。すると怒りは落ち着き、胸のつかえもすっと解けていきます。

だけど、その一方で、理不尽さを前に「多様性っていったいなんだろう」という思いでいっぱいになることもあります。

わたしがSLE Activistとして活動していく上で自ら掲げたのは《自ら選択することでわたしらしい人生を》というスローガン。その根底には「誰もが生きやすい社会」というものがあります。

「誰もが生きやすい社会」とは、一人一人が誰にも遠慮せずに自分の意思で自分らしく、自分自身が生きたいように生きられる社会…だと私は思っています。そこには病気だとか病気じゃないとかは関係ないはずです。同じ社会を生きているわけですから。それなのにあえて掲げないといけないのはなぜでしょうか。

いつ誰が当事者になるかわからない。だからこそ

病気になった今の状況を「気の毒ね」「可哀想ね」で済ませたくないのです。なぜなら、いつ誰が当事者になるかなんて、本当に誰にもわからないからです。もしかしたら自分かもしれないし、もしかするとあなたの大切な人かもしれないのです。そう考えたとき、あなたの生きる社会が、あなたの大切な人の生きる社会が、実は条件付きでしか生きやすくなかったとしたらどうでしょう?その時あなたは「病気になったから、生きづらい社会でも仕方ない」と済ませられますか?他者から「病気になってこの社会は生きづらいでしょう。気の毒ね」と言われて、心から納得できますか?

あなたにとって生きやすい社会とは?
あなたにとってのわたしらしさや自分らしさとは?

こんな問いを、病気であってもなくても常に持ち続けていたいなと思います。

 

さて、わたしの50代の扉は開いたばかり。

理不尽さとの静かな戦いはきっとこれからも続くのでしょう。だけど、くよくよしている時間はもったいない!心底、そう思います。くよくよして立ち止まってる時間があるのなら、迷わず動く!前に進む!それがわたしです。目線を上げて、口角上げて、わたしらしい人生を歩いていこうと思います。

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宮井典子

宮井典子

SLE Activistとして活動。37歳のときに膠原病予備軍と診断される。38歳で結婚し、39歳で妊娠、出産。産後4カ月で仕事復帰し、ピラティスのインストラクターとして精力的に活動。46歳のときにSLE、シェーグレン症候群を発症。現在は、誰もが生きやすい社会を目指してSNSを中心に当事者の声を発信。



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