わたしらしい働き方を模索する中でたどり着いた、わたしなりの哲学【連載 #"生きる"を綴る】

 わたしらしい働き方を模索する中でたどり着いた、わたしなりの哲学【連載 #"生きる"を綴る】
Naoki Kanuka
宮井典子
宮井典子
2022-12-24

ピラティスインストラクターの宮井典子さん。全身性エリテマトーデス(SLE)患者としてメディアで啓蒙発信しながら、心地よい暮らしと働き方を模索しています。そんな宮井さんによるエッセイ連載『"生きる"を綴る』、今回は第7回目です。

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2022年も終わりに近づき、街はクリスマスとお正月が入り乱れ、異国文化の風吹く景色もある意味で日本らしく、この季節ならではと感じています。

今年は療養期間に充ててのんびり過ごす予定でいましたが、エッセイ連載をはじめ、その他諸々と活動復帰することが出来ました。

これは予想外の嬉しい展開でした。

退院当初は、一年あればある程度の体力は回復するだろうと思っていたのですが、体力の回復がいまひとつのため、ひき続き在宅で出来る新しい働き方を模索中です。

身の丈に合った、ムリをしない、社会との繋がりを感じられるわたしらしい働き方。

新たな挑戦もしていきつつ、来年はエッセイのように書く仕事も増やしたいし、インタビューのような自らの体験や経験を伝える仕事も増やしていきたい。そして、自分自身の「声」で話す仕事もしたいと考えてるところです。

と、この類のことを呟くと、欲張り過ぎだとか中途半端だとか言われたり、誰でも出来ることでお金をもらっていると言われることもあります。今にはじまったことではないですが、結局のところ、何をやっても何かを言われるのです。

わたしのケースで考えると、発病前と発病後では生活はまるで違います。同じようにはいきません。働き方に関しても、体調を優先するとなると、当然同じようには働けません。さらに再燃後の今では、出来ることはもっと限られてくるわけです。

続けたかったことも、これからやってみたかったこともホントにたくさんあったけれど、どれも一旦休止。バギーランも諦めざるを得ず、進めていたプロジェクトもフェードアウト。

今でも悔しいです。だけど、一方で、仕方がないことでもあります。

2019年、発症当時の私は、何も考えられませんでした。誰かをうらやむ気持ちも大きかったし、「なんでわたしだけ?」という気持ちも常にありました。だけど、時間が経つ中でこれまでの経験を活かした働き方の可能性を知りました。それからは、人生楽しむしかない、楽しまなきゃもったいないと思うようになりました。

どれだけ時間が経とうとも、病気になってよかったと思うことはありません。だけど、病気になったことで出逢えた人達や知り得た世界があることは紛れもない事実なのです。

出逢いのおかげで関心ごとはどんどん増えていき、やりたいことが膨らんでいくのは幸せなことですよね。

結局何をやっても何か言われるなら、好きなことをするのが一番です。

わたしがやっていることは、誰にでも出来ることかもしれないけれど、わたしにしか伝えられないこと、わたしだから伝えられることがあると思っています。

ある人から見たら奇妙だったり異質だったりすることが、ある人から見れば賞賛される場合もある。見る人の目線や視点でいかようにも変わるわけで、何が正解か間違いかなんてわからないし、そもそも間違いなんてない存在しないのだと思います。

それならもっと自由に、わたしらしい働き方を楽しもう。ということで、自身の肩書きを「SLE Activist」と名付けました。

まさに正解も間違いもない、言ったもん勝ちです。

Activistとは社会的な活動家。私がこれまでしてきた活動と、これからしていく活動を通して、数ある社会問題や社会課題の中のひとつとして、SLEをはじめ難病患者の取り巻く環境を社会に生きる皆で考え、少しでも世の中にある偏見と誤解をなくしていけたらと思っています。これからもよろしくお願いします。

宮井典子
Photo by Naoki Kanuka(2iD)
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Photo by Naoki Kanuka(2iD)

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宮井典子

宮井典子

SLE Activistとして活動。37歳のときに膠原病予備軍と診断される。38歳で結婚し、39歳で妊娠、出産。産後4カ月で仕事復帰し、ピラティスのインストラクターとして精力的に活動。46歳のときにSLE、シェーグレン症候群を発症。現在は、誰もが生きやすい社会を目指してSNSを中心に当事者の声を発信。



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