大手術から1年。今の私だから思う「自分らしい生活とは何か」そして「それはなぜ重要なのか」
ピラティスインストラクターの宮井典子さんは、全身性エリテマトーデス(SLE)患者としてメディアで啓蒙発信しながら、心地よい暮らしと働き方を模索しています。そんな宮井さんによるエッセイ連載『"生きる"を綴る』です。
2022年、SLE(全身性エリテマトーデス)の再燃による緊急入院からはじまり、2年5カ月の療養生活を経て仕事復帰。ようやく回復の兆しが見えたと思った2023年には、特発性大腿骨頭壊死症と診断され、翌年には人工股関節の手術を受けることに。
見ての通り、この数年は病気に振り回されていると言ってもいいくらいの毎日。
「いったい、いつになったら、以前のような生活が過ごせるのだろうか…」と不安を抱える日も数えきれないほどありました。
そんな中でふと、「自分らしい、私らしい生活ってなんだろう?」そう問いかけて出た答えは、「日常に体を動かす楽しみがあること」でした。
気づけば、仕事であるインストラクター業も、趣味だったランニングもすべて諦め、日常から運動はもちろん、「体を動かすこと」そのものがすっかり消えていました。
キッチンで料理を作ることも、友達とお気に入りのお店を巡ることさえできなくなっていたのです。
これまで当たり前にあった、日常のささやかな楽しみさえも、体が思うように動かないだけで、どんどん遠いものになっていく。
でも、私が直面していたのは、ただ動けないということ以上に、「私らしさ」が失われていくという現実でした。
一見すると、体を動かすことが日常から消えるなんて、たいした問題には見えないかもしれません。
歩くこと。走ること。動くこと。
ただそれだけのことなのに、満足にできない自分が情けなくて、くやしくて…あとになって気づいたのは、それが自分のアイデンティティそのものを失う時間だったということ。
「私は何が好きだったのか?」「どう過ごすことが心地よかったのか?」を問い続け、模索する日々。
日常から、“体を動かすこと"を失って、自分の生活や人生において、何が大切で、何が必要なのかを改めて知ることができました。
なにも特別なことを望んでるわけでも、特別なことをしたいわけじゃない。
歩く。走る。動く。
そのどれもが、私にとってはただの行動ではなく、体を動かすことで、ようやく「わたし」に戻れる時間なのです。
“日常に体を動かす楽しみがあること”ーーそれだけで、生きる輪郭がはっきりする気がしていたのです。
術後1年。
ようやくここにきて、日常の中に体を動かすことが戻りつつあり、“自分らしい、私らしい生活”を少しずつ取り戻している感覚があります。
あえて言葉にするなら、アイデンティティの再構築。
外を歩ける喜び。体を動かせる喜び。心の底から「うれしい」と思える今がほんとうに幸せです。
このすべてが、私にとって大切な、大切な再出発の一歩。
ここまで本当に長かったけれど、失って、諦めて、人はようやく、自分を形づくっていたものの尊さや大きさに気づくのかもしれません。
だからこそ、実感しています。
生きていく上で、自分らしい生活、私らしい生活がいかに大切なのか。
この数年間、「私らしさ」が壊れていくような感覚が常にどこかにあったけれど、納得できる今があるなら、それで十分。
そう思えるようになったのは、時間をかけて問い続けてきたからこそ。
今日も、動ける体に感謝して。
これからも、無理をせず、過信せず、私らしい生活を丁寧に積み重ねて生きていきたいと思います。
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