病気がハンデになるとは限らない|多様性の時代を生きる私が、今思うこと【連載"生きる"を綴る】

 病気がハンデになるとは限らない|多様性の時代を生きる私が、今思うこと【連載"生きる"を綴る】
宮井典子
宮井典子
2022-06-11

ピラティスインストラクターであり、ヘアターバンデザイナーの宮井典子さん。全身性エリテマトーデス(SLE)患者としてメディアで啓蒙発信しながら、心地よい暮らしと働き方を模索しています。そんな宮井さんによるエッセイ連載『"生きる"を綴る』、今回は第2回目です。

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わたしが《多様性》を意識し始めたのは2009年。ピラティスを学ぶために訪れたニューヨークで、呼吸器をつけた車椅子の女性を見かけたことがきっかけだったように記憶しています。

今でもこの瞬間を思い出すと、目頭と胸の奥がじーんと熱くなるのは、私が、両親の看護と介護を経験したから。

たった10日程のニューヨーク滞在。

部屋を一歩出ると多様な人種、肌や髪の色、体型、ルックスの人が行き交っていて、それまで日本から出たことがなかったわたしにとっては、目に映るもの全てが新鮮で衝撃的でした。

多様な人達が同じ空間で生活をしている「当たり前」が、当時のわたしにとっては羨ましくて。それは、両親の看護と介護経験の中で常に持っていた「社会への不満」「不平等さ」そして「社会からはみ出てるような感覚」。それらから来る"羨望"でした。

地元の同世代のみんなと私は違う世界で生きてるような気がして、だけどそんなふうに思われたくなくて頑張って尖って生きていたように思います。

私が育ち、両親を看護していたときに住んでいた地元は閉鎖的な場所でした。そこで「車椅子に乗った親を甲斐甲斐しくお世話する娘」という構図で見られていることも、「若くして介護しているかわいそうな子ども」という好奇な目で見られていることも、冷たい視線を浴びていることにも傷ついていました。

だからこそ、ニューヨークの煌びやかな街で「呼吸器をつけた車椅子の女性」がお友達と楽しげに、ごく普通に歩いている姿や周囲の誰一人と特別視していない光景にとても衝撃を受けたのです。

あれから13年。

時代は変わって、「ボディポジティブ」のように体型や見た目の多様性を肯定しようという動きや、ボディニュートラルのように自分の体型や見た目に関する自分の考え方をそのまま受け入れようという動きが浸透しつつある中、身体の多様性について考える機会が増えているように思います。

そもそも一人一人は、唯一無二の存在。

わたしは現在、投薬治療の副作用による見た目の変化が著しく、なんとなく見慣れてきた頃ではありますが、ふと直視するのが怖くなるときもあります。

「もし病気になっていなかったら、今のわたしはどんなふうだったんだろう?」ーーそう思う日もたくさんあります。

「生きるためには仕方がない。わたしは生きるためな必要な治療をしているんだ。これは仮の姿。」ーー決して否定的でもなく、悲観的でもなく、とても前向きに、ボディポジティブにもボディニュートラルにも属さない、その日や気分によって変わっていく自分の気持ちに素直に生きてます。

ボディポジティブを知ったことで救われた思いもしたけれど、《生きていくための身体》という意味合いが強い今、否定も肯定もしない。

そのときの感情のまま、今ある身体で今を楽しんで生きていけたら。

世界にはシニア、グレイヘア、プラスサイズ、多毛、ダウン症、義足、義手など多様なモデルやYouTubrが存在し、かの有名なバービー人形にも補聴器、車いす、義足、スキンヘッド、白斑、まだら肌、カーヴィー・長身・小柄のバービーが登場しています。

今や、肌や髪、目の色、国籍、性別、体型、障がいや病気がハンデになるとは限らない。

その先はその人自身が決めることであって、誰にだって可能性は無限にあると思うし、無限にあると信じたい。

わたしにはまだまだ夢があります。正直、病気になったから諦めたことは幾つもありますが、病気になったことでこれまでとは違う経験もたくさんさせてもらいました。

それは、変わりつつある多様な社会だからこそなのかもしれないなと思うのです。

わたしがかつて抱いていた社会への不平不満、不平等さは、多様な社会と言われる現在でもなくなってはいません。

だけど、ひと昔と違うのは発信できるツールがあって、コミュニティもあって小さな声が届く時代。

そんな時代の波にほんの少し乗っかって、新しい経験をさせてもらっているわたしとしては、これからも生きることを恐れず、図太く生きていこうと思います。

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AUTHOR

宮井典子

宮井典子

SLE Activistとして活動。37歳のときに膠原病予備軍と診断される。38歳で結婚し、39歳で妊娠、出産。産後4カ月で仕事復帰し、ピラティスのインストラクターとして精力的に活動。46歳のときにSLE、シェーグレン症候群を発症。現在は、誰もが生きやすい社会を目指してSNSを中心に当事者の声を発信。



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