50代になった私がダイエットを始めた理由。それは死生観につながっていた|連載#生きるを綴る
ピラティスインストラクターの宮井典子さんは、全身性エリテマトーデス(SLE)患者としてメディアで啓蒙発信しながら、心地よい暮らしと働き方を模索しています。そんな宮井さんによるエッセイ連載『"生きる"を綴る』です。
実は今、わたしは産後以来のダイエットに取り組んでいる真っ最中です。
アプリで食事記録をつけ始めたのが8月中頃。あれから3カ月ちょっと経過し、ようやく小さな変化とわずかな手ごたえを感じているところです。
ダイエットという言葉を聞くと、恐らく多くの方は「苦しい減量」を想像されるかと思います。
あるいは、「減量のための食事制限」と認識されるかもしれません。
ですが、わたしが選んだのは健康になるための食習慣の見直し。
最終的に目指すところは、ステロイドの副作用で増えた体重と体脂肪を適正な数値に戻すことです。
「焦らない。急がない。結果を求めすぎない」をモットーに、実践しているのは過度なルールを設けない食事と運動。
とは言え、今の体力では運動量は期待できないので、ほぼ食事が成功の鍵を握っているとも言えるでしょう。
振り返れば、20代は雑誌に書いてあるダイエット情報を鵜呑みにしてひたすら食べることを我慢したり、当時流行っていたりんごやパイナップルの単品ダイエットに挑戦してみたり、ダイエットドリンクやダイエットフードとなるものを食してみたり、体のことなんかそもそも考えることもなく数字に一喜一憂する毎日でした。
「痩せて見た目さえ変わればキレイになれる、可愛くなれる。」と勘違いをしていた苦くて痛々しい経験を経て、今の心境に辿り着いたのは随分大人になってから。
ダイエットの度にストレスを抱え、欲求に耐えられずに爆食してはリバウンドを繰り返していた20代は、おそらく肉体的にも精神的にも疲弊していたのだろうと思います。
そもそもなぜ今、ダイエットを始めたのか?きっかけはステロイドの副作用でMAX15キロ増えた体重と体脂肪と体型を戻すためです。
自分自身でも元の顔や体型を忘れてしまうほど容姿がすっかり変わってしまったのですが、病状が安定するまではそれどころじゃなく、見た目の変化に悩みながらも優先すべきは何よりも体調の回復でした。
今春に始まった自己注射の効果もあってか、なかなか超えられなかった5mgの壁もクリアし順調にステロイドを減らすことができ、随分と病状が安定してきましたのめダイエットを始めたというわけです。
ただわたしの場合、綿密に計画してダイエットを始めたかと言うとそうではありません。
"その時"はある朝、突然やってきました。
いつも通りに朝起きたらおきぬけに軽くストレッチをして、レモン白湯を飲みながらリビングとキッチンを片付けて、そして家族が起きてくるまでのわずかな時間に淹れたてのコーヒーを飲んで至福の時間を過ごしていたのですが、手を洗いに行った洗面台でふと鏡を見たそのとき、気持ちが動いたのです。
鏡に映る自分自身を客観視した瞬間、なぜそう思ったのか?わかりませんが、ふっと「このままの姿で人生最期を迎えるのはゼッタイいやだーーーーーー」
大地が音を立てて崩れるような、子どもが遠くで叫ぶような音や声が体の中から聞こえたのです。
そうだ。今だ!今しかない!
わたしはその日からダイエットを開始しました。
そして2カ月が過ぎようとした頃、信頼している友人にダイエットを始めたことと突然訪れたきっかけを打ち明けてみました。
「ピラティスインストラクターになってどれだけの時間とお金を費やして学んできたか、今まで努力して体を作ってきたのに、このままじゃ嫌だなと思ったんだ。自分が納得できる姿で最期を迎えたいと思ったんだ」
あの日に降って湧いたような想いを、ひとつひとつ言語化して伝えました。
すると、友人は静かに「ついこの間ね、死生観について学んだとき、真っ先にのりちゃんを思い浮かべたよ。それって言い換えればどう生きるかじゃない?のりちゃんは常にどう生きるかを考えてるよね」と想像もしていなかった死生観の話題へと流れ着きました。
でもこれも決して大袈裟な話しではなく、20代と30代で両親との別れを経験したわたしは、誰しも訪れる「最期の日」のことを当たり前のように考えるようになったように思います。
意識的でもなく、かと言って無意識でもなく、ごく自然に「今をどう生きるか」を考えるようになりました。
そして、その想いは再燃後により一層強くなったように思います。
一般的に人の最期を話題にするのはどちらかというとネガティブな印象に捉えられますが、命は無限ではなく有限。であるならば、この先の未来を想像するのはポジティブなこと。
20代の頃の誰かのためや評価のためのダイエットではなく、自分自身のための人生のためのダイエットは生き方のあらわれなのかもしれません。
今から12.3年前になるでしょうか。東京に来て間もない頃、パーソナルレッスンを担当していた当時60代のお客様が「何歳になってもパンプスを履き続けたいからピラティスを続けたいの」そう仰った言葉が今でも忘れられません。当時聞いたあの頃よりも今の方がずっと、ずっとその意味の深さがわかるように思えるのです。
それはわたし自身が年齢を重ねたからなのか、病気を患ったせいなのか、苦しい再燃を経験したからなのか。その全てなのか。
身につけるものや口にするもの、選ぶもの全ては、その人自身の心や生活や暮らしぶりや生き方、人生が映し出されているのだと思います。
人はそれを個性だとかアイデンティティだとか自分らしさと表現するのでしょう。
人生は選択の連続です。
自ら切り拓き、道を作り、花を咲かせる人生。
どんな自分になりたいか。どんな人生を送りたいか。
わたしはわたしの人生を生きるためにダイエットを選択し、体と向き合っているように思います。
人生100年と考えた場合、わたしはその半分を生きてきました。
長年頑張ってくれた自分自身の体を労ることは必要不可欠であり、病気の有無にかかわらず若いときのように何もせずにして健康を保つのは非常難しいことです。
同世代の女性からの悩みを聞いても病気の有無にかかわらず、大なり小なり悩みを抱えていらっしゃいます。
「ひとりじゃない」
「わたしだけじゃない」
そう思うことで救われる人もいらっしゃるでしょう。
わたしらしい人生を送るために、1日ひとつ体によいこと、体によい食事を選択してみるのもひとつ。
かつてリバウンドに苦しみ、過食に悩んだわたしが辿り着いた健康法です。
引き続き、食事と食習慣の見直しをして、気持ちよさを第一に考えた運動を継続していきたいと思いますので、同世代のみなさん一緒に人生楽しみましょう。
AUTHOR
宮井典子
SLE Activistとして活動。37歳のときに膠原病予備軍と診断される。38歳で結婚し、39歳で妊娠、出産。産後4カ月で仕事復帰し、ピラティスのインストラクターとして精力的に活動。46歳のときにSLE、シェーグレン症候群を発症。現在は、誰もが生きやすい社会を目指してSNSを中心に当事者の声を発信。
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