「ずっとゲイだと言えなかった」同性愛嫌悪の中で育った彼が見つけた心の平和とは
私はかつて2人の親友(女性)が彼氏とソファで寄り添っているのを見て、自分もいつかはそんな風に充実したロマンチックな関係を持ちたいと憧れたことを思い出します。私は初めてのカミングアウトを彼女たちにしました、そして彼女たちは本当に私のことを応援してくれたのです。その後2ヶ月の間に、彼女たちは私に可愛い男の子を紹介してくれました。その彼が私の最初の彼氏となりました。次に同僚に告白する決意をしました。彼らもまた私を受け入れてくれました、その経験により、両親と兄に話す勇気が湧き始めました。自分の家族も同様のサポートをしてくれると信じていたのです。
それは偶然に起こりました――私が車道で彼氏とキスしている現場を両親が目撃してしまったのです。当時はティーンエイジャーでしたから、そんなこともありました。その夜、父親は彼氏を家まで送り届け、二度と私に会わないように告げました。母親は泣き崩れ、どれだけショックだったかを私に話しました。そして1年間外出禁止となり、両親は私が自然にしてしまう女性っぽい笑顔や笑い方、話し方を非難し始めました。きらびやかな格好を好む傾向があったため、自分の性的指向は隠し切れませんでした。見知らぬ人に揶揄されました。レストランを訪れた際、家族は私とは別のテーブルへと移動しました。時々、通りがかりの男性をちらっと見たりすると、相手は思い上がって「俺のことを見続けてみろ、ボコボコに殴ってやる」などと言われました。
私はやがて本当の自分を隠すためにダボダボのジーンズにパーカーを着るようになりました。低い声を出すようにして笑みを浮かべることもなくなりました。簡単にイライラするようになりました。何年間もの間、私はバレエにしか興味がなかったにもかかわらず、両親は野球やバスケットボールや空手など男性的なスポーツや活動に参加することを強制しました。皆、兄のレスリングの試合を観戦するように言いましたが、母だけがしぶしぶ私のバレエのリサイタルに出席しました。勿論、父親はそのリサイタルには興味を示さなかったことは言うまでもありません。父親があまりにも私の存在を無視していることにとても悲しく感じました。自分に対して不快感を覚える人との口論を避けるためだけに自分の人格を変えなければいけないことに怒りを感じ、私は深い躁うつ病に陥りました。両親の薬箱から見つけた睡眠薬、精神安定剤、市販の風邪薬を混ぜていました。ガレージに転がっていた化学溶剤を吸入するようになりました。やがて人生に終止符を打つという考えに取り憑かれ始めました。
アメリカ疾病予防管理センターによると、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアルの高校生は、異性愛者に比べると自殺率が4倍以上高く、自殺計画をする可能性は約3倍である。
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