「ずっとゲイだと言えなかった」同性愛嫌悪の中で育った彼が見つけた心の平和とは

 「ずっとゲイだと言えなかった」同性愛嫌悪の中で育った彼が見つけた心の平和とは
Trenton Jones
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バレエとの出会い、そしてヨガとの出会い

17歳になったとき、私の人生を変える機会が訪れました。ある芸術監督がダンス・コンベンションで演じる私を見て、プロバレエ団にスカウトしてくれたのです。(数年後、彼女は、怒りと苦悩の感情を芸術のエネルギーへと変える私の姿を見て惚れ惚れしていたと語ってくれました)私はフルタイムでダンスに集中するため、通信制高校を辞める決意をしました。まだ門限があったため、ダンススタジオにいないときは自宅にいなければなりませんでした。しかし、その新たな生活は私に社会復帰の機会を与えてくれました。友人や彼氏と出かけるときは仕事があると両親に伝えました。

プロのダンスの世界では、皆が現状に満足せず更なる高みを目指しており、ある意味では避難場所と言えます。しかし、同時に精神的な機能障害を引き起こす恐れもあります。私はもっと細く、もっと力強く、もっとうまく、と自分の能力を超越しようと必死の想いで、一日中鏡の前で自分の体を観ながら踊り続けました。

数ヶ月のダンス生活の後、クロス・トレーニングと怪我防止のため、地元のヨガスタジオでホットパワーフローヨガに参加し始めました。1年間ほど週5回のペースでヨガに通うようになったある日、私のヨガティーチャー(男性)が子供のポーズを指南し、「いつ自分自身から逃げるのを止めて、帰路に就くのですか?」と尋ねました。すると私はすすり泣き始めました。私は長い間ずっと、自分のアイデンティティから逃げ続け、どのように向き合えばいいかさえもわかりませんでした。私はヨガティーチャーに目を向けました――その彼の雄弁な哲学と自信に満ち溢れた姿――長い髪、流れるような衣服、穏やかな雰囲気に。そして彼は人間というのは元来、脆くて周りに受け入れられたいものだと言うことを教えてくれました。彼を見ていて、困難を乗り越えてこそ手に入れられる可能性を感じられるようになりました。

高校の後、クルーズ船でダンスをし、ヨーロッパやニューイングランド、カリブ海、アラスカなどを旅しました。また、アーシュラムを訪れるためにインドへも足を運び、伝統的なハタヨガを研究し、ティーチャー・トレーニングを修了しました。船上では、多くの人を集めてヨガクラスを指導しましたが、この経験は自分の人生を整理するのに役立ちました。私は自分が鬱っぽくなったときは、ヨガをして心身をほぐします。そして「自由になったベニーはどんな風に見える?」と自分に問いかけられるようになりました。

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by BENNY JAMES
Translated by Hanae Yamaguchi



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