切断者のためのヨガ協会・創始者が語る「脚の切断を乗り越えた理由」とは

 切断者のためのヨガ協会・創始者が語る「脚の切断を乗り越えた理由」とは
Amanda Barbosa

マーシャ・ダンジグは、13歳の時にガンによってひざから下を失いました。今回彼女がヨガを通じてどのように強さと勇気を手に入れたのかをご紹介しましょう。

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足を切断後、ヨガとの出会いが私を変えた

私は5歳の時に、ユーイング肉腫、骨または軟部組織に発生するまれな悪性腫瘍と診断されました。

1967年当時、生存率は20%未満でした。病院のベッドに横たわる私を家族全員が取り囲み、司祭が臨終の人に施す儀式を行いました(初めての聖体拝領を受けていると祖母から聞かされました)。司祭が私の舌の上にホスチア(聖体ののパン)を置いた直後、深くスピリチュアルな感覚が湧き起こりました。深い信頼感が体に行き渡っていくのを感じ、──そして、私は助かるだろうと思いました。周りの予想に反し、私は助かりました。そして約1年間の化学療法と放射線治療の後、寛解しました。

数年後、アーサナに出会いました。私は昔ギネスブックにざっと目を通したときに、さまざまなポーズや長時間息を止めるヨギたちの写真が掲載されていたことを思い出しました。若い頃、体操選手であり、バレリーナでもあった私はアーサナに興味を持ちました。ソファ、裏庭、休み時間中など出来る時にどこででも、ヨガの真似を始めました。

13歳になったとき、左下脛骨にしこりを発見しました。私は足首を捻ったと思いましたが、実際には癌が再発して進行していました。私はボストン小児病院に入院しました。そして入院10日目を待たずに、医師は左足のひざ下を切断し、化学療法を開始しました。私は恐怖に怯え、トラウマを抱えました。そして高校時代は、メモリアル・スローン・ケッタリングがんセンター(ニューヨーク市にあるガン治療研究機関および病院)に頻繁に出入りしました。髪は抜け落ち、足を半分失くしてしまい、自分は普通のティーンエイジャーの女の子たちのように彼氏ができるのか不安でした。それでもヨガのプラクティスの助けを借りて踏ん張りました。

その後17年間、寮の部屋、山頂、流行りのジム、古い教会のリノリウム(麻などの天然素材で作られた床材)の床などでヨガのプラクティスを続けました。 当時、私は不格好なひざ下の義足を装着していましたが、その義足のデザインというのは第二次世界大戦以来、変わっていません。義足には引っ張る力もなく、膝の屈伸も不可能でした。タオルやブランケットの上に立ってバランスをとろうとしましたが、あちこち滑ってしまいました。これによって、より強力なコアを作り、身体の中心から動かし、手足を安定させる方法を学ぶ必要性を感じ始めました。

私は当時、自分の能力の範囲でうまくワークできるよう、ポーズを適応させ、発展させて行きました。ヨガのティーチャーたちは私にどう指導したらいいかわからない様子でしたが、私は努力し続けました。33歳のとき、放射線治療、化学療法、手術の長期的な影響が出ました。腎臓が機能不全に陥り、その後11年間、透析を受けました。

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by MARSHA DANZIG
Translated by Hanae Yamaguchi



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