〈那須塩原移住〉四季の変化を感じて暮らしたい。#暮らしの選択肢
二拠点生活者のリアルな日常を深堀りする連載企画「#暮らしの選択肢」。今回は、番外編として、地方へ完全移住を選択された移住者へお話を伺います。自らの価値観に基づき「暮らしを選ぶ」移住者たちが考える、魅力や課題、リアルな日常を深掘り。理想と現実の狭間で見えてくる「暮らしの選択肢」の今を伝えます。
今回の「#暮らしの選択肢」は、番外編。栃木県北部に位置する自然豊かな都市、那須塩原へ完全移住を選択された齋藤 桃子さんにお話を伺いました。2012年に、子供の誕生をきっかけに都心から東京郊外の青梅市へ移住。そこで12年暮らした後、究極の理想を求めて、2024年に那須塩原に移住します。青梅市での慣れ親しんだ穏やかな暮らしを背に、地方移住実現に踏み切ったした想いとは?齋藤 桃子さんの暮らしの選択肢に迫ります。
〈プロフィール〉齋藤 桃子
岡山県出身。2012年、出産を機に、都内から東京青梅市に郊外移住。2024年に栃木県那須塩原へ移住。趣味は、ハイキングとトレッキング。
Instagram: @memomo.s
東京郊外に移住して12年後、地方移住に踏み切った想い
– 齋藤さんは、ご出身はどちらですか?
齋藤さん: 出身は、岡山県瀬戸内市です。大学から東京で過ごしました。夫と出会った後に、2人で高円寺で暮らしていたのですが、出産を機に、東京都青梅市に郊外移住し、2024年に那須塩原に移住しました。
– まず、高円寺から郊外移住したのはどうしてでしょうか?
齋藤さん: 都心で子育てをするイメージがどうしても湧かなくて。私は、幼い頃から豊かな自然に触れて育ちました。実家のすぐそばには大きな川が流れていたのですが、春から夏にかけて、川沿いの林にシラサギが集団で巣作りをしていました。私たち家族は、その対岸で夕陽の中、ねぐらに舞い戻る鳥たちの姿を眺めながら夕食をしたり、野山で山菜やきのこをとったり、そんな両親のもとで育ったため、自然豊かな場所で、子育てをしたいと希望が湧くのは自然な流れだった気がします。それは夫も同じでした。彼も福島県出身なので、都心での子育てはイメージできなかったようです。青梅市は、土地は広くてのんびりしていて、ご近所さんも穏やかな方々が多かったです。家の前には川が流れ、庭で焚き火をして、野菜や果樹を育てることも楽しんでいました。
※近所の川で焚き火
– 東京都内で焚き火ができる場所なんてあるんですね!
齋藤さん: あるんですよ(笑)。また、当時の息子が通っていた学校のクラスは、他の学区からスクールバスで来る子も含めてやっと10人という少人数な教育環境も私たちは気に入っていました。そんな、まさに郊外といった環境の一方で、最寄駅(飯能駅)から夫の会社のある渋谷まで直通1時間で行ける好立地。とても暮らしやすかったです。
– 東京都内で、1クラス10人という学校があるのは驚きです。
齋藤 桃子さん: はい。校庭でニワトリが放し飼いされている、のんびりした小学校でした。私たちが暮らしていた場所は、埼玉県との県境に近い、青梅市の西部に位置する山間の集落でした。都市計画として、新しい家を建てることができない調整区域だったので、新しい人の流入がほぼなく、たまたま賃貸物件を見つけることができてラッキーでした。
– 東京郊外暮らしを満喫されてた中で、2024年4月に那須塩原に移住されたのはどうしてでしょうか?
齋藤さん: 理由は2つありました。まず1つ目が、森の中での暮らしへの憧れ。2つ目は、雪の降る場所で暮らしたいという要望でした。
まず森についてですが、青梅市で住んでいたのは山間部だったのですが、東京の山というのは、江戸に木材を供給するために、スギとヒノキの山で構成されています。つまり常緑樹のため、季節の変化というのを感じづらかったのです。美しい四季の移ろいをより強く感じたい。春の芽吹き、紅葉、冬枯れの木立。圧倒されるような広葉樹の森のなかで、四季を感じて暮らしたい。私たち夫婦はもともとハイキングやトレッキングをするのが趣味で、自然の森への憧れがあったんです。
そして、雪については、幼い頃から雪と触れ合って育ってきた夫の要望です。私は温暖な地域の生まれなので、当初雪のある暮らしは想像ができなかったのですが。
※雪の日
– では、移住先の条件は、「広葉樹の森」と「雪」ということだったわけですね。移住の候補地は、那須塩原以外にありましたか?
齋藤さん: はい。青梅市に郊外移住する時から、地方移住は視野にいれていたんです。その頃から那須のほか、山梨県の甲府や大月から東京に特急で通うことや、熱海から新幹線通勤なども視野にいれましたが、最終的に、震災の経験も頭にあってなんとか都内から自力で帰宅できること、通勤のしやすさを考慮して、青梅市(最寄り駅:飯能)に決めました。
その後、夫の仕事が完全在宅勤務になったことで通勤を考慮しなくてもよくなり、移住先の条件は、森と雪が降るエリアのみになりました。もちろん、子供の学校のことや交通インフラが整っていて、安心して年を重ねていける場所という細かい条件もあります。2回目は、長野県松本、安曇野、軽井沢も検討しました。
– 最終的に那須塩原に移住先を決めたのはどうしてですか?
齋藤さん:那須には山へ遊びに来ており、雪の降り方含め、気候の変化がつかめていたこと。また、好みのカフェやレストラン、美味しいパン屋さん、素敵な図書館など、家づくりを考えはじめたときには、生活圏含めて土地勘がついていたこと。東京までの距離や、交通の利便性。夫の実家にもほど近く、那須周辺の別荘地の、のんびりした雰囲気が自分たちにあっていると感じたこと。自然と居住利便性、文化的な要素のバランスがよく、既に那須のことを好きになっていたということが決め手になりました。
※那須のカフェ
– 慣れ親しんだ青梅を離れることに心残りや不安はありませんでしたか?
齋藤さん:自分たちの理想の暮らしができる場所にいつか移住するという夢を、当初からもっていたので不安はありませんでした。その夢に向かうことがついに叶ったという喜びの方が大きかったと思います。
息子は移住に対して抵抗感はあったと思います。当時、彼は12歳で、友達と離れるのは寂しかったと思います。けれど、実際住んでみるとやはり楽しいようですね。東京に住みながら、栃木の中学を受験をしたのですが、全校70人の学校から、学年70人に友だちが増えました(笑)。東京の友だちとは、今もオンラインで繋がって遊んでいます。テクノロジーが子ども同士の距離も縮めてくれる時代です。去年の夏休みは、泊まりで遊びに来てくれました。
※子どもと家
40代で理想の家づくり
– 家を建てるのは大変でしたか?
齋藤さん: 私にとって、家づくりは大変ではありませんでした。というのも、私は東京では工務店に勤めていて、モデルハウス企画の経験がありました。家を建てる前に、理想の住まいに長く想いを馳せていたんです。そして、その想いを受けとめてくれるいい建築家に出会ったことも幸いしました。
– 齋藤さんは、こういう環境で、こういう家に住みたいというのを時間をかけて膨らませていったのだと思うのですが、自分の理想を明確に見つけるコツはあると思いますか?
齋藤さん: 難しいですが、家は暮らしの場なので、これまでの自分たちの生活の中にヒントが詰まっていると思います。私たち夫婦は、同棲期間も含め20年選手で、引っ越し歴は三回。幼児期の子育ても終えて、必要とするモノ、広さ、お互いの生活パターンや好みを熟知していたことは、家づくりをとてもスムーズにしました。
– では、フルに楽しめた感じですね。
齋藤さん: はい。リラックスして家づくりを楽しめました。2,30代で家づくりをするのと、40代で家づくりをするのは大きく違うと思います。好みも定まってきますし、本当に必要なものや、優先順位もつけられるようになってきます。色々削ぎ落とされての40代の家づくりということもあって、悩む場面は少なかったと思います。実際、好きなものが詰まっているのに、とてもシンプルな家が完成しました。
※シンプルな家
– 2,30代にたくさんの経験をして理想の暮らしを見極めていくこともポイントになるということでしょうか。
齋藤さん: そうですね。家族が増え、暮らしが手狭になって、という流れで家づくりを検討される方は多いと思いますが、年齢を追うごとに、"なくてはならいもの"というのは、自然と絞られていきます。そして、子育てがひと段落した後の夫婦だけの時間の方が人生では長くなりますよね。家づくりのタイミングを少し後ろにもっていくというのは、自分たちに馴染む住まいを手に入れるひとつのポイントかなと思います。
>>後編へつづく
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