神戸と北海道。都市と田舎のイイトコドリ|二拠点生活という選択肢が叶えてくれた夢

神戸と北海道。都市と田舎のイイトコドリ|二拠点生活という選択肢が叶えてくれた夢
写真提供: 山内 洋子

近年、テレワークの普及やライフスタイルの多様化により、都市と地方の二拠点で生活する人々が増加傾向にあるということをご存知でしょうか。国土交通省の調査によれば、二地域居住等を実践する人は約6.7%に達し、約701万人と推計されているんだとか。また、複数拠点生活を行っている人は全体の5.1%に上るとの報告も。自らの価値観に基づき「暮らしを選ぶ」二拠点生活者たちから、その魅力や課題、リアルな日常を深掘り。理想と現実の狭間で見えてくる「暮らしの選択肢」の今を伝えます。

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今回、お話を伺った二拠点生活者は、神戸と北海道で二拠点生活を送る山内洋子さんです。神戸生まれ神戸育ちの山内さんは、20代後半に一度、田舎への移住を計画。しかし、実家の商売が阪神淡路大震災の影響を受けたことで、移住計画は頓挫することになりました。時を経て、時代の流れが後押しし、20年越しの憧れの田舎生活が二拠点という形で2023年よりスタート。今振り返ってみると、50代で田舎暮らしが実現して良かったと感じているんだとか。何が、そう感じさせるのでしょうか。山内さんの二拠点生活に迫ります。

二拠点生活という選択肢の登場で20年越しに叶った願望

– 山内さんが、二拠点生活をはじめた経緯を教えて下さい。

山内さん: 話は20代後半にさかのぼります。今年で53歳になるので、今から20年以上前ですね。昔からいわゆる「田舎暮らし」に強い憧れがあり、20代の後半に田舎に移住する計画をしていたんです。私は、神戸に生まれ神戸で育ち、25歳で関西で仕事をしていた夫と結婚をした後、何度か引越しをしましたが基本的には神戸で暮らしていました。「田舎に暮らしたい」という願望が昔からあったこと、そして夫が北海道の田舎の人だったということもあり、田舎移住を計画するのは自然な流れでした。ペンションをやる、あるいは夫の実家の農家を継ぐのもありかもね、というような話をしていたんです。ところが、いよいよそちらの方に舵を切ろうかなと思った時に私のほうの実家のサポートをする必要がでてきたんです。阪神淡路大震災は22歳のときでしたが、私の実家は自営業でして震災の影響が数年かけてじわじわとやってきまして、色々な面で両親をサポートしながら生活をしていく状況になったんです。そこで、一旦田舎暮らしというキーワードが消えました。神戸で中古マンションも購入して、自分たちのためにも親のためにも30代は本当によく働きましたね。親には十分に孝行ができたのではないかと思っています(笑)

– 20代の頃は二拠点という選択肢はまだ主流ではなかったこともあるとは思いますが、最初は田舎に完全移住という選択肢だったわけですね。30代では、田舎暮らしへの願望を一度手放した感じだったのでしょうか。

山内さん: 田舎暮らしへの願望は常にありましたね。私はもともと色々なことをしたい、色々なところに住んでみたいっていう欲が強いので、「このまま人生を終えたら親を恨んでしまうかも」と思いました。でもそれは絶対に避けたいので、親のことも自分のやりたいことも、どうにかしてやってやるぞ、と。そんな流れで40代はしっかり働きながらも自分のやりたいことにも意欲的にとりくんでいきました。その中で、ふと二つの拠点を持つことはできないかなと思ったんです。そのときは、具体的にどうすればいいのか分からないことも多かったのですが、二つの拠点での生活というものが実現すれば、田舎暮らしと親のサポートの両立ができるのかも、と思いました。また、田舎暮らしに憧れがあったものの、街育ちなので、もしかしたら街に戻りたいと思うのではないかという心配もあり…。そういったことも含めて、完全に拠点を移す「移住」ではなく「二拠点」に魅力を感じましたね。それからコロナの時期に突入、ここで「二拠点生活」というキーワードを耳にするようになりました。妄想ではなく、二つの拠点を持つということが急に身近に迫ってきた感覚がありました。私は、税務や会計、ファイナンシャルプランニングなど数字を扱う仕事を中心にしていますが、コロナ禍のステイホームをきっかけに、そういった仕事は大半のことがリモートでできるということも分かったので、「これなら二拠点生活できる」と思ったんです。二拠点生活が一般的に受け入れられはじめた時期でもあり、その頃から本格的に二拠点生活を考えるようになりました。

– 20代の頃からの願望を時間をかけて叶えたというわけですね。時代の流れが、山内さんのやりたいことを後押ししてくれたような気もします。

山内さん: そうですね。それは本当にラッキーだったように思います。もしかしたら20代で田舎に移住してしまっていたら、やはり若さゆえに「街に戻りたい」と思っていたかもしれません。うまい具合に、願望を温めて、親のこともがんばった結果、いいチャンスが巡ってきたのかなと思っています。

二拠点生活を継続するために必要な視点

– 北海道以外に、候補地はあったのでしょうか?

山内さん: 最初は、なんとなく長野県あたりで探していました。神戸から車で行けるので。ただ、二拠点先を探しはじめたのが40代おわり頃でしたので、リアルに老後のことを考えるようにもなっていたんですよ。例えば、車に乗れないようになったら、どうやって病院に行けばいいのだろうとか。物理的にも体力的にも長く継続するのが難しいのではないかと思ったんです。長野県に親戚や友人もいなければ、土地勘もないので、余計にそう思ったのだと思います。一方で、北海道だったら夫側の親戚や友人がいますし、二拠点生活を継続できるイメージがしやすかったです。それから、北海道で二拠点先を調べはじめるようになりました。

– 確かに年齢を重ねていく中で、周りに頼れる人がいるのは、精神的に安心できますよね。二拠点をはじめる前にどういった準備をされていたのでしょうか?

山内さん: まず最初はネットで探し当てたお目当ての地域を下見に行きました。ネットで見てるだけじゃ分からない土地のもつ雰囲気を確認したかったんです。土地の空気が合う合わないというのは「肌感」みたいなものがあると思っていて。それをまず確かめるため旅行がてら道南に向かいました。そしたら夫も私もすぐに「めっちゃいいやん!」となりました。環境的にはもちろん、リゾートエリアの中の物件なので、自分たちの体力が落ちてしまっても、管理会社のサポートをしてもらえる状態であることも現地にいったことで実感できました。買えるのはいつになるかわからないけど、そのエリア中の中古物件にしようと心に決めました。準備が整った時に欲しいと思える物件が出ているかどうかは分からなかったのですが、とにかくここがいい、ここにしよう、と思えました。

写真提供: 山内 洋子
写真提供: 山内 洋子

– そこから、金銭的な準備をはじめたわけですね。

山内さん: いや、それが実は予想していたよりも、早く購入することになったので、準備期間がほぼありませんでした。リアルな話ですが、下見にいったときは、神戸の住宅ローンを完済してからでないと難しいなということで5年先を目標にしていました。ところが、下見に行った数か月後、なんということでしょう、夫の北海道赴任が決まりました(笑)それまで西日本中心に単身赴任をしていたのですが、夫が北海道にいることで、そのぶん交通費が浮きます(笑)今だ、と思いました。夫の職場から道南の拠点は遠いので、彼は彼で北海道で二拠点をすることにはなったのですが、もちろん飛行機代に比べたら全然安いです。それに、もうちょっと年齢を重ねてから二拠点をはじめるよりも、体力的にも精神的にも元気な内にはじめた方がお得だと思いまして。金銭的な準備はなかったのですが、急転直下プランニングしました。ちょっと無理してでもこのタイミングを逃したくないと思いました。この波に乗るにはローン以外に道はなかったのですが、上手い具合にセカンドハウスローン(※)が通り、2年半前から二拠点生活がはじまりました。

※セカンドハウスローン: セカンドハウス(別荘・別宅など)を購入する際に利用可能なローン。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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– すごい!お話を伺っていると、本当にタイミングが良かったというか、引き寄せている感じがします。

山内さん: そうですね。やっぱり、20代からの願望を温め妄想を繰り返してきた分、タイミングを逃さずに決断できたのかなと思います。

– その時に売りに出されていた物件の中で、今のご自宅を選ばれた決め手はなんだったのでしょうか?

山内さん: とにかく空気感、そして窓からの景色です。内覧で中に入った瞬間にここだと思いました。昼間はカーテンなど必要なく、窓から見える木々たちを愛でながら過ごせます。築二十年超の中古物件ですが、前の持ち主さんの使用頻度が低く、かつ丁寧に使われていたので購入時リフォームは必要なしでした。雪国なので屋根塗装だけは数年内にすることを計画し、つい先日、外壁の塗装と併せて実施しました。庭はコツコツ改良していってます。

北海道と神戸の違いとは?

– 神戸と北海道の行き来は、どのくらいの頻度でされていますか?

山内さん: 半分半分を目指しているんですが、大体神戸6割、北海道4割といったところでしょうか。神戸では仕事のかたわら、親の様子を見に行ったり、習い事をしたり、あとは仲のいい友人との時間も大切なので、人と時間を共有することが多いです。北海道では、夫が週末帰ってくる以外は、本当にひっそりしっぽり孤独を楽しんでいます。マイペースに仕事をしたり絵を描いたり、なかなか神戸では進まない読書もはかどります。どちらも自分には欠かせない時間で、両方あることで心のバランスがとれているように感じます。神戸は海のそばのマンション、北海道は森の中の一軒家という違いも楽しめています。

– いいですね。北海道にはすぐに馴染めましたか?

山内さん: そうですね。夫が北海道出身なので、北海道の文化にはある程度馴染みがあったので、特にカルチャーショックということもありませんでした。すんなり溶け込めたと思います。強いて言うなら、トイレが汲取り式だったことでしょうか。これは北海道だからというよりかは、場所的にたまたまそうだったというだけですが。夫の実家ももともと汲取り式のおうちでしたが、親がしてくれているので夫も何も要領がわかっておらず。初めて汲取りを依頼したときは、値段が分からずドキドキしましたが大した金額ではなく安心しました(笑)

– 今の時代、都市に住んでいたら、なかなかない体験ですね。北海道と神戸で、一番違うと感じることはどういったことでしょうか?

山内さん: あくまでの私の主観ですが、北海道の人はいい意味で、執着がないと感じます。そこは、関西と違うなと思いますし、そこにすごく憧れますね。関西とかだと、例えば代々受け継がれてきたものを守ろうとか、苗字や商売を残さないと、とか。いいとか悪いとかではなく、そういった執着というか守ろうとする文化のようなものがあると思うんです。一方で、北海道の人には、必要でなくなったらあっさりと手放せるような、どこか割り切りの早さというか、潔さを感じます。戦前から移住者が多く、異なる背景を持つ人々が集まって暮らしてきた歴史があるので、互いに折り合いをつける感覚が根付いているのかもしれません。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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– 確かにバックグラウンドが違う人が混ざりあった複数文化で成り立ったコミュニティーでは、違いを認め合い、受け入れる姿勢がないと成り立たないことも多いでしょうね。

山内さん: そうですね。加えて、自然の本当の脅威というのを知っているということもあると思います。都会や町中にいると人間の力である程度どうにかなると思ってしまうような、おこがましさみたいなのがあるような気がします。少なくとも私にはそういう節があるな、と。例えば電車が遅延したら「え?なんで遅れるの?」と思ってしまったり、どうにかしたら目的地に辿り着けると思いがちです。けれど、北海道の人は普段触れている自然の脅威のレベルが違うので、「それは、しょうがないよね」と割り切れる人が多いような気がします。すごく昔の話ですが、自分たちの結婚式を神戸でとりおこなったとき、真冬だったので、夫の母親から「雪が吹雪いたら飛行機とばないから行けないけど、気にせず進めといてね」といわれました(笑)諦めるというか、人間の力ではどうしようもないというのを受け入れることができてるんだと思います。

– その土地の環境によって、人柄というのも変わってくるということでしょうか。北海道に住むようになってから、神戸に対しての見方は変わりましたか?

山内さん: 生まれも育ちも神戸だったので、これまで気付かなかった良さに気づけるようになりましたね。例えば、神戸のマンションは、歩いて数分のところに海があるんです。太平洋でも、瀬戸内の海は、すごく穏やかなんですよ。その景色は、見ていてとても気持ちが和みますね。また、街の便利さや安心さというものも感じるようになり、当たり前じゃないのだな、ありがたいことだなと思うようになりました。それから、自分の母親もそうですが、知らない人にすぐ話しかける(笑)そういった違いも改めて面白いなと感じています。

>>>後編へ続く

【プロフィール】山内 洋子

1972年、神戸生まれ神戸育ち。

2023年より、神戸⇔道南 二拠点生活をスタート。

ファイナンシャルプランナーなどの数字の仕事をメインに、30代からは絵の制作もコツコツ。木版画の作品が菓子箱のパッケージに採用されたり、たまに仕事に結びつくことも。今後は絵の制作にも注力していく予定。来年は東京で二人展、神戸で個展を予定。詳細は、Instagramにてお知らせ予定。

Instagram: @yamauge45
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