最近、働きすぎてない…?「過労とストレスのサイクル」を断ち切るヒント

 最近、働きすぎてない…?「過労とストレスのサイクル」を断ち切るヒント
Tias Little
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「ハードワーカー」な自分を受け入れて統合する

古くから祖先や文化遺産が作り出してきたものが、私たち一人一人の皮膚や骨や肉にDNAのようにたくさん刻み込まれていると思います。私たちがヨガや気功などの東洋の慣習を初めて受け入れる時というのは、個人の歴史アーカイブ情報から脱却を試みます。プラクティスの前半は、見た目の格好から入り、専門用語を口にし、異国のエキゾチックな儀式を行います。そして、プラクティスの旅の後半は、自分のホームに立ち返り、自分が合意してきた自分の過去の歴史を紐解く必要があります。ハードワーカーな自分と向き合うというチャレンジは21世紀のジレンマに限ったことではありません。

八正道によれば、正しい努力のためには頑張りすぎないことが重要である一方、ナマケモノや冬眠中の動物のようになってもいけません。ブッダは過度に努力することの落とし穴をよく知っていました。そしてブッダは精神的な探求を始める時、極度の厳格さと自己処罰の試練を経験しました。彼はタパス(禁欲主義)を通じて自らの意志により、自らの体と心に打ち勝とうと試み、断食、プラナヤマ、ヨガを通して、彼は自己犠牲の瀬戸際に身を置きました。精神的にきついプラクティスに取り組み、それに耐えた後、彼はミドルウェイ(中庸)、つまりはどっぷりと感覚的な快楽に浸るのでもなく、激しく骨が折れるようなプラクティスをするのでもなく、ちょうど中間の状態を見出したのです。

マットの上であろうとなかろうと、1日のうちに正しい努力をするには、一瞬一瞬自分との交渉が必要です。私たちは自分自身に尋ねなければいけません。疲れすぎてないか?あまりに受け身の状態ではないか?適切な努力(もしくは、バランスの良い努力、というのが私は良いと考えています)とは、いちいち立ち止まって確認して前に進むような習慣ではありません。私たちは、運動、勉強、子育て、上司とコミュニケーション、皿洗いなど様々なことを実行する上でバランスを取りながら努力をしなければいけません。そしてヨガにおいては、すべてのポーズ、すべてのプラナヤマの呼吸、そして瞑想中に沸き起こる様々な思考を静めるため、適切な努力の中間点を模索する必要があります。

日常生活の中で適切な努力を実現することは、健康にとって非常に重要です。ヨガをしていないときでも、私たちは頑張りすぎるとストレス、不安、疲労を感じやすくなります。一方、努力不足で自らを活かしきれない場合、自らの可能性を実感できないかもしれません。巧みな行動とは、高い注意力とリラックス、そしてしなやかな強さと柔軟さの間の繊細なバランスを必要とします。適切な努力には、熱意、集中力、忍耐力、柔軟さが必要です。

適切な努力を通じて、私たちは自己中心的な状態では決して想像もできない人生の旅の一部へと足を踏み入れます。掴んで手に入れたい、こうなりたい、といったものはその領域には存在しません。心を空っぽにして意識を集中し、私たちは定義付けを避け、言葉で表現することができない今に集中します。それは不思議で柔軟な状態で、定義からは常に遠くかけ離れた状態です。広大で不思議なオープンスペースで満たされているかのようです。

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By TIAS LITTLE
Translated by Hanae Yamaguchi



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