「病の犠牲者になる必要なんてない」慢性疾患を受け入れることができた理由とは

 「病の犠牲者になる必要なんてない」慢性疾患を受け入れることができた理由とは
yogajouranal US

ヨガジャーナルアメリカ版編集部は大学生の読者を対象に、ヨガが与えてくれた人生へのインパクトについて調査を行いました。エミリー・クルクさんは子供時代、友達と遊び、走り回る代わりに病院に時間を費やしていました。今回、彼女はリウマチ性関節炎の診断を受けた際、ヨガを通じて再び手に入れた心の平穏、そして体を動かす喜びについて語ってくれました。

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話すことさえ疲れを感じた幼少時代

幼かった頃、年齢の近い友達が休暇中のロードトリップについて話している時に何のことか私には理解ができませんでした。何故なら私がしたことのあるロードトリップといえば、両親と共に異なる様々な医師を訪問することだけだったからです。やがて、何故自分は体育の時間に他の子供たちのように走ることができないのか疑問を持ち始めました。一見元気そうな時でさえ、「今日はただちょっと気分が良くないだけ」と説明しても自分の周りの誰一人同情してくれなかったことが不思議でなりませんでした。1年間、様々な検査や解析、診断そして誤診などを経て、ついに10歳のとき、リウマチ性関節炎という最終的な診断が下されました。当時のわたしは、この病気のせいで人生の半分を壊されたように感じていました。

診断が下る前の夏、話すことさえあまりにも疲れるため、居間のソファで過ごしていました。唯一の訪問者といえば、末梢挿入中心静脈カテーテル(ピック)を介して投薬を行うために毎週訪ねてくる在宅看護師だけでした。

新しい服を買いに行くよりも頻繁に新しいニーブレース(膝関節のサポーター)を選びに出かけていました。たくさんの時間、この病気に苦しまされ、その時間と同じくらい、この病気から逃げ回りました。

毎週の薬投与の日の話題になると、私は両親を避けていました。誰も本当の意味で私や病気のことを理解できるとは思えなかったですし、どうせ「リウマチって年寄りによくある病気?」なんて言われるだけだろうと、友人たちに事実を打ち明けることは避けていました。リウマチ性関節炎のせいで、早く大人になりたいと願うごく普通の人生は私にとって遠い存在となり、社会的に孤立するようになりました。高校生活時代も、リウマチ性関節炎のせいで鬱々とし、不安を感じ、全く救いようのない状態でした。

精神的な痛みと肉体的な痛みを解放してくれたヨガ

大学2年生になる直前、私は「この慢性疾患の犠牲者になる必要なんてない」ということに気がつきました。それはまさに私がヨガに出合ったときでした。

ヨガマットに初めて足を踏み入れたとき、それは他の初めての体験とは違っていました。この日の朝、胸の圧迫感と激しい頭痛、そして絶望感で目が覚めました。残念なことに、こういった症状というのは、この慢性的で進行性の病気にはつきものであり、私にとっては「普通」の状態でした。私はとにかくこの痛みをどうにかしたいという一心でしたが、走ってもただ疲れ果ててしまうだけでした。しかし、横たわっていても良くなるわけではありませんでした。

「不安を和らげるヨガ」のビデオをオンラインで検索してみると、すぐに様々なクラスやインストラクターの情報が集まりました。私はその様々な情報の中から異なる幾つかの呼吸法と穏やかなポーズを紹介しているあるビデオを選びました。そしてすぐに精神的また肉体的な痛みから解放されました。ヨガを試した直後に得たホッとする感覚は奇跡でした。翌日には別のビデオを試してみることにしました。すると間も無く、新しいヨガビデオを検索し、プラクティスの結果得られるポジティブな変化を見ることが私にとって毎日の楽しい時間となり始めました。ゆっくりと、私の身体の重さが解き放たれていきました。そして徐々に自分自身をコントロールする能力を取り戻し始めたのです。

大学に通いながら、ヨガを続けるのは容易ではありませんでした。これまでの人生で、私は植物を2週間以上元気に育てることさえできませんでした。つまり、そんな私が学業をしながら、どうやって自分自身のバランスを保つことができるのだろうか?という疑問があったのです。5教科の宿題が勉強机に積み上がっている状態で、瞑想のセッションに集中するなんて私には難しかったのです。戦士のポーズⅡをしている最中に限って、ルームメイトが頻繁に訪ねてくるのです。ヨガマットを広げようとすると不意の出来事が起きてしまったり、今日はヨガするエネルギーがないと感じてヨガマットを広げた直後に巻いたりしてしまうこともありました。

しかしながら、ヨガをするとリウマチから解放された気持ちになれるので、毎日ヨガのプラクティスを続けています。理想的で完璧なヨガプラクティスを目指すにはあまりにも複雑な状況を抱えていますが、自分のプラクティス方法を帰るつもりは全くありません。「ヨガは必ずしも完璧である必要はない」と信じています。

大学時代のヨガとの出会いによって、私は全ての物事に感謝する気持ちを学びました。例え、部屋のベッドとベッドの間の狭いスペースでも、シャバーサナをしている時に騒音が聞こえて心をかき乱されても、様々な妨害から自分の呼吸に集中する気持ちに戻ることができるようになりました。

最も大切なのは、ヨガは私に自分自身を見つけるというギフトを与えてくれたことです。ちなみに多くの大学の友人たちはそれに憧れています。執筆作業にクリエイティブなインスピレーションが欲しいときにヨガをしたり、授業中に少し真っ直ぐ座らなければいけないときに呼吸法を行ったり、ついていない日はマットの上に立って辛い気持ちを解放したりしています。

ヨガを通じて、自分自身の新たな一面を発見し続けています。そして私は果てしない人生の旅に深く感謝しています。

教えてくれたのは…エミリー・クルツさん
ニュージャージー州在住の現役大学生。

ヨガジャーナルアメリカ版/「How Yoga Helped Me Accept My Chronic Disease

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Translated by Hanae Yamaguchi



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