ご先祖さま探しで見つけた、京都・瑞泉寺との浅からぬご縁(3)木星がひとめぐり、三たび瑞泉寺へ
女性の人生の中で心身が大きく変化する”更年期”…何でも、日本女性がもっとも落ち込みやすいのは49歳だという統計もあるとか。でも、わたしは、50歳前後の複雑なはずの時期、自分の年齢をまったく気にせず、元気に過ごしてしまいました。むしろ京都に移住する前の40代半ばのほうがつらかった気がします。うまく切り抜けられたのは、京都に住んだおかげだったのかもしれない…と50代に入って数年経った今、すごく思うのです。この連載では、そんなわたしが40代、京都で見つけた「幸せの秘密」を探っていきたいと思います。
(1)と(2)では京都の瑞泉寺とのご縁についてお話ししてきましたが、京都に移住後は、瑞泉寺に訪れることができずにいました。
と言うのも、京都移住の数年前、2014年頃には母方のご由緒を見る機会があり、ルーツは、明智光秀や赤穂の浅野内匠頭といった歴史上の人物と同じ土岐源氏だったとわかっていました。母方の筋は、室町時代の土岐氏の跡目争いのあと遠江に逃げ、そこでまず松平家に仕えたそうです。のちの徳川家ですね。母方の惣領家の初代となる人物は、もともと松平信康に仕えていたのですが、信康が織田信長によって自害に追い込まれた後、浜松でお酒造りをしていたとか。〝冷酒清兵衛〟と言って、家康にお酒をふるまったという逸話の残る人物です。その弟の子どもがわたしの直系の先祖で、家康と秀吉が近づいている期間に秀吉に仕え、1000石をもらっていたのですが、もともとが家康譜代なので関ヶ原後も助けられ、足守のねねさまの家に仕えたのだそうです。さらに、5代藩主の木下公定の時代にはお殿さまが側女に生ませた息女が北面武士の養女となって、うちにお輿入れをしていたので、わたしにもねねさまの血が入ってしまっていたのでした。「なぜ家臣なのに、わたしの血の呪いになるのだろう」という疑問もこれで氷解しました。時代が下って、高祖父の代で明治維新となり、お殿さまについて東京に出てきたことなどが事細かに書いてありました。
まとめると、明治、大正、昭和という時代を経て、母方はすっかり没落し、わたしたちは先祖の物語など忘れ切って生活していたのです。でも、先祖崇拝の概念を沖縄で知ったわたしがその扉を開けてしまい、見えそうで見えないご先祖ミステリーに夢中になっていたわけです。でも、はっきり見えたことで、逆に気が抜けたようになり、京都に拠点を移した頃にはすっかりご先祖さまへの情熱がなくなっていたのですね。また悲しい場所である瑞泉寺にはそう頻繁に行くものではないと思っていたのもあります。自分自身が入籍し、仕事と家事に追われていたのもあるでしょう。それでもお姫さまたちのことは、どこかで気になりながら、いつのまにか瑞泉寺を訪れてから、木星がひとめぐりするくらいの時間が経っていました。
でも、2023年の秋のこと。取材帰りに初めて瑞泉寺を訪れたときに一緒だったKさんという女性から、京都・永観堂(浄土宗西山禅林寺)のイベントに突然、誘われたのです。鎌倉在住の彼女とはパンデミックの間はお会いできなかったので、4年か5年ぶり。浄土宗を法然上人がひらいてから850年に当たり、読経とお能の奉納があるということでした。行ってみると、読経のメンバーにはなんと瑞泉寺の現在のご住職、中川龍学さんのお名前が。瑞泉寺が永観堂の末寺というご縁だったようです。
お能の奉納は、「安田登とノボルーザ」のメンバーで行われました。十数人のお坊さんによる読経はソウルフルでライヴのようでしたし、演目は、「法然上人と室戸の遊女」という傷ついた女性性を法然上人が慰めるもの。どちらも本当にすばらしいものでした。「傷ついた女性性の癒し」とは、秀次事件のお姫さまたちを祀る瑞泉寺の精神そのもののようでもありますし、それを初めて瑞泉寺を訪れたときに一緒にいたKさんと見ていることも、「初めと終わり」がひとつである、インフィニティ(無限大)のスパイラルをめぐっているような気分になったものです。
不思議なことが続くときは続くもので、10月から11月にかけて、近江八幡でワークショップがあるから行くという読者さんや近江八幡在住の読者さんがセッションにおいでになりました。さらに、12月初旬には近江八幡出身の老婦人に書店で声を掛けられ、ご自宅に遊びに行ったりもしたのです。近江八幡は、秀次と縁の深い場所なので、「ここまで続くということは、一度、瑞泉寺を訪問し、ご住職にご挨拶しなくてはいけないかな」と思うようになりました。とは言え、突然に訪れて、こんな話をするのもどうなのかと逡巡しているうち、日々は過ぎていきました。
ようやく重い腰を上げて、瑞泉寺を訪れたのは、2023年の年も押し迫った頃。なぜわたしが瑞泉寺に呼ばれたのか、その理由がわかることになるのです。
→【記事の続き】ご先祖さま探しで見つけた、京都・瑞泉寺との浅からぬご縁(4)呼ばれた理由は「秀次イヤー」のため、はこちらから。
文/Saya
東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『占星術ブックガイド〜アストロロジャーとの対話集〜』(説話社)他。
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Instagram @sayastrology
写真/野口さとこ
北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
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AUTHOR
Saya
アストロロジー・ライター。東京出身、京都在住。早稲田大学卒業後、ライフスタイルの編集者を経て、アストロロジー・ライターに。「エル・デジタル」、「LEEweb」の星占いも好評。現在は、京都で夫と二人で暮らし、星を読み、畑を耕す傍ら、茶道のお稽古と着物遊びにいそしむ日々。新刊、『占星術ブックガイド〜星の道の歩き方、アストロロジャーとの対話集〜』(5500円/説話社)が好評発売中。
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