ご先祖さま探しで見つけた、京都・瑞泉寺との浅からぬご縁(1)・ 先祖は、豊臣家の家老だった!?

 ご先祖さま探しで見つけた、京都・瑞泉寺との浅からぬご縁(1)・ 先祖は、豊臣家の家老だった!?
Saya
Saya
2024-07-06

女性の人生の中で心身が大きく変化する”更年期”…何でも、日本女性がもっとも落ち込みやすいのは49歳だという統計もあるとか。でも、わたしは、50歳前後の複雑なはずの時期、自分の年齢をまったく気にせず、元気に過ごしてしまいました。むしろ京都に移住する前の40代半ばのほうがつらかった気がします。うまく切り抜けられたのは、京都に住んだおかげだったのかもしれない…と50代に入って数年経った今、すごく思うのです。この連載では、そんなわたしが40代、京都で見つけた「幸せの秘密」を探っていきたいと思います。

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みなさんは、自分が今住んでいる土地とのつながりを考えたことはあるでしょうか。先祖代々住んでいる。大学で東京に出てきたから。仕事でたまたま。さまざまな理由があると思います。東日本大震災をきっかけに東京を出て、沖縄に。さらに京都へと流れ着いたわたしですが、新天地にやってきたようで、実は、戻ってきたようでもある。そんな、京都へとわたしをいざなった因縁について、今回はお話ししてみたいと思います。

子どもの頃、母方は江戸時代、岡山の小藩の家老だったと聞いたことはありましたが、当時のわたしには平安時代と変わらないような、遠い昔のことに思えていましたし、とくに興味もないことでした。それが今から17年も前の2007年のことになりますが、30代も後半になって、沖縄の斎場御嶽や久高島という聖地の取材に出かけ、沖縄に残る「先祖崇拝」の概念を知ったとき、「人のことばかり聞いている場合ではない。わたしの先祖は何をしていたんだろう」という問いが心に宿りました。以来、両親のルーツを聞き書きしたり、戸籍謄本を取ったり、母の姉の「備前足守藩って、お墓に書いてあったわよ」という言葉を頼りにネットで調べたり。少しずつ、ご先祖の物語が紐解かれていきました。

野口さとこ

驚いたことには、備前足守藩は、豊臣秀吉の奥方のねねさまの実家、木下家が藩主だったとあります。木下家の本姓は豊臣。「江戸時代とは言え、豊臣家の家老だったの?」と驚いていると、2009年頃でしょうか、『エル・オンライン』(現在の『エル・デジタル』)のわたしの星占いの読者の方から、「このサイトを見てほしい」というメールが届きました。指定されたサイトを見に行くと、俗に言う「秀次事件」について書かれた記事でした。秀次とは、秀吉の甥の豊臣秀次のこと。実子が生まれ、秀次を疎んじるようになった秀吉の命で、秀次が高野山で自害に追い込まれ、側室や子どもたち39名が京都の三条河原で殺された、悲しい事件です。関白の側室になるために全国から集められた、若く美しいお姫さまたちが犠牲になったことで、霊的に京都の町の人たちのトラウマになっているという内容でした。

送り手は、わたしの先祖がねねさまの家に仕えていたなんて、知る由もないのです。不思議な偶然に胸打たれながら、「実は、わたしの母方は江戸時代、ねねさまの家の家老だったようなんです。ねねさまが養女だった浅野家が愛知県の一宮にあったらしいのですが、父方も、ルーツは一宮や多治見のあたりにつながるらしいので、ねねさまつながりの記事をとても興味深く拝見しました」と返事をすると、なんと送り手はまさにその一宮に住んでいるとのこと。パソコンの向こうとこちらで、ふたりとも固まってしまったことでした。

不思議なことは続くもので、2010年の秋になって、足守(現岡山市北区)を訪れると、今度は、ねねさまの子孫だという方に偶然お会いしました。その方のお招きで、ねねさまが創建した京都・高台寺の法要にお邪魔することになり、高台寺からもほど近い、三条のホテルに泊まったところ、なぜか寝苦しい。そして、東京に戻ると、あるヒーラーさんのセッションが待っていました。

野口さとこ

これも本当にたまたまですが、彼女が「浄化」なるものをすると聞いて、京都に行く前に予約していたのです。わたしがベッドに横になると、目をつぶった彼女は「河原でたくさんの女の人と子どもが殺されている。それがさやちゃんの血の呪いになっている」と言うではありませんか。思い当たるのは秀次事件です。「尼さんが高野山に行くように言っているよ」に至っては、ねねさまがわたしにメッセージを送っているのだろうかと背筋が凍る思いでした。

→【記事の続き】ご先祖さま探しで見つけた、京都・瑞泉寺との浅からぬご縁(2)秀次事件のお姫さまたちを癒さなくちゃ、はこちらから。

文/Saya

東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『占星術ブックガイド〜アストロロジャーとの対話集〜』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram     @sayastrology

写真/野口さとこ

北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
ホームページ satokonoguchi.com
Instagram  @satoko.nog

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アストロロジー・ライター。東京出身、京都在住。早稲田大学卒業後、ライフスタイルの編集者を経て、アストロロジー・ライターに。「エル・デジタル」、「LEEweb」の星占いも好評。現在は、京都で夫と二人で暮らし、星を読み、畑を耕す傍ら、茶道のお稽古と着物遊びにいそしむ日々。新刊、『占星術ブックガイド〜星の道の歩き方、アストロロジャーとの対話集〜』(5500円/説話社)が好評発売中。



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