ご先祖をたどって気が付いた、京都での「巡り合わせ」【連載|京都で見つけた幸せの秘密vol.12】

 ご先祖をたどって気が付いた、京都での「巡り合わせ」【連載|京都で見つけた幸せの秘密vol.12】
写真/野口さとこ
Saya
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2024-09-18

女性の人生の中で心身が大きく変化する”更年期”…何でも、日本女性がもっとも落ち込みやすいのは49歳だという統計もあるとか。でも、わたしは、50歳前後の複雑なはずの時期、自分の年齢をまったく気にせず、元気に過ごしてしまいました。むしろ京都に移住する前の40代半ばのほうがつらかった気がします。うまく切り抜けられたのは、京都に住んだおかげだったのかもしれない…と50代に入って数年経った今、すごく思うのです。この連載では、そんなわたしが40代、京都で見つけた「幸せの秘密」を探っていきたいと思います。

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7月には京都の瑞泉寺とのご縁について、書かせていただきました。そもそも、母方が豊臣秀吉の奥方、ねねさまにつながるということは、高台寺とも縁は深いことになるのですが、実は、京都のお寺とのご縁は他にもいろいろあることに、移住後、気づくことになりました。

ひとつには母方の菩提寺が広尾の天現寺なのですが、臨済宗大徳寺派だったこと。ご存じの方も多いとは思いますが、京都・紫野の大徳寺が本山です。大徳寺と言えば、千利休と縁が深いわけですが、京都でお茶を習い始めてから、「母方の天現寺もそうだったな」と気づいた次第。実家のお墓があるのは、臨済宗建長寺派のお寺。本山は鎌倉ですけれども、建長寺の現在の管長の方は、京都の建仁寺で修行を積まれたとか。

建仁寺もお茶を日本にもち帰った栄西禅師がひらいたお寺ですし、実は、今、わたしが借りている貸し農園の管理人のおばあさんが建長寺の菅長と古い知り合いで、畑でできたみかんを毎年、送られているのです。そのみかんをわたしもお裾分けいただくことがあるのですが、仏さまにいただいているような気持ちになるのですよね。お墓と畑という自分にとっては大切な場所が建長寺につながる。もともと建長寺との縁があったから、畑にめぐりあえたような気もしてくるというものです。

野口さとこ

さらにさかのぼると、まだまだ出てきます。母方は岡山の武家だったのですが、北面武士の養女となって、江戸時代にお嫁に来た女性の母親が京都の小笹という家の生まれだとご由緒にあったので、「小笹」という氏を調べてみると、右京区の資料で、上京区の千本釈迦堂(大報恩寺)の庄屋だとありました。大根焚きやおかめ信仰などで有名なお寺ですね。宝物館の仏像も、最近、国宝になっています。お堅い武家だけよりも、庄屋の娘も混ざっているほうが自分としてもしっくり来る。これも京都に来てから気づいたのですが、不思議な心地となりました。また母方の武家では江戸時代に右京区の仁和寺や左京区の聖護院というふたつの門跡の普請もしています。

母方はお殿さまと縁続きなのですが、お殿さまは現実に動くことはないだろうから、きっと家老のうちの先祖がやったんだろうなあと思うと、仁和寺や聖護院に行くときにもなんとはなしに近しい気持ちがしてくるというものです。実は、わたしの中高の修学旅行はどちらも京都だったのですが、宿泊先は2回とも聖護院御殿荘(聖護院門跡の境内にある宿)だったのです。「何で聖護院にしか泊まれないの?」と昔から笑い話にしていたのですが、仏縁はまさかそんな早くからあったのでしょうか。

さらに、母方のご由緒をたどっていくと、土佐法印という徳川家康を合戦で助けたという三河鳳来寺の僧侶や高野山真言宗の岡山のお寺の大僧正など、もう坊主ばかりがいます。さらに、母方と同じルーツの一族には幕臣の寺社奉行などもおります。ただ真言宗に修験道に臨済宗と、あれこれありすぎる嫌いはあるのですけども(父方となると、浄土真宗まで入ってくるのです)、30代に東京から京都に遊びに来た折りには、冗談だとは思いますが、「人形寺(上京区の宝鏡寺。臨済宗のお寺)の門跡にならないか」と誘われたことまでありました。

野口さとこ

現在のわたしはとくに熱心な仏教の信者ということはないですし、東京時代は、仏教の宗派などほとんど気にしていなかったのですが、一種の仏縁と言いますか、法事のときしかお世話にならない程度でも、仏さまが結んでくださるかのようなめぐり合わせというものは、そこここにあるものだなと思います。

こうして、なにごともなく京都に住むことができるのも、そうした仏縁のおかげもあるかもしれません。恋愛や結婚に限らず、仕事や人間関係においても、実は仏縁はあるのではないかと感じています。京都にいらしたとき、実家のお寺の本山があれば、訪れてみるのもいいかもしれません。江戸時代までのお寺というのは役所のような働きをしていたらしいですし、地域の中心でもありましたから、宗教や宗派ごとに価値観や精神が違うこともあるもの。仏縁をたどってみると、似たような価値観の人たちに出会えることもある気がするのです。

文/Saya

東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『占星術ブックガイド〜アストロロジャーとの対話集〜』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram     @sayastrology

写真/野口さとこ

北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
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Instagram  @satoko.nog

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アストロロジー・ライター。東京出身、京都在住。早稲田大学卒業後、ライフスタイルの編集者を経て、アストロロジー・ライターに。「エル・デジタル」、「LEEweb」の星占いも好評。現在は、京都で夫と二人で暮らし、星を読み、畑を耕す傍ら、茶道のお稽古と着物遊びにいそしむ日々。新刊、『占星術ブックガイド〜星の道の歩き方、アストロロジャーとの対話集〜』(5500円/説話社)が好評発売中。



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