性的虐待に終止符を!経験者が語るヨガ界の#Timesup
ジュディス・ハンソン・ラサター(リストラティブヨガと応用解剖学を指導。元ヨガジャーナル編集者)
私自身、何回もセクシャルハラスメントを受けていて、強姦未遂の被害にまであっている。ただ、ヨガを行っている最中に受けた被害は一件だけだ。それはパタビジョイスによるものだった。1990年代の後半、パタビジョイスはサンフランシスコに来て指導していた。ターダーサナ(山のポーズ)から後ろ向きに倒れていってウールドゥヴァダヌーラーサナ(上向きの弓のポーズ)に移る練習をしていた時のことだった。パタビジョイスは私のところにやってきて、アシストしながら自分の恥骨を私の恥骨に押し当てたのだ。彼の男性器がしっかり感じられた。パタビジョイスは私にこの練習を3、4回繰り返させた。最後の1回を終え、体を起こして周囲を見回すと、一緒にレッスンを受けていた3人の生徒が呆然として私の方を見ていた。
私に起きたことは、ほかの多くの女性にも起きていると思う。あの時はあまりにもショックで、まず自分を疑った。「あんなことが本当に起きたのだろうか」私は言葉も出せず戸惑った。後悔しているのは、すぐに部屋を出ていかなかったことだ。あんなことをされた後もクラスにとどまってしまったのだ。ジョイスが次に私に指示したことは、膝を痛めそうなことだった。私は「ナマステ。無理です、グルジ、無理です」といった。するとジョイスは私の頭を殴って、「ダメな女だ」と言った。
パタビジョイスにはあの日以来一度も会うことがなかった。それから何年か経って、パタビジョイスが女性をアシストしている写真やビデオを目にしたとき、あれは性的暴行だったと認識した。自分が性的暴行を受けたのだと悟った。私は長い間その体験に蓋をしてきた。そしてほかのあらゆる問題もそこに隠してしまった。その当時、私の男性の先生はB.K.S.アイアンガーだった。アイアンガーはそのようなことをいっさいしなかった。だから、私はアイアンガーを信用した。当時も今も、ヨガスタジオとヨガマットは神聖な空間だと信じている。だからその境界線を越えることは、女性にとって二重の苦しみとなる。
「まず自分を信頼しなさい」これは、私が今クラスで繰り返させているマントラだ。生徒たちには、このマントラを頻繁に繰り返してほしいと話している。そして、みんなでこのマントラの意味について話し合っている。私たちは直感に耳を貸して、自分の内なる叡智から湧き上がってくる感情に注意を払わなければならない。それらを無視してはならない。私たちの文化では、さまざまなねじれた理由から女性は直感を無視するよう教え込まれている。私たちは直感に従うと、失礼で愚かな人間だと思われるかもしれないと恐れている。「そんなことありえない。だって、あの人のことよく知っているもの」何か怪しい行為があったとき、私たちは自分にこう言い聞かせてしまう。もしあなたもそうだったら、リスクが少ない環境で直感を働かせる練習をするところから始めよう。たとえば、新しいタイヤを買うという状況だ。ゆっくりとタイヤのお店に入っていきながら、自分の直感が何と訴えてくるか耳を傾け、それに従ってすぐに行動を起こそう。こうすると、ヨガをしている時に何か違和感を覚えたら「No!」と言えるようになってくる。
アランナ・ゼーベル(AZIAMヨガの創設者でヨガバレエの考案者)
数年前、私はヨガのインストラクターと熱烈な恋愛をした。ここではその人をリックと呼ぶことにする。最初、私は恥ずかしくて言い寄ってくるリックを避けていた。ただ、リックが私に注いでくるエネルギーに惹かれたのも事実だ。リックは一目置かれたインストラクターであった。そのリックが私に興味をもってくれた。私は夢中になった。
リックはレッスン中、私のマットの周りをうろついて「アジャストメント」を加えながら私の体を官能的に撫でた。最初のうちはうれしかったのだが、若者特有の注目されたい気持ちから、それが権力の乱用であると論理的に理解することができなかった。それほど成熟していなかったし、そう断言する自信もなかった。リックのレッスンを終えるといつもむなしい気持ちになって混乱したが、私はこの関係にしびれていた。
次第に、リックはレッスンのなかでますます性的な行為をするようになってきた。ほかの生徒がいることを気にかけないといってもいいほどだった。合せきのポーズをしていると、リックの手が私の陰部に滑り込んできた。ねじった三角のポーズでは、片手でお尻を、片方で胸を撫でてきた。リックに惹かれて興奮していた気持ちはやがて、混乱と不安に変わっていった。このように接近してくるリックに対して次第に体がこわばるようになり、とても苦しく感じるようになってきた。リックはこちらをギロっと見て、彼の求めに応じないことに罪悪感を感じるように仕向けてきた。リックの意識的な性的行為も、相互理解も、リックの誘いに合意することも、すべてありえないことだということが明らかになった。
ある日、関係を絶とうと決めた。この無言の圧力とコントロールのゲームを終わりにしよう、痴漢行為に応じない私を辱めてくる男性のことで苦しく思うのを終わりにしよう、自分の行為に対する説明責任を全うしない人を見続けるのを終わりにしようと決めたのだ。その日、レッスンの前に体を触らないでほしい、あなたにはもう興味がないとはっきり伝えた。すると、レッスンの中盤で、マットの前方でヘッドスタンドをしている時にリックに突き倒された。リックは私のマットを窓から投げ捨てると、出て行けと言い放った。
時間をかけて深く内観した結果、自分を思いやれるようになったことはとても意味があった。このような話題を公の場に持ち出せるようになったことをとてもありがたいと思う。過去の(そして現在の)不適切な行為は、私たちの今のヨガの一部となっている。教える側も学ぶ側も、女性も男性もみんながこの問題への理解を深めるほど、いっそう明るい道を共に切り開いていくことができるだろう。
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