弱いからじゃない。がん診断後の不安を理解し、上手につき合う方法【精神腫瘍学の専門家がアドバイス】
がんと診断されると誰もが動揺し、経験したことのない不安にかられます。苦しみを一人で抱えず、ピンクリボン月間を機にがんと心の問題に向き合ってみませんか。がん診断後の心の変化や不安とのつき合い方について、精神腫瘍学の第一人者である名古屋市立大学病院の明智龍男先生にうかがいました。
初めの一歩、「精神腫瘍学」って何?
― 「精神腫瘍学」という学問に馴染みがない人は多いと思います。どのような領域を扱う学問ですか?
明智先生:精神腫瘍学(サイコオンコロジー)は、精神医学・心理学(psychology)と腫瘍学(oncology)を掛け合わせた造語です。精神腫瘍学には二つの柱があり、一つは「がんが患者さんとご家族の心に与える影響」の研究を目的としています。もう一つは、「心と行動ががんの罹患や生存に与える影響」を明らかにすることです。行動とは、たとえば喫煙、食事、性行為などがあてはまり、もしがんの罹患や再発にこれらが関係しているなら行動に介入することで患者さんのQOLを向上させるだけでなく、がんになりにくかったり、がんになった後も長生きできたりする支援が可能になります。病は気からといいますが、その部分を科学的に検証する領域と言えます。
― 精神腫瘍学は比較的新しい学問と言われていますが、いつ頃、どのようなきっかけで産声を上げたのでしょうか?
明智先生:精神腫瘍学は、欧米で1970代に誕生しました。その頃から病気の真実を患者さんに伝えるがん告知が一般的になりますが、告知された患者さんは大きな衝撃を受けるわけです。そうした背景を受けて患者さんの心理的、社会的な問題点にアプローチする研究に関心が集まり誕生しました。
がんを告知されると、心は揺れ動き段階的に変化する
― 明智先生は精神腫瘍学の研究を通して、多くの患者さんと接してきたと思います。一般的にがんと診断された患者さんの心は、どのように変化しますか?
明智先生:自分ががんだと知った患者さんは、まず大きな「衝撃」を受けて頭が真っ白になり、感情がわかない、告知時のことを覚えていないとおっしゃる患者さんも多くいます。その後、これは何かの間違いだとがんになった事実を認めたくない「否認」の気持ちが生まれ、「不安」や「うつ」状態に至ります。数週間かけて生活に支障がない状態に回復し、がんを受け入れ治療に臨もうと前を向く「受容」へと変化しますが、ペースは人それぞれで患者さんによっては受容できないまま治療に入る場合もあります。
― 一度受け入れても、治療の過程で不安がぶり返すケースもありますか?
明智先生:もちろんあります。不安というのは、今後どうなるかわからない状態に際しての気持ちを指すため、たとえば手術が無事に終わっても再発の可能性を考えると将来が不安になります。一方のうつは、何かを喪う、あるいは確実に失うことを予期した際の気持ちですので、乳がんに関して言えば、乳房切除による女性性やボディイメージの喪失、ホルモン療法で生理が止まるなどいろいろな喪失に直面し、何かを失うと予期する時にうつを発症しやすくなります。また、がんになると将来の計画や自分に対する自信、健康への信頼感などが揺らぎやすいので、治療前に限らず治療中も強い不安を感じうつになることは誰にでも考えられます。
― 不安やうつの状態になると、身体的、心理的にどのような症状が現れますか?
明智先生:不安というのは、「不安だ」と感じられわけではなく、不安によって息苦しい、汗をかく、手が震える、あるいは緊張感が強くなり緊張性の頭痛や肩こりがひどくなるなど身体的な症状として現れます。こうした状態が続くと不眠や食欲不振になり、うつに関しても同様の症状が見受けられ、不安とうつは独立したものではなく混在しているので厳密にわけることはできません。
不安になるのは、弱いからではなく健全な反応
― 積極的に治療を受けるためには、心の状態はとても重要だと思います。しかし診断後、なかなか前を向けないのは自分が弱いからだと、自らを責めてしまう患者さんもいます。
明智先生:軽度な不安は、人間が人間の健康を守るために必要な機能であり、精神科医から見ると生活に支障がない程度の不安があるのは正常であると同時に、むしろ心が健康な状態と言えます。また、抑うつリアリズムという現象があり、軽度なうつは楽観的になりすぎず現実をより的確に認識しているという考えもあります。世の中にはポジティブを良しとする傾向がありますが、軽度なうつはかならずしも悪い状態ではなく、がんと診断されたら不安やうつは誰でも起こり得るので自分を責める必要はありません。
― 心の揺らぎは誰にでも起こる正常な反応で、「そういうものだ」と思えると自責の念から解放されますね。ですが、生活に支障が出るような場合、患者さんは心の問題をどのように対処すればいいですか?
明智先生:最初に受け皿になってくれるのは主治医なので、主治医あるいは看護師に相談してみましょう。精神状態が不安定だと治療の選択に影響する場合があるので、医師は心の問題に関しても重要な医療情報として理解しておく必要があります。心の問題は患者さんの外見だけ見てもわからず、主治医に察してほしいというのも難しいので、患者さん自身が言葉で伝える必要があります。勇気がいるかもしれませんが、前向きに治療に臨むという意味でとても大切なことです。
― 主治医に相談すれば、必要に応じて精神腫瘍学を学んだ精神科医などに橋渡しをしてもらえるのですか?
明智先生:そうですね。がん診療連携拠点病院の緩和ケアチームには、かならず精神科医がいるのでつないでくれるはずです。がん治療と心の治療は並行して行われるべきで、患者さんが最適な治療を受けてがんを治すには、精神状態をケアできるチームであることが求められています。
― 心の治療が必要と判断された場合、精神科ではどのような治療が行われますか?
明智先生:まず、がんと診断されたら不安になりますよね、という話をするだけで患者さんはすごく安心されます。また家庭や仕事の状況、ご家族にがん罹患者がいるか、ご本人が過去に大病をされたかなど患者さんのこれまでをお伺いして、どのような状況が不安を引き起こしているかを知るのが重要なので、まず話を聞くことから始めます。そのうえで治療が必要かどうかを判断し、薬が必要なら患者さんが服薬を希望するかを確認します。薬を使うと依存症や性格が変わるのを心配する患者さんは多く、そのような誤解を解きながら補助的に薬を使って治療を進めることが多いと思います。
患者の家族も一人で抱えず、相談できる第三者の存在が必要
― 家族は第二の患者と言われますが、身内ががんと診断されると心配がつきず家族も心が不安定になります。どう向き合うべきかわからず悩んでいるご家族にアドバイスをお願いします。
明智先生:「がんと診断されたら不安になることは正常な反応である」ということを家族が理解し、患者さんの不安に寄り添うことで、患者さんは安心できると思います。抗がん剤の副作用などで体調が優れず休んでいると、だらけているように見えてご家族がきつく当たってしまうことがありますが、いつも通り動けないのはがんになり、必要な治療である抗がん剤によるダメージであり、患者さん自身のせいではありません。がんと患者さんを一体化せず、がんを外在化する視点、つまり患者さん=がん、ではなく、単に患者さんがたまたまがんを持っている、といった視点を持つと、感情的にならずオープンかつ冷静にがんについて話し合えます。そして、家族みんなで患者さんが持っているがんと向き合う姿勢が重要です。
― ご家族から精神科医に相談を持ちかけられるケースはありますか?
それはすごく多いです。患者さんとご家族の精神状態は密接なのでご家族の心のサポートも重要だと考えています。乳がん患者さんで「主人が全然気にかけてくれない」と訴える方は多いですが、病院にご主人と来ていただき話を聞くと、「すごく心配だけど何をやっていいかわからない。家事くらい手伝いたい」と打ち明けられ、その言葉を聞いてご主人に対する気持ちが変わるというのはよくあります。家族の間に第三者が入り気持ちを打ち明ける機会を作るのはとても大切で、それは患者会や友人でもよく、トレーニングを積んだ医療者であればより良い聞き手になってくれると思います。
― 最後に、乳がん治療中で辛い方にメッセージをお願いします。
明智先生:辛い状況を何とかしようとすると、辛さに意識が向いて生活ががん中心になり苦痛を超えて苦悩が生まれます。だから、何とかしようとせず辛い状況をそのまま置いておきましょう。つまり、自分の一部がたまたまがんという状態にあるだけで、自分自身は何も変わっていないという傍観者的な視点を持つのです。すると、心に少し余裕が生まれると思います。何とかしようとしなくてもいずれ落ち着いてくるので、今できることを一つずつ積み重ねてその方なりに過ごしていくだけで十分だと思います。
〈プロフィール〉明智龍男先生
広島大学医学部卒業。国立呉病院・中国地方がんセンター、社会保険広島市民病院などを経て、1995年より国立がんセンター研究所支所精神腫瘍学研究部研究員。2000年より国立がんセンター研究所支所精神腫瘍学研究部室長に就任。2004年には名古屋市立大学大学院医学研究科精神・認知・行動医学分野 助教授、2009年には名古屋市立大学病院緩和ケア部部長を併任。2011年、名古屋市立大学大学院医学研究科の精神・認知・行動医学分野の教授に就任。
AUTHOR
ヨガジャーナルオンライン編集部
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