2)自立心の強い父が人の手を借りても生きるとようやく言ってくれていたのに…【認知症の父の死が教えてくれたこと】

2)自立心の強い父が人の手を借りても生きるとようやく言ってくれていたのに…【認知症の父の死が教えてくれたこと】
Saya
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2026-08-02

認知症の父の突然の死から、約1年。 ようやく振り返れるようになったあの頃のこと。 父の死を挟んだ自分の気持ち。 生と死と向き合った日々と心境の変化を 浄土宗の僧侶でイラストレーター、 中川学さんのイラストとともに振り返ります。

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介護体験記の連載を思い立った頃は、認知症の診断から1年半で、父が逝ってしまうとは考えてもいませんでした。残り時間は数年単位であると思い込んでいたのです。でも、わたしたちが認知症の進行に気を取られている間に、父の身体は確実に、死に向かうカウントダウンを始めていたのでした。

父は最後まで「生きよう」としていたと書きましたが、深いところでは「誰にも迷惑をかけないで、死にたい」という思いが強かったようにも思います。

と言うのも、亡くなる9ヶ月ほど前のこと。庭の物置から、工具や庭仕事の道具などをすべて引っ張り出し、山にしてしまい、大騒ぎになったことがあります。駆けつけた上の妹によると、「身のまわりをきれいにして死にたいんだ」と言っていたとか。また、亡くなる2ヶ月前、訪れたわたしに、「(転倒で入れ歯を割るなど)バカなことばっかりしているなあ」「京都から毎月、来るのも大変だろう。あんまり無理するな」と言うので、「お父さんが死にそうになっても、わたしが助けるからね」と言うと、「でも、こんなになってまで、生きていてもなあ」ともつぶやいていて、認知症による易怒性が出ない、冷静なときには、〝死の覚悟〟とでも言えるものが垣間見えることが増えていたのです。

ただ、その強い自立心は、だんだんにやわらいできてもいました。亡くなる4ヶ月ほど前には、「(訪問診療や看護の)みなさんが助けてくださるのはありがたいんだが、それに慣れてしまうと、自分で何もできなくなるだろう。だから、甘えたくないんだ」という、父らしい自立心の吐露があったのですが、誤嚥性肺炎で最後に入院する直前には、「みなさんの力を借りて、がんばっていく」とも言ってくれていたのです。

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「迷惑をかけてはいけない」「いったん頼ったら、崩れてしまう」という「自立」マインドで生きてきた父が「人の手を借りても、生きたい」と思ってくれたことは、わたしは明るい光のように感じていました。施設の夏祭りのエピソードに集約されるのですが、父が「自立」を手放し、施設のみなさんに大切にされ、甘えられなかった少年時代を取り戻せたらいい、と思っていたのです。

でも、夏祭り1回だけで満たされて、そのまま逝ってしまった。認知症になった父の文句は、愛を求めていたのだと思うのですが、父が欲しかった承認は、その1回で埋め合わせられるほどのものだったのかと思うと、何もかももらうばかりで与えられなかったことに、娘として情けなく、また申し訳ない思いにもなるのでした。

→【記事の続き】3)〝正常性バイアス〟がかかり、父の死が近づいていることを予期できなかったこちらから。

イラスト/中川学
1966年生まれ。京都在住。浄土宗西山禅林寺派の僧侶にしてイラストレーター。Adobei llustaretorを使い幅広いスタンスでイラストレーションを描き、近年は絵本制作にも力を入れている。『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)、『絵本 化鳥)(国書刊行会)、『えほん遠野物語 やまびと』(汐文社)、『八雲えほん 因果ばなし』(岩崎書店)、『のこったのこった』(絵本 館)、『幸せに長生きするための今週のメニュー』(ミシマ社)、『おいなりさん』『そのとき門はひらかれた 法然上人ものがたり』「だいぶつさま」シリーズ(アリス館)など多数。この夏、絵と文で京都の聖地を紹介する本『京都いま浄土』(ミシマ社)を出版予定。TIS会員。

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