1)あっけなかった父の死。最後まで、自分の足で歩き、話していたのがせめても【認知症の父の死が教えてくれたこと】
認知症の父の突然の死から、約1年。 ようやく振り返れるようになったあの頃のこと。 父の死を挟んだ自分の気持ち。 生と死と向き合った日々と心境の変化を 浄土宗の僧侶でイラストレーター、 中川学さんのイラストとともに振り返ります。
父の死は、あっけないものでした。急性期の病院から特養に移ってから、わずか1週間。深夜に息苦しさを訴えたあと、2時間もしないうちに心臓が止まってしまったのだそうです。特養の方も救急の方も病院の方も、手を尽くしてくださったものの、帰らぬ人となってしまいました。
急性期の病院では連日、母か上の妹が見舞ってくれていましたが、施設に慣れるために入居後1週間は面会禁止に。介護認定が3に上がるまではショートステイ扱い。自宅介護中にお願いしていた訪問診療のドクターとスタッフが一度、往診に訪れた際は、認知症ならではですが、施設を自宅と思い込み、「妻が出かけたきり、帰ってこない」と母のことを悪しざまに言っていたそう。でも、親切なスタッフのお世話ですぐに慣れ、施設の夏祭りで射的やヨーヨー釣りに興じる、小学生のような笑顔の父の写真に、安心していたところでした(メールで、家族に送ってくださるのです)。
最後の日の午後は、母と上の妹が見舞いに。わたしもオンラインではありましたが、話すことができました。「ここは名古屋か、大阪か」と問いかけるなど、40年前、単身赴任をしていた頃の寮に戻ってしまっていたようでした。入院前まではわかっていたわたしのことも、オンライン越しではわからず、上の妹に「長女だ」と言われて、そうかと受け入れる具合。それでも、「今、大阪の近くにいるんですよ。社長さんがよくしてくれてね」と、わたしにも説明してくれますし、「今月末にまた行くからね」と言うと、「楽しみにしています」と笑ってくれたのです。
特養への入居のきっかけは、誤嚥性肺炎で入院を繰り返したこと。とろみをつけないと水も飲めないという診断が踏ん切りになりました。でも、この最後の日も、自分の足でトイレまで歩き、用意された食事も完食していたと言いますし、前述の「社長さん」というのは、施設の相談員さんのこと。「単身赴任中の寮か何かにいて、取引先の社長にお世話になっている」というようなストーリーを作り上げ、彼のことをとても慕っていたそうです。また正義感の強い父らしいエピソードとしては、施設の同じユニットの入居者がスタッフに暴言を吐いたときも、「そんなことは言わないでください」と興奮して、訴えていたとか。施設を会社や家族のような自分のコミュニティだと感じ始め、忠誠心が芽生えるとともに、所属の幸福を感じていたのではないかと思います。

実は、その前の急性期の病院で、「心筋梗塞の跡がある」とは指摘され、ニトロをもち歩くようにとは言われていたのですが、あまりに元気な父を前に、家族も、訪問診療や入院先のドクターも、病院や施設の相談員やケアマネジャーも、「看取りの時期に入った」という認識をもてないでいました。早くに父親を亡くし、自立心強く、ずっとがんばってきた父。最後まで生きようとして、また家族にも心配をかけまい、医療スタッフにも迷惑をかけまいとしていた。ああ、死にゆく父の姿もまた生きざまどおりだったなあと思うのです。
→【記事の続き】2)自立心の強い父が人の手を借りても生きるとようやく言ってくれていたのに……はこちらから。
イラスト/中川学
1966年生まれ。京都在住。浄土宗西山禅林寺派の僧侶にしてイラストレーター。Adobei llustaretorを使い幅広いスタンスでイラストレーションを描き、近年は絵本制作にも力を入れている。『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)、『絵本 化鳥)(国書刊行会)、『えほん遠野物語 やまびと』(汐文社)、『八雲えほん 因果ばなし』(岩崎書店)、『のこったのこった』(絵本 館)、『幸せに長生きするための今週のメニュー』(ミシマ社)、『おいなりさん』『そのとき門はひらかれた 法然上人ものがたり』「だいぶつさま」シリーズ(アリス館)など多数。この夏、絵と文で京都の聖地を紹介する本『京都いま浄土』(ミシマ社)を出版予定。TIS会員。
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