3)知らないうちに生かされ、報われている。ルーツからも実感した、阿弥陀さまとの縁|僧侶・中川学さんに聞く
親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。
中川さんとお会いした年明けというのは、まだ父の死後から半年も経っておらず、ボイスレコーダーを聴き直すと、自分の話もだいぶしていて、取材なんだか相談なんだか、わからない始末。でも、中川さんは誠実に言葉を選び、訥々と語る一方で、嫌な顔ひとつ見せず聞いてくださって。もはや中川さんなのか、石仏なのかわからないくらいでしたが、わたしにとっても心が満たされる、得がたい時間となりました。
瑞泉寺と浅からぬご縁があると言っても、それは、ねねさまを先祖にもつわたしからの一方的な思い。檀家というわけでもなく、中川さんにとっては、誰でもないわけですが、このよくわからない出会いすら、ナムアミダブツと言って、ありがたく受け取ってくださっていたのかもしれません。
ここで、小話をひとつ。以前、ヨガジャーナルのコラムでも、父方は浄土真宗というように書いた気がするのですが、父が死んで、田舎のいとこと話したところ、浄土宗だと言うのです。なぜ勘違いをしていたかと言うと、父は川崎生まれ、祖父は浅草生まれでしたすが、戦争で、祖母の田舎に疎開。転勤で出てきた東京で、結婚した母の家が禅宗(臨済宗)だったものですから、わたしたちがお墓参りなどで行くお寺は臨済宗。父が育った田舎のお寺については、関心をもつことがほとんどなかったのです。
一方、母方の先祖をたどると、徳川譜代の一族につながり、松平信康の時代に岡崎城代なども勤めていたらしいのですね。それが数年前の京都国立博物館の法然展で、松平が岡崎時代に浄土宗を盛り立てたと知って。中川さんの瑞泉寺も浄土宗ですから、母方は武家だったから臨済宗のお寺にお墓を作っていただけで、もともとは浄土宗と縁が深いのかもしれないと思うようになっていました。
つまり、何のことはない。父方も母方も、浄土宗と縁が深く、知らないうちに阿弥陀さまに助けられている。そういう力が働いて、わたしたちの命がつながっている。そのことをわがことととして感じていましたから、中川さんのお話が不思議な響きをもって、身に迫ってきたのでした。
瑞泉寺とのご縁が復活するきっかけとなったのは、瑞泉寺の本山である永観堂のお能の公演なのですが、みかえりの阿弥陀さまを初めて見たとき、何かとてもありがたい思いがこみ上げてくるのを感じたのを覚えています。
50代も半ばになると、知人のなかにも生を終える人が出てきます。なかには前日まで、普通に仕事をして、食べていたのに、翌朝、心臓が止まってしまったという人も。人生の本質は、生きて、死ぬことにあるんだなと思うとともに、朝起きて、目が覚めるというのはありがたいことなのだとも感じるようになりました。それは、30代や40代とは明らかに違う心境です。こんなふうに、わたしたちは自分がもう若くないことに徐々に慣れて、生を終える準備をしていくものなんだろうなあと思います。
→【記事の続き】4)感謝して受け取るのは、幸せだけではない。 よりよく生きたい気持ちを手放してこそ、見える世界がはこちらから。
お話を伺ったのは…中川学さん
1966年生まれ。京都在住。浄土宗西山禅林寺派の僧侶にしてイラストレーター。Adobei llustaretorを使い幅広いスタンスでイラストレーションを描き、近年は絵本制作にも力を入れている。『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)、『絵本 化鳥)(国書刊行会)、『えほん遠野物語 やまびと』(汐文社)、『八雲えほん 因果ばなし』(岩崎書店)、『のこったのこった』(絵本 館)、『幸せに長生きするための今週のメニュー』(ミシマ社)、『おいなりさん』『そのとき門はひらかれた 法然上人ものがたり』「だいぶつさま」シリーズ(アリス館)など多数。この夏、絵と文で京都の聖地を紹介する本『京都いま浄土』(ミシマ社)を出版予定。TIS会員。
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