乳がんサバイバーが考える不安との向き合い方。強さとは、柔らかくあること【連載:抱えながら生きて】
この連載は、心配性が高じて人の悩みを聴く仕事を志した北林あいがお届けします。30代で乳がんを経験し、体は元気になったけど心が前を向かず、曇り空の下をうつむいて歩くような状態が長期化。大きな悲しみに直面したときに心という生き物が見せる反応、そしてレジリエンスを発揮できる人と、できにくい人の違い等々。つまずきを抱え、それでもどうにか日々を生きている人に、病から得た気づきをシェアします。今回は「思考の癖」について綴ってみました。
踏んだままのブレーキペダル
36歳の春、乳腺外科の診察室。「検査結果は、残念ながら悪いものでした」と、医師に言われ、予期せず私は乳がん患者になりました。順調に続くと思っていた日常と、愛おしく思っていた白い乳房を喪失する、突然訪れた現実に狼狽するばかり。看護師は私の体を抱きしめるように支え、別室に運んでくれました。その手のぬくもりが泣いていいと言ってくれているようで、優しさに甘えて激しく嗚咽したのを覚えています。その日を境に喜怒哀楽から「喜」だけが抜け落ちて、笑っている人を見るとわき上がってくる不公平感。あれは心の色だったのか、目の前の景色すべてがモノクロームに映ったことは忘れられません。
以来、「変化」に対してトラウマを抱き、事あるごとに現状維持を選んでしまう。「抜け出したい」と心が意思を持ち始めると、どこからともなく聞こえる「またけがをするかもしれないよ」という声に引き留められるように。ホルモン治療に費やした25日間は、ほかのことは何もがんばらず、ただ家と病院を往復するだけでよかったから、心が楽でした。10年以上、足踏みをしていたと思います。その間に周りは、母になり、住む場所を変え、キャリアアップしていく。背中に羽が生えているみたいで羨ましくもあり、飛躍しないけど危険もない日常を自分で選んだはずなのに、苛立ってはなだめてを繰り返していました。立ち止まっていた時間は、動いていた時間と同じくらい価値はあるのだろうか。
「嫌い」と向き合う旅の始まり
最初は、がんのせいで性格が変わってしまったと思っていました。人をこんなに臆病にさせて、とがんを恨んだりして。でも記憶を辿ると、石橋を叩く癖はもともとあったかもしれない。幼少期から続く消極さ、未来を思いつめる癖をコンプレックスと認めてしまうと自分が嫌いになりそうで見て見ぬふりをしていたような。
がんという有事は、人を丸裸にする荒行のようだ。ひっそりと、でも根強く潜む無意識の偏見、一人よがりの価値観、臆病や劣等感。有事を前に涼しい顔をしていられなくなり、それらすべてが白日の下に晒されたと思う。「未熟さ」や「欠け」に対峙すると目をそらしたくなる反面、不器用でもひたむきであり続けた過去の後ろ姿が見えて、初めて自分に優しい言葉をかけたくなりました。「がんばってきたね」と。これが受け入れる、ということなのか……。私が、私の良き理解者になれたのは、病からの収穫でした。
なくならない不安は、排除より同居を
闘病の日々は、自分と向き合う日々にほかなりません。変わりたい自分と、引き留める自分との攻防戦を繰り返すなかで、私は、生きづらさの糸を引く「思考癖」に気づきます。人にはいろいろな思考の癖がありますが、行動にブレーキをかけるのは、悪いほうにばかり目が向く癖の仕業。患者仲間が再発すると「きっと私も」。乳がんは治っても「次は胃がんが見つかるかも」と、未来への否定的な予測が行動にストップをかけてしまう。結局、私を苦しめているのは私自身であることが多い。
診察の日、止まらない不安を主治医に打ち明けると、「不安でいいじゃない。不安があるから不調をそのままにしないし、検診に行く。不安に守られることもある」と言葉をかけてくれました。見方を変えれば不安とよき相棒になれるとは。ゼロにすることでしか解決できないと思っていた問題に、明るい光が差し込みました。心療内科の医師は、「思考癖は一生つき合うもの」と言っていました。だからこそ、つき合い方が大事になると。以前と違うのは、よくない思考が発動すると「また始まった」と思う自分がいること。そして質問します。「ところで、胃がんの兆候はあるの?」と。答えは大抵、「ノー」。その不安に根拠がないとわかれば、私は妄想から引き戻されます。根拠があるなら行動に移して対策を取ればいい。備えができると、やれることはやったという納得感が安心を引き寄せる。これからも一定の距離をとり、不安と同居していけたら。
グレーもよしにできると楽に
私の周りで体を壊す人は、まじめな完璧主義が多く、共通して白黒思考が強いように思います。物事を曖昧にしておけず、とことんがんばってしまう。力を抜くこと、周りの手を借りることが下手で、一人で抱え込んだ末に心と体が悲鳴を上げてしまう。かく言う私も。白黒思考は考え方が極端なので、「がんになった→人生終わり」と思い込み自ら絶望の淵に走っていくから厄介でならない。
白と黒しかない世界は、逃げ場がなくてとても疲れる。ゆるめるのはなかなか難しいけれど、やってみて効果があったのは「なるべく小さな改革」の積み重ねです。私は、仕事にハイヒールを履くというマイルールをやめてみました。隙を見せない完璧主義の象徴のような先の尖ったクールなハイヒールを脱ぎ、スニーカーを履いて仕事場へ。白黒思考は「こうあるべき」が強いので、たかが靴でも一度決めたルールを変えることに挫折感が伴う。しかしやってみるとスニーカーを履いた足元は嘘みたいに軽く、いかに自分で自分を縛っていたかわかった瞬間でした。
いくつかのマイルールを断捨離し、ゆるめることへの挫折感、罪悪感を払えると、「絶対」や「完璧」ではないグレーな状態を許容できるようになっていきます。不完全な体、進めなかった日々に向けるまなざしは優しくなり、「がんになったから見える世界」の広さ、可能性に気づけました。
強さとは、柔らかくあること
がんとの日々を振り返ると、自分を縛っていた鎖から自由になる転機だったと思うことがあります。力むほど鎖は食い込み、身動きできなくなるもの。力をふっと抜いて、発想を転換して、視点を変えて、それができると苦境のなかで可能性を探れるようになり、止まった時計が動き出すのを感じました。メンタルの強さ、その鍵を握るのは柔らかさではないでしょうか。
がんを通した幾多の出会いのなかで、印象的な患者さんがいます。「がんと言われたけど全然ショックじゃなくて。これで言い訳せず休めるからむしろ嬉しい」と笑う、解き放たれたような彼女の表情が忘れられません。責任ある立場で何十年も働き続けてきたから病は休息、そう捉えられる柔らかな思考に感服しました。彼女は今、息子さんと旅の計画を立て、楽しみを糧に治療に励んでいます。
AUTHOR
北林あい
臨床傾聴士(上智大学グリーフケア研究所認定)。30代で発症した乳がんの闘病中、心の扱い方に苦労した経験からグリーフケア(悲嘆のケア)を学ぶ。現在は、乳がんのピアサポートや自殺念慮がある人の傾聴に従事。医療・ヘルスケア分野を得意とする執筆歴20年超のフリーライターでもあり、「聴く」と「書く」の両軸で活動中。
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