トラウマのその先へ…傷つきが成長を後押しする。それは荒野を知る人の特権【連載:抱えながら生きて】
この連載は、心配性が高じて人の悩みを聴く仕事を志した北林あいがお届けします。30代で乳がんを経験し、体は元気になったけど心が前を向かず、曇り空の下をうつむいて歩くような状態が長期化。大きな悲しみに直面したときに心という生き物が見せる反応、そしてレジリエンスを発揮できる人と、できにくい人の違い等々。つまずきを抱え、それでもどうにか日々を生きている人に、病から得た気づきをシェアします。今回は「トラウマ」について綴ってみました。
がん保険のCMがつらかった。私のなかの小さなトラウマ
病、事故、災害、虐待といった衝撃的な経験をして、長い間ストレスにさらされると心の傷、いわゆるトラウマを抱えることがあります。トラウマの影響は、つらい記憶がフラッシュバックする、つらい記憶を呼び起こす場面を避ける、物事に対してネガティブな発想が絶えないなど、様々な形で現れます。
私も心当たりがあり、がんになってからがん保険のテレビCMが見られませんでした。告知、治療、別れ……。情緒的な音楽と共にそれらを想起させる映像が流れると目を背けたくなり、今も少し心がざわつきます。命について考えさせられる映画やドラマ、シリアスな医療ものも苦手。退院した当時、乳がんで余命宣告された女性の半生に迫る、一篇のノンフィクション映画が公開されました。テレビをつけると予告映像が頻繁に流れ、そのたびに胸がぎゅっと潰されるようで「余命」や「死」という言葉が纏う黒っぽい影が嫌でチャンネルを変えていました。
私じゃない人がくれた「マル」で、つらさの質が変わった
トラウマはしつこくて、しぶとい。人によっては長い付き合いになると思います。完全な悪者かというとそうではなく、心的外傷後成長(Post-Traumatic Growth/PTG)といってトラウマには心理的成長を遂げる力があると言われています。それは平和の岸にいる人にはない、荒野を旅した人にしか持てない力。具体的には、人間としての強さが増す、新たな可能性に気付く、他者との関係が変わる、人生への感謝が増す、スピリチュアルな変容が起こるという5つの側面で成長が見られます。
トラウマケアには医療の介入が必要な場合がありますが、私はグリーフケアを学ぶ過程でがんを含めて自分の過去を肯定的に受け入れる機会に恵まれ、「がんばりました」の判を押せたことが囚われからのがれる契機になりました。つらい記憶はなくならないけど、和らぎながら質を変え、つらい体験が自分を守る鉾と盾へと昇華した感覚。きっかけとなったのが「間取り図のワーク」です。
間取り図のワークのやり方
1. 実家、一人暮らしの部屋、会社の寮など、印象的な時期を過ごした部屋の間取り図を紙に描く。
2. 間取り図をもとに、部屋で起きた出来事、人間関係、会話などを思い出す。
3. 浮かんできた出来事を、そのとき経験した感情と共に第三者の前で語り傾聴してもらう。
私が最初に思い浮かんだのが実家のリビングでの出来事です。そこには両親とクイズ番組を観ている小学生の私がいます。「この国の首都は?」というたわいない問題に答えられなかった私に、母は知識がないことをたしなめる言葉を放ちます。鮮明に覚えているのは、穴があったら入りたかった縮こまるような恥ずかしさと劣等感……。この一件により間違いやつまずきをよしとしない完璧思考のスイッチが入り、追い込みやすい性格の「トリガーポイントはここにあった」と腑に落ちた感がありました。
その母にキッチンで「がんだった」と告げた日、涙が出そうで目を見て話せず背を向けてしまったこと。楽しい記憶もあり、和室で正月に家族6人、おせち料理を囲んだ穏やかな元旦の空気感と部屋に響く笑い声。家族の輪のなかに自分がいて守られていた記憶が、添え木のように今の私の心を支えていると感じました。ポイントは、一人で回想しいろいろあったで終わらず、良い記憶もつらい記憶も第三者に聴いてもらい丸ごと受け止めてもらうこと。自分の過去に自分以外の誰かが「マル」をつけてくれると、止まった時間や感情がほぐれ、ねぎらいを受け取り、やがて病が持つ負のイメージも変わりました。
様々な記憶と対面するなかで覚えた、山谷を越えてここまで辿り着いたという実感は、トラウマと向き合う力になっていると感じます。その道のりは直線ではなく、多くは螺旋を描くように進みます。あまり進んでいる実感がないかもしれません。ですが小さな変化に気付き、その半歩、その一歩を認められるようになったのもトラウマ後の成長だと思うのです。
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