残り時間を逆算。「前向きな焦り」をアクセルに【連載:乳がんサバイバーの心が見た5000日】

残り時間を逆算。「前向きな焦り」をアクセルに【連載:乳がんサバイバーの心が見た5000日】
北林あい
北林あい
2025-09-23

この連載は、心配性が高じて人の悩みを聴く仕事を志した北林あいがお届けします。30代で乳がんを経験し、体は元気になったけど心が前を向かず、曇り空の下をうつむいて歩くような状態が長期化。大きな悲しみに直面したときに心という生き物が見せる反応、そしてレジリエンスを発揮できる人と、できにくい人の違い等々。つまずきを抱え、それでもどうにか日々を生きている人に、病から得た気づきをシェアします。今回は「50代からの生き直し」について綴ってみました。

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あと何回、桜を見られる?自問からのリスタート

乳がんの発症からずいぶんと時間は流れ、私は53歳の夏を生きています。がんは寛解したけれど、いつかまた突然に日常が途絶えるかもしれないという不安感に長く囚われていました。前に進もうとすると聞こえてくるのが、生きてさえいれば十分という声。その声を振り切れず挑戦心に蓋をすること10年以上……。

だから私の40代は霧が立ち込めたようにぼんやりとして、輪郭がなく、まったく色味を感じられません。大きなつまずきはないけれど心が跳ねるようなこともなく、ただやり過ごしてきたというのが正直な感想です。人生に無駄はないと慰められても、貴重な10年間を棒に振ったような気がしてならず、悔しくて静かに唇を噛む自分がいます。

それが50代になった頃、急にじっとしていられなくなり、自分で止めた時計の針を再び動かしたい衝動に駆られました。おそらく人生の終焉がよぎる年齢を迎えたからだと思います。今や、人生100年時代。そうは言っても70代、80代で幕を引くのが現実的と考えれば、私はすでに折り返し地点を過ぎています。「あと何回、桜を見られる?」と自分に問いかけ、その答えが天文学的ではなく容易に数えられる数字だと気づいたとき、こうしちゃいられない、とようやくアクセルペダルに足をかけることができました。誰かに急き立てられたのではなく、私が私自身に残り時間を突きつけたことで生への欲求が息を吹き返し、もう一度生き直したいという初めての感覚を味わっています。

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残りを考える時間は、悔いなきように50の歳がくれた計らい

病は大小様々な置き土産をしていきます。病を得たから受け取れた気づきや出会いもあれば、あまり喜ばしくないものもあります。喜ばしくないほうの置き土産は、棄てたつもりでも何かの拍子に目の前に現れて、脚を引っ張ろうとしてきます。サバイバーと言われる人たちはそのたびに立ち止まり過去と折り合いをつけながらまた歩き出す、ということを繰り返しているのではないでしょうか。

病の後、アクセルを踏み直すタイミングはみんな違っていいし、誰かに合わせたり比べたりする必要もない。ただ長くブレーキを踏み続けることになって感じたのは、足踏みする時間が長くなるとアクセルの効きが鈍る、ということ。時間は一秒も遅れずに飛ぶように去り、過ぎ去った時間は取り戻せないということも。

そんなことを考えながら時間の有限性に気づき、残り時間に思いを馳せるときがきたのはネガティブではなく、悔いなく生きるために50という年齢が与えてくれた計らいだと感じています。残り時間が迫っているという自覚がもたらす「前向きな焦り」に背中を押されてようやく前に進み、その一歩が意外にも力強くて、自分の中にこんなパワーが眠っていたことに驚いています。

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平凡の尊さを噛みしめながら、自分に旅をさせたい

今、自室で原稿を書いていて、ふと視線をパソコンから窓のほうに移すと、山並みが目に飛び込んできます。山桜が満開になる春は視界がピンク色に染まり、夏はむせ返るような緑色、秋は黄金色と褐色のグラデーションが見事で、冬の凛とした枯木立も見惚れる美しさです。でも私はこの窓から、この景色を見るのが嫌いでした。正確には何年も、何年も同じ場所から同じ景色しか見ようとせず、変わることを恐れて生きている現実を突きつけられているようで嫌だったのだと思います。

違う窓から知らない景色を眺めてみたくなり、50歳で受験した大学のキャンパスの窓から見る景色は涙あり、笑いあり。そして、かけがえのない学びと友人に恵まれました。最近は国境を越えて会いたい人に会いに行き、心が赴くほうに舵を切ることを自分に許せるようになりました。鎖が解けたようなこの感覚、味わうのはいつぶりだろう。

チャレンジや新たな経験を謳歌して家に帰り、自室の窓から外を眺めたとき、嫌いなはずのいつもの景色に安らぎを覚え、波打つエネルギーが整う感覚を味わいました。そして、旅ができるのは安息の場所があるからだと気づかされます。進めなかった自分を許し平凡の尊さを噛みしめながら、50代からの自分にもっと旅をさせてあげられたら。

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