【がんサバイバー対談】共に30代でがんに罹患、絶たれた日常「キャンサーロスト」を抱えて生きるとは
この連載は、心配性が高じて人の悩みを聴く仕事を志した北林あいがお届けします。30代で乳がんを経験し、体は元気になったけど心が前を向かず、曇り空の下をうつむいて歩くような状態が長期化。大きな悲しみに直面したときに心という生き物が見せる反応、そしてレジリエンスを発揮できる人と、できにくい人の違い等々。つまずきを抱え、それでもどうにか日々を生きている人に、病から得た気づきをシェアします。今回は中咽頭がんサバイバーで一般社団法人がんチャレンジャー代表理事の花木裕介さんを迎え、「キャンサーロスト」について2回にわたり語り合います。
何で自分が!?がんで日常が一変した30代
北林 がんになっても生きやすい社会を目指す花木さんの活動に、私自身いつも刺激を受けています。まずは花木さんについて教えてください。
花木 私はヘルスケア産業の会社に勤務する会社員です。中咽頭がんに罹患後、会社員の傍ら一般社団法人がんチャレンジャーを立ち上げて、がんに罹患した人たちの人生の再挑戦を後押しする活動を続けています。
北林 がんに罹患したのは何歳ですか。
花木 38歳です。声帯の近くに腫瘍が見つかり、ステージⅣの中咽頭がんと診断されました。仕事を9カ月間休職し、抗がん剤と放射線による標準治療を受けました。病巣は画像上では消滅し復職しましたが、3年後に局所再発し手術でがんを切除しました。現在は経過観察中で寛解には至っていません。
北林 私は36歳で乳がんに罹患しましたが、花木さんも30代後半で日常が大きく変化したわけですね。私の場合、右胸に突っ張るような痛みを覚え外科でマンモグラフィー検査をしたところ、右胸は異常なし。偶然にも左胸に悪性の石灰化が見つかりそこから、という感じです。ステージⅠで見つかったのは不幸中の幸いと今は思えますが、当時は身に降りかかった「がん」という事実がただただ怖くて、早く見つかってよかったとは思えず……。10年以上も健康や将来への不安を拭えませんでした。
花木 日常を取り戻すまでに長い年月を要する人がいると、誰かが声を上げるのは大切だと思います。診断から2、3年経つと「早く忘れちゃいなよ」「早く立ち直らないと人生もったいないよ」といった言葉を投げられて複雑な思いを抱くことがありますからね。それが容易じゃない人がいるのをわかってほしいです。
北林 そうですね。一見すると健康でも、心の中に「何か」を抱えている人もいます。私は多くの人に支えられるなかで、思いやりの原点は想像力だと感じました。目に映らない部分を心の目で見ようとする姿勢に助けられました。
復職しても仕事を任せてもらえず見失った目標
北林 花木さんは2023年に新書『キャンサーロスト 「がん罹患後」をどう生きるか』を出版されました。私はボディイメージや、平穏な日常がずっと続くだろうという安心感を失いましたが、ご自身はどんなロスト(喪失)を体験しましたか。
花木 私はおもに仕事に関わることです。そこからお金、家族へとその影響が派生していきました。具体的には、9カ月間の休職を経て復職した後、同僚たちはよく帰ってきたと口では言ってくれたんですけど、なかには彼は本当に大丈夫なのかと、扱い方に困っている様子の方もいらっしゃいました。上司から最初の数カ月は残業をやめておこうと言われ、それは当然のこととして受け入れました。だけど3、4カ月経って体が慣れても定時で帰る日が続き、仕事内容も議事録の作成など代わりがきくものしか与えられない。ミーティングに出ても聞いているだけでいいと言われ、それはまた休むことになっても心配ないよというメッセージかもしれないけど段々と葛藤が生まれてきました。
北林 もともと仕事での上昇志向は強いほうでしたか。
花木 そうですね。管理職を目指して仕事に邁進する会社員でした。
北林 情熱を持っていた分、自尊心を削がれるような感覚に陥ったのでは。
花木 そのときは「自分はもっとできます!」と声を上げて、企画を提案するなど積極的に動いていたんですが……。残業代がなくなり給与は激減。生活が苦しいと上司に相談したら勤務体系は多少なりとも改善しました。だけど仕事内容は変わらず。そのうち罹患前は自分より下の役職だった社員が管理職になるなど、戦力外の現実を突きつけられた。そのときは嫉妬というか、自尊心を削がれる感じがしてつらかったです。
北林 社団法人を立ち上げたのは、気持ちに折り合いをつけるためでもありましたか。
花木 どこかで管理職を目指していた自分と折り合いをつけなくちゃ、という思いはありました。あとは経済的な問題ですね。昇格の見込みがないなら副業をさせてほしいと会社にかけ合ったんです。会社のやり方に振り回されたり、ないものねだりをしたりするより、自分で道を作っていこうと割り切った感じです。
北林 目標を持てない環境に見切りをつけて、転職を考えたことはありますか。
花木 転職先で再発や転移が見つかる可能性を考えると、簡単にはできませんでした。なので、今の職場で少しずつ時間をかけて目標を手放していった感じです。とはいえ、言葉では割り切ったと言っても、まだ葛藤している自分がいるのが事実です。
「キャンサーロスト」は実経験から生まれた言葉
北林 「キャンサーロスト」は花木さんが考えられた言葉ですが、その意味と言葉が生まれた背景を教えてください。
花木 「キャンサーロスト」はがん罹患経験者の喪失体験を表す言葉で、がん罹患体験によって得られたプラスの経験を表す「キャンサーギフト」の対義語にあたります。昇格の道を絶たれ、それを割り切ったと思っていてもどこかで悔しさがくすぶっていた。喪失感を伴うこうした気持ちは、簡単に消えるものじゃないと気づいたんです。これはキャンサーギフトの真逆、キャンサーロストではないか。こうした葛藤は誰もが抱くものなのか知りたくなって、がんによる喪失体験を表す言葉を作りました。そこから「キャンサーロスト」に関するアンケート調査を行い、ロスト体験の有無を調べ始め、結果として一冊の本になりました。
北林 名前のつかない悲しみを表す言葉ができると、問題提起がしやすくなりますね。声を上げると共感する仲間が集まり、私だけじゃないという安心感が生まれる。ロストの対象や期間は様々で比べるものではないとわかります。これは人によると思いますが、足踏みの期間が長いと停滞癖がついて前に進みづらいというのが私の体感です。
花木 確かにそうですね。
北林 私は36歳で罹患し、今年53歳になりました。ロストにとらわれていた40代をもったいないと思うときがあります。ですが、その十数年に「後悔」というラベリングをしてしまうと自分が可哀そうに思えてしまう。無駄ではなかったと思いたいから、体験を綴り発信しているのかもしれません。すごく自己満足に映るかもしれないけど、私にとって書くことは心の整理であり治療なのだと思います。
花木 私も罹患経験を無駄にしたくないし、がんにならなければと思うともっとしんどい。あの経験があったから今がある。そう思えるように活動しているというのは確かにありますね。
何かあっても後悔なく生き抜きたい
北林 気持ちや現況と折り合いをつけるには、自分との対話が必要だと感じます。花木さん自身の中でどんなやりとりが行われたのでしょうか。
花木 復職して割とすぐに社団法人を立ち上げて前に進み出せたからか、自分はもう大丈夫だ、立ち直ったと思っていました。しかし悔しい、悲しいという感情が時々湧いてくる。奥深くにロストが隠れていたんですね。私の場合、そうした感情にちゃんと向き合ったり、対話したりしなかったため、結果消化できていなかったんだと思います。
北林 怖さを避けるのは人として自然なこと。悪いことではないですよ。それにしても復職後、早い段階で一歩を踏み出した花木さんは眩しく映ります。
花木 抗がん剤も放射線もつらかったし、再発もすごくショックだった。行動できたのは、人生は何があるかわからないと心底感じたからです。たとえば、国内のどこかで大震災があると、いつか自分の身にも降りかかるのでは、と思いながらどこか他人事でした。がんになってこんな一大事が本当に起きるんだと知り、それ以来、何か決断するときは明日万が一の事があっても後悔しない選択をしようと決めたんです。内側から湧き出る行動したい気持ちを無視したら、もしまた再発でもしたとき動きたいと声を上げた自分に申し訳ない。何があってもいいように、やらない後悔よりやって味わう後悔を選ぶようにしています。
北林 人から言われて動くのではなく、自分の意思で動く人は迷いがないですね。
花木 ちゃんと向き合うと気持ちが落ちていくのを知っているから目を逸らし、行動に移していただけですよ。何もしていないと再発の不安がよぎるんです。たとえば家族で楽しく遊園地で遊んでいるときに、よくないことがふっと浮かんだりして。それを排除したいから動く、というのもあるかもしれない。
北林 花木さんが行動派なら私は思考派。ぐっと向き合い自分と議論するタイプです。
花木 強いですね。どうやって向き合うのですか。
北林 目を閉じて瞑想しながら、というわけではなく、歩いているときやキッチンでお皿を洗っているときなど、何気ないときに自分と話をしている感じです。「時間は有限だよね?どう生きたいの?」と。50代を前にしてそんな問答が増え、「残された時間をもっと楽しみたい」という答えが出ました。
花木 なるほど。
北林 罹患後、私は様々な喪失体験を味わった人をケアしたくて、グリーフケア(悲嘆のケア)を学びました。その際、自分を深堀りする作業を時間をかけて行う機会があって。生育歴などを辿りながら自分はどんな人生を歩み、何に傷つきやすく、何に喜びを感じてきたかを探りました。その過程ですごく不器用だけどひたむきだった私自身に気づき、長らく足踏みしていた自分を許せたんです。過去を乗り越えるというより受け入れる、という表現が合っているように思います。
花木 受け入れる感覚はすごく共感できます。私は挫折を味わいながら前に進んできた著名人の本をよく読み、彼らの生き方に勇気をもらっています。共通して言えるのは、悔しさや悲しみを抱えながら生きる覚悟があるということ。抱えるには覚悟が必要ですからね。
後編へ続く
〈プロフィール〉
花木裕介
1979年、広島生まれ。ヘルスケア関連会社勤務の2017年12月にステージⅣの中咽頭がん告知を受け、標準治療を開始。復職後、会社員をしながら一般社団法人がんチャレンジャーを設立。「がん対策推進企業アクション」(厚生労働省の委託事業)の認定講師、千葉県がん対策審議会専門委員としても活動している。著書に『キャンサーロスト 「がん罹患後」をどう生きるか』など(小学館)。
◆『Catch the Rainbow Jリーグを目指した選手達の挫折と再生の記録』(西葛西出版)を2024年12月に発売予定。【購入先】https://ctr.nishikasaibooks.jp/pre-order/lp/
北林あい
臨床傾聴士(上智大学グリーフケア研究所認定)。30代で発症した乳がんの闘病中、心の扱い方に苦労した経験からグリーフケア(悲嘆のケア)を学ぶ。現在は、乳がんのピアサポートや自殺念慮がある人の傾聴に従事。医療・ヘルスケア分野を得意とする執筆歴20年超のフリーライターでもあり、「聴く」と「書く」の両軸で活動中。
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北林あい
臨床傾聴士(上智大学グリーフケア研究所認定)。30代で発症した乳がんの闘病中、心の扱い方に苦労した経験からグリーフケア(悲嘆のケア)を学ぶ。現在は、乳がんのピアサポートや自殺念慮がある人の傾聴に従事。医療・ヘルスケア分野を得意とする執筆歴20年超のフリーライターでもあり、「聴く」と「書く」の両軸で活動中。
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