がんが教えてくれたこと。「ずっとはない」と知るのは、悲しいことではないと思えた歩み【連載:抱えながら生きて】
この連載は、心配性が高じて人の悩みを聴く仕事を志した北林あいがお届けします。30代で乳がんを経験し、体は元気になったけど心が前を向かず、曇り空の下をうつむいて歩くような状態が長期化。大きな悲しみに直面したときに心という生き物が見せる反応、そしてレジリエンスを発揮できる人と、できにくい人の違い等々。つまずきを抱え、それでもどうにか日々を生きている人に、病から得た気づきをシェアします。今回は物事の「有限性」について綴ってみました。
幸せの余韻に浸るのを避けていた子ども時代
中学生の頃、友達と東京ディズニーランドに遊びに行った帰り道、駅のホームにあったゴミ箱にチケットの半券とパンフレットを捨てていた私。夢の世界に連れて行ってくれたパレードと、歓声を上げたアトラクションの余韻に自らピリオドを打つかのように。あるいは旅行に出かけると、お土産を買うのを躊躇してしまう私がいます。理由はお土産を囲んで旅の思い出話をしていると、楽しい時間が終わってしまったという現実を突きつけられた気がして切なくなるから。
私は子どもの頃に「楽しい時間はずっと続かない」ことを、うっすら気付いていたようです。できることなら楽しい時間は終わらないと信じたいけれど、続くと信じたものが突然終わってしまったときの失望感は深いので、幸せの余韻を持ち帰らないようにして心を守っていたのだと思います。
薄々気付いていた「ずっと続かない」が確信に変わったのは、がんを告知された瞬間でした。「残念ながら悪いものでした」と精密検査の結果を告げられたとき、何の危機感も抱かずに働けていた日常、私の体にあり続けると思っていた2つの乳房、まだまだ続くと思っていた命。それらは有限なのだと宣言されたように感じました。
“ずっと”はないから、目をそらさずにいれた父の余命
物事にかならず終わりがあると思いながら生きるのは、悲しいことでしょうか。確かに子どもの頃は物悲しさを覚えたものですが、今は違います。努力しても抗ってもいずれやってくる”終わり”を、しかたがない必然と思えると、私の中に小さな覚悟が芽生え、終わりを受け入れる器が育っていくのを感じています。
父の肺にがんが見つかり余命1年を宣告されたとき、私を支えたのはこれまで積み重ねてきた終わりに対する小さな覚悟でした。命のカウントダウンが始まっていると知ったときは動揺しましたが、指の間をこぼれ落ちる砂を、成す術もなくただ見つめるように時間をやり過ごしたくない。これが避けられない終わりなら、自分にできる最高の「終わりよければすべてよし」にしたいと思い、父に最初で最後の二人旅を提案しました。
父との関係はけっして良好ではなく疎ましいとさえ思っていて、家の中ではほとんど口を聞きませんでした。旅に誘ったのは、長い間埋められなかった溝を埋めたいと思った私の悪あがきだったかもしれません。弱りつつある父の体。電車移動はもう無理、飛行機もしんどそうだ。乗り降りの必要がない船ならまだいけると思い、クルーズ船で4日間の船旅に出かけました。この旅で父は主治医との約束を破り、「今日だけな」と笑いながら船内のバーでウイスキーをおいしそうに嗜んでいました。バーを出て部屋に戻る途中、「もういつ死んでもいいよ」とこぼした一言が、私と父に雪解けをもたらしてくれました。命の有限性は人の心を裸にしてくれる。”終わり”は、やり残したことに踏み込む最後のチャンスをくれると感じた出来事でした。
旅から帰ると容態は急速に悪化し、自力でトイレに行けなくなった父の排泄介助を率先してやっている自分がいました。何の抵抗も覚えずおむつを替える手が動いていたので自分でも驚いています。水も飲めなくなり救急搬送された翌日に父の命は幕を閉じましたが、「ちゃんと見届けられた」という柔らかな安堵感が私を孤独から救ってくれました。
有限だから今が尊く、終わりがあるから頑張れる
子どもの頃は“ずっと”を期待しないことで自分の心を守ってきましたが、今はずっと続かないとわかっているからこそ、そうあってほしいと願う気持ちが芽生えています。それ本当に大切に思う人との、胸が張り裂けそうになる別れを経験してきたからだと思います。数年後も目の前のこの人と会える関係でいたいから、「あなたが大切です」という思いを言葉にして伝えていきたい。このまま健康で過ごしたいから自分の体と心をちゃんと労わりたい。そんな小さな心がけを大事にしています。
がんを経て50代となった今、更年期のゆらぎや親のケアなど抱え事は後を絶たず、毎日がジェットコースターに乗っているようです。心臓がドキッと波打つ”事件”はもはや日常茶飯事。「普通」や「平凡」を手に入れる難しさを痛感しながら、淡々と続く日常の尊さを身に沁みて感じています。
有限だから悲しいとは限らず、終わりがあるから今をどう生きるか考えさせられ、目の前の嫌なこともずっとは続かないと思えば頑張れる。がんは怖いし憎々しいけれど、大切なことを教えてくれる先生のような一面があることも否めないと思うのです。
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