体が硬いとヨガはできない?まずは、心の硬さを取り除こう【ヨガハワイマガジン】

体が硬いとヨガはできない?まずは、心の硬さを取り除こう【ヨガハワイマガジン】
Eric Rosso

ハワイのヨガマガジン「Yoga HAWAII Magazine」人気記事をヨガジャーナルオンラインが独占配信! 今回は、体の硬さが原因でヨガを始められない人へ向けた記事。その恐怖を取り払うメッセージをお届けします。

広告

恐怖に救われることもあるけど、過剰防衛になっていない?

「体が硬すぎてヨガは無理」という声を聞くたびに、その人は恐れを抱いているのだろう、と思う。恐怖は、そのメカニズムを知って優しく対処できれば決して悪いものではない。恐怖を感じるからこそ私たちは安全に生きていられるのだ。例えば私の場合は、怖いからシカゴの暗い路地裏を抜けて近道しないし、怖いから風の強い日にはハワイのオロマナ山に行かない。恐怖のおかげで私は何度も救われている。だが過剰な自己防衛につながることもある。恐怖はいわば悪気のない番犬のようなもので、大抵は良いことまで追い払ってしまうのだ。例えばヨガもそうだ。

これまでヨガクラスに出た経験がなければ、怖いことは山のようにあるだろう。もしもクラスで何をすべきかわからなかったら? けがをしたら? 先生の言うことが理解できなかったら? クラスについていけなかったら? 一人だけ違って見えたり動いたりしたら? 転んでしまったら? 途中でやめたくなったら?

体が硬いと思うのは実は心の硬さが原因?

こんな風に「もしも」が積み重なって、始める前から辞めたくなるかもしれない。これは恐怖が吠える声だ。あなたを悪いことも変化も起きない安全地帯に引き止めようと必死なのだ。ヨガクラスに参加すれば、身体も心も未知の領域に入らなければならないし、未経験の活動に取り組まなければならない。知らないことは怖い。変化も怖い。自分にはできないかも、なんて考えはもっと恐い! だが考えてみてほしい。

体が硬いと思うのは実は心の硬さなのかもしれない。ヨガを練習するにはつま先に手が届かないといけない、などという決まりはない。つま先にさわることを必須条件にしているのは、あなた自身かもしれない。これからヨガを始める人すべてに言いたいのだが、まずは心を柔軟にしよう。そしてこう思ってほしい。自分はヨガを練習できるし、今のままで全く問題ないのだと。

「ヨガをやったらきっとケガをする」と訴える声もあるだろう。その声の根底には身体的な安全性への不安がある。だから私は彼らが安心できるようにこう話している。「あなたの先生は身体に無理がないようにサポートしてくれるはずよ。そもそも私たちはみんなを助けるためにヨガを教える立場にいるの(決してお金や地位のためじゃない)。生徒には安全で力強く快適に動ける感覚を味わってほしいのよ。

生徒がクラスに来たら、私たちはできるだけのサポートを提供するわ。動きに制限があることを話してくれれば、もちろん対応する。怖いと言ってくれれば、それを和らげるように努めるわ。ティーチャーたちにはそれぞれ違うアプローチや個性があるけれど、私たちは皆、生徒のためにベストを尽くしたいの」

恐怖や柔軟さ(あるいは硬さ)と向き合えば、学びは楽しい旅になる!

「体が硬すぎてヨガは無理」という声に対し、こんな答えを聞いたことがある。「それは汚すぎてシャワーを浴びられないと言うようなものだ」と。ユーモアはあるけれど私は同意できない。これまでシャワーを浴びた経験がないなら、この答えでもいいかもしれない。あるいはシャワーを浴びて痛みを感じたり、体に不安を覚えたことがあるなら納得がいく。でもこの答えは人の不安に目を向けずに、むしろあざ笑っている。

ヨガ初心者にとっての最大の難関の一つは、初めてヨガクラスに行くまでの緊張に満ちた道のりだ。心の中は疑いや不安、自信のなさ、混乱でいっぱいで、それがヨガマットを広げる前まで続く。これらの感情を和らげる最も良い方法は、心の奥底の価値観に気づくことだ。例えば完全性に重きをおく人は、自己不信感がわき起こっているだろう。明瞭さや安全に価値を置いている人なら不安が増しているかもしれない。

自分の価値観に目を向けて大切にすると、不快な感情と穏やかに向き合えるようになる。潜在的な価値観を長所として捉えれば、自分の恐れが発する警告に耳を傾けながら、先に進んでも大丈夫だと伝えられるだろう。すると変化が起き、柔軟に新しいものを受け入れるようになる。

ヨガの練習では、安全に恐怖に向き合いながらこんな風に言い聞かせることができる。「ちゃんとあなた(恐れ)に気づいているわ。大切に思うし感謝しています。でもヨガは自分のためになるから練習するの。けっして危険ではないわ」クラスの間は、新しい動きや呼吸を行うたびに、愛情深く根気強くメッセージを送ろう。「怖いなら好きなだけ吠えてもいい。でも私はもっと深い心の声に従うわ」

異なる視点から見れば、世界は大きく広がる。ヨガのアーサナ練習では、まさにそれを体感できるだろう。未知のポーズは快適ではないし簡単でもないが、それに至る努力から得られた知性には価値がある。自分の限界点へと近づくにつれ、比類ない過程を経て己を知ることができるだろう。ポーズの中には(少なくとも今は)自分に向いていないものがあるかもしれない。また、新しいポーズや視点と実際に格闘すると、他の人たちの苦労にも自然に共感できるようになる。

つま先に触ることがヨガではないの。触るまでの学びがヨガなのよ。

アメリカのヨガ指導者で理学療法士のジュディス・ハンソン・ラサターが語った大好きな言葉がある。「つま先に触ることがヨガではないの。触るまでの学びがヨガなのよ」あなたと体は一生の付き合いだ。それは生涯を通じてつま先に触るまでの壮大な道を探検する旅だ。その道に従って、さらに深く恐怖や柔軟さ(あるいは硬さ)と向き合えば、きっと楽しい旅になるだろう。ヨガのクラスはその探究にうってつけの場所だ。

この記事を書いたのは…ステファニー・ケイコ・コング
ステファニー・ケイコ・コングは、全米ヨガアライアンス認定インストラクター養成指導者としてインド、日本、オーストラリア、アメリカで指導している。ハワイ州ワヒアワ出身。ハワイ・シェイクスピアフェスティバルで俳優としても活躍している。

ヨガハワイマガジン/「I’m too inflexible to do yoga

※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。

広告

Model by Melinda Quesenberry
Photo by Eric Rosso
Translation by Sachiko Matsunami

RELATED関連記事