反出生主義ブーム到来!?「生まれない方がいい」と思うと生きやすくなる理由
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
近年、反出生主義(アンチナタリズム)にまつわる書籍が多数発売され、マスメディアでもこの言葉が取り扱われる場面も増えた。私も個人的に、この思想にとても惹かれており、反出生主義と名のつく書籍はつい手に取ってしまう。
なぜなら、反出生主義は、私のように「朝起きるのも、ご飯食べるのも、生きるのもめんどくさ〜」と思っている人にとって、その面倒さを緩和してくれる効果を発揮するからだ。
そもそも「反出生主義」ってなに?
反出生主義を乱暴に一行にすると、「人をこの世に産み出すことは、倫理的に良くない」という考え方になる。哲学者の森岡正博によれば、この思想には二つの層がある。ひとつは「私は生まれてこなければよかった」という個人的な思い。もうひとつは「そもそも人類は子どもを産むべきではない」という主張だ。前者は古代ギリシアやブッダの時代から連綿と続く古い感覚で、後者はごく最近になって立ち上がってきた。この二つが合流したところに、いまの反出生主義が立っている。
理論的な起爆剤になったのが、南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネターの著書『生まれてこないほうが良かった』だ。彼は「生まれてくること」には必ず何がしかの苦痛がついてくる、故に、どんな人にとっても生まれてこない方がマシであるはずだ、と主張している。
日本の反出生主義ブーム
日本で反出生主義に瞬間最大風速が吹いたのは、だいたい2019年から2021年あたりのことだ。2019年には現代思想で反出生主義の特集が組まれ2020年には森岡の入門書『生まれてこないほうが良かったのか?』(筑摩選書)が発売された。この頃から、書店の哲学棚に「反出生主義」の文字が並ぶようになった。また、小説などでも反出生主義者のキャラクターが頻出するようになった。例えば、川上未映子の『黄色い家』(2023年)では、反出生主義者を信じ、出産を望まない登場人物が出てくる。
同時に、反出生主義の哲学者の言葉が日本で紹介されることも増えた。直近では2026年に作家・済東鉄腸が反出生主義の哲学者シオランの言葉を編み直した名言集『生まれるのも生きていくのもめんどくさい! 超訳シオランの言葉』(飛鳥新社)も発売された。フィギュアスケートの羽生結弦がシオランの『生誕の災厄』を自身の演技を考える上で参考図書に挙げていたことも重なって、いまや反出生主義は哲学好きの専有物ではなくなりつつある。
反出生主義は、令和の日本で新しい支持者を獲得し続けているのだ。
「生まれない方がいい」と思うと、なぜ生きやすくなるのか
さて、なぜ今、反出生主義は日本で着目されているのだろうか? また、なぜ私は反出生主義に触れることで、生きやすくなると感じるのだろうか?
1. 期待値が下がる
第一に、反出生主義の前提に立つと、生きることの初期設定は「そこそこしんどい」に設定されることがあげられる。「人生は素晴らしい」と言われたら、「いや、素晴らしくないし、しんどいし」とだるくなるが、「そもそも生まれない方がよかったのに、生きさせられている」と考えると、人生に対する期待値が、ぐっと下がるのだ。
2. 「生きる理由」を探さなくてよくなる
また、人が生きていれば多かれ少なかれ、「何のために生きているんだろう。虚しい」と感じることがあると思うが、反出生主義は、「この人生に意味を見つけなければ」というプレッシャーを緩和してくれる。
例えば、『生まれるのも生きていくのもめんどくさい! 超訳シオランの言葉』では、反出生主義者のシオランが残した、以下の言葉を紹介している。
「人生に意味があるのかどうか、疑問に思う人もいる。だが実際人は、人生が耐えられるかどうかが全てだ。人生の意味とは?という問題は終わり、それをどう耐えるかについての決断が始まる」
訳者の済東鉄腸は上記の言葉を以下のように超訳している。
「人生の意味より、人生にどう耐えるかを考えろ! そしてどうやり過ごすかを決めろ!」
つまりシオランは、人は元から生まれない方がよかった生き物であり、生きるのが耐え難いのなら、自殺でも何でもしたらいい。もし生きるのが耐えられるのなら、生き続ければいい、というわけだ。
少々過激な言葉だが、「生きる意味とは…」と考えても答えは出ないことが多いが、「この人生を生きることが耐えられるか」に対しては答えを出すことができる。「耐えられる」なら、じゃあ、どのように耐え、人生をやり過ごしていくか、にシフトすることができるのだ。後ろ向きに見えて、とても前向きな思考の転換ができるのだ。
3. 固定観念を揺さぶり、物事の両面を見ることができる
反出生主義は、「生きるって素晴らしい」という、古から繰り返し言われてきた価値観を揺さぶる。ポジティブに見えるもののなかにネガティブさを見出し、ネガティブに見えるものにポジティブさを見出すのが反出生主義だ、とも言えるだろう。
実際、シオランは、逆張りの姿勢が徹底していて、一般的に否定されがちな病気や自殺、孤独に関してはそのポジティブな面を語り、一方で肯定されがちなもの、例えば誕生だとか勤勉さだとかはネガティブな側面をあげつらい、ボコボコに叩いていたらしい。例えば、シオランは勤勉な労働を資本主義に与するものとして捉えていた。訳者によると、むしろぐうたら癖やサボり癖、失敗続きの人々に対しては、「現状の問題だらけの資本主義に対抗する可能性」を見出し、ポジティブに捉えていたらしい。
反出生主義は、ともすると、「生きるって素晴らしい! 生きる意味を持とう! やりがいを持って仕事をしよう! 何者かになろう! 生きることは素晴らしいのだから出産するべき!」などの「物事の一面しか見ない凝り固まったポジティブ信仰」に揺さぶりをかけ、目を開かせてくれる思想でもあるのだ。
反出生主義に触れながら生きる
現在の反出生主義ブームはイコール反出生主義を信奉する人が増えていることを意味しない。実際、私も本当に生まれてこない方がよかったのか、というと……まあ確かにできれば生まれてこない方が楽ではあったが、「絶対に生まれてこない方がよかった」とも言い切れず、「100パーセント反出生主義者です」というわけではない。
私にとって今のところ反出生主義とは、生きるのをやめるための思想ではなく、生きることのハードルを勝手に上げすぎていた自分に気づくための「生きやすくなるための薬」なのだ。
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