【88歳が綴る手紙】老いるって案外悪くないかも?!年を重ねることへの新しい気づき

【88歳が綴る手紙】老いるって案外悪くないかも?!年を重ねることへの新しい気づき
Adobe Stock

「年を取るってどんな感じ?」ー60歳目前、老いへの不安を感じる59歳の女性が、親戚である著者へ投げかけた質問へのアンサーとして、80代の作者が綴った手紙。そのやりとりは老いを捉える新しい気づきになるかもしれません。『ニューヨーク・タイムズ紙』ベストセラー作家、ソフィ・バーナムさんの著書『老いることの驚きと幸せ これから年を重ねていくあなたへ、88歳の作家からの手紙』(アスコム)より内容を一部抜粋して紹介します。

Google Newsでヨガジャーナルの記事が見つけやすくなります

Googleに登録する
広告

存在と行動

9月22日
エレノア、お元気ですか。

以前、ヴァージニアに住む友人のお祖母様にお目にかかったことがあります。御年96歳。ちょうどそのときは、炎天下でせっせと庭仕事をされていました。身に着けていたのは、ゆったりとした木綿のワンピースと、つば広の帽子。わたしたちを目にするとにっこり笑ってシャベルを置き、手についた土を服で払いながら、レモネードとクッキーがあるわよと、家の中に招き入れてくれました。そして、クリスチャン・サイエンス(訳注:19世紀発祥のキリスト教系の新宗教)に改宗したばかりだと話してくれました。「要するに『精神が物質に勝る』って教えなの。どう考えるかで人生は決まるのよ」

これをわたしは苦笑いして聞き流してしまいました。当時はまだ、ヒンドゥー教の聖典『バガヴァット・ギーター』も、仏教の『法句経』も読んでいませんでしたし、ましてや1880年代にアメリカで誕生した新思考(ニューソート)運動(訳注:物質に対する精神の優位性を重視するキリスト教の運動)など知るよしもありませんでした。

マインドパワーも、意志や思考の力も、癒やしのエネルギーも、どれもまったく知りませんでした。今では、わたしなりの言葉で説明できます。宇宙はとても寛大で、わたしたちを取り巻く天使は皆、愛に満ちあふれていると信じています。そしてわたしたちの心の奥底にある願いをことごとく目の前に差し出してくれるのです。思いやりのある広い心を持ち、希望に満ちた考え方ができる人には幸せが訪れます。逆に恐れや怒り、絶望、被害者意識や苦痛に身を委ねる人々には、悲しみがもたらされるのです。

どう考えるかで人生は決まるのよ。

もちろん、そんなに単純な話ではありませんね。そのあたりのことを、今度会ったときにゆっくり話しましょう。

老い
photo/Adobe Stock

わたしは動き回ってばかりでじっと座っていることがないと、うちの子たちによく言われます。でも最近は、ソファに寝そべって本を読むだけで満足ですし、インターネットでチェスの手筋を読み解くパズルに挑戦して腕を磨く時間も気に入っています。この年齢になるとかなり時間をとられます。つまり、ただ耳を澄まし、目を凝らすだけで、ということです。一瞬一瞬を身体に染み込ませ、旅立つ前にこの世界を心に焼きつけておかなくては、と思っているかのようです。

若い頃とは違うなと感じることが、もうひとつあります。
わたしは心の奥底で、「何かをすること」や「創造すること」といった行動のほうが、「ただ存在するだけで何もしない」状態よりも価値があると感じるようになっていました。たぶん、家族との食卓や育った文化の中で、無意識のうちにそうした価値観を取り込んでしまったのだと思います。そして長年生きている間に、その感覚がしっかりと身体に染み込んでしまいました。仕事を持ち、子どもや犬や家やパートナーの世話をし、そしてときには病気がちの親の介護まで同時にこなしていれば、誰にも邪魔されることなく湯船にゆったり浸かる時間すらありません。ましてや、スポーツのタイムアウトみたいに誰かが「今は休んでいい」と笛で合図してくれるなんて、夢のまた夢です。

だから85歳になった今でもときどき、「ただ見る」という行為すら無駄にしてはだめだ、とあの昔懐かしい罪悪感に心がざわつくほどです。絵を描くべきではないか、文章を書くべきではないか、裁縫に励むべきではないか、不朽の作品を遺す努力をすべきではないか、とね。そして、そうした営みのほうが〝ずっと優れている〞と考えてきたのです。

けれども今では、時間をなんとかつなぎとめておこうという気持ちはなくなりました。勢いよく流れてゆく時を堰止めるなんて不可能ですし、そんなのはそもそも倫理的に間違ってさえいます。それに、世に出すわけではない言葉や絵で世界を表現しようとはもう考えなくなりました。わたしが旅立ったあとに誰かがゴミとして捨てるだけですから。

老い
photo/Adobe Stock

「school(学校)」という単語は、古代ギリシア語の「σχολή(スコレー)」から来ています。もともとは「余暇」を意味します。アリストテレスは、思索こそが人間にとって最も高貴な営みであり、幸福を実現するうえで思索は欠かせないと考えていました。そして「我々が仕事をするのは、余暇を得るためである」と言っています。

いっそう完全な人間になるために余暇は必要です。単なる怠惰ではありませんし、休息とも違います。むしろ何らかの〝労働〞を伴う場合だってあるのです。自分が何者であるか、何者になりたいのか、この世界のどこに立っているのか、そして大切にしているものは何なのか、こうした問いの答えを見つけるための余地を、余暇はもたらしてくれるのです。

わたしはね、エレノア、老いは何かに対する罰ではないし、ひとつの物語の終わりを告げるものでもないと言いたいのです。老いとはむしろ、余暇を愉しんでいる状態、つまりただ存在しているだけの状態でありつつも、豊かな実りと花の咲き誇る季節の到来を示すものです。それはまるで、秋になると樹々が烈しいほどにあざやかに色づき、葉を散らす前にそのひときわ美しい姿でわたしたちを圧倒するのに似ています。

ソフィー

『老いることの驚きと幸せ これから年を重ねていくあなたへ、88歳の作家からの手紙』(アスコム)

この本の著者…ソフィ・バーナム

1936年生まれ。アメリカの作家、劇作家、エッセイスト、詩人。著書16冊を刊行している作家であり、そのうち3冊は「ニューヨーク・タイムズ紙」のベストセラーとなっている。作品は26言語に翻訳されており、ノンフィクション、小説、短編、詩、戯曲、ドキュメンタリー映画、児童文学、ラジオドラマなど、多岐にわたるジャンルで執筆活動を行っている。世界各国で配信された記事やエッセイも数百本にのぼる。日本で翻訳されている著書に『天使の本』(ジャパン・タイムズ)がある。

Google Newsでヨガジャーナルの記事が見つけやすくなります

Googleに登録する
広告

RELATED関連記事

Galleryこの記事の画像/動画一覧

老い
老い
ソフィー