兄からの性暴力、家庭内の機能不全、いじめ…精神科で20年診断されなかった複雑性PTSD【経験談】

兄からの性暴力、家庭内の機能不全、いじめ…精神科で20年診断されなかった複雑性PTSD【経験談】
AdobeStock

高校2年生から精神科へ通い始め、20年近く対症療法が続いたという小林エリコさん。37歳のとき措置入院をきっかけに、ようやく「複雑性PTSD」と診断されました。その背景には、兄からの性暴力、家庭の機能不全、学校でのいじめなど、複合的なトラウマがありました。『怒りに火をつけろ』(ことさら出版)の著者である小林さんに、長年気づかれなかったトラウマの背景と、回復への道のりについて伺いました。※本記事には性暴力の話が含まれます

Google Newsでヨガジャーナルの記事が見つけやすくなります

Googleに登録する
広告

20年通院してやっと「複雑性PTSD」の診断を受けた

——精神科への通院は、いつ頃から始まったのでしょうか。

高校2年生のときからですね。それからずっと通い続けていましたが、改善というほどの変化は感じられませんでした。薬を飲めばなんとか眠れる、その程度です。

通院していた間、根本的なトラウマ治療の話になったことは一度もありませんでした。「あなたにはトラウマがあるのではないか」と言われたこともなくて、20年近く対症療法だけが続いていたんです。その後、分岐点となったのが、37歳のときに措置入院をしたことで、そこで初めて「複雑性PTSD」と診断されました。

——措置入院に至るまでの経緯を聞かせていただけますか。

当時はあるNPOで働いていたのですが、給料がとても低かったんです。連休がある月は、収入が10万円に届かないこともありました。障害年金を受給していたのでなんとか生活はできましたが、急な出費にはまったく耐えられない状態でした。

ちょうど37歳で、一緒に暮らす予定だった男性に振られてしまったところでもありました。「この先、ひとりで生きていくのは不安だ」という焦りが大きくて、婚活もしてみたのですが、うまくいかなくて。不安が重なって眠れない日が続いていました。

そんな状況だったので、通院していた精神科で「有給休暇を使って休んでもいいですか」と相談したんです。そうしたら主治医に「とんでもない、ちゃんと出勤しなさい」と言われてしまって。結局、無理して働き続けた結果、ほとんど眠れず、食事もまともに取れなくなって、やがて妄想状態に入ってしまいました。

——その状態で措置入院になったのですね。

人から監視されているような感覚があって、自分を天皇だと思い込んでしまったり。近所の老人ホームに不法侵入して捕まり、そのまま強制的に入院になりました。

措置入院は、精神保健指定医2名と都道府県知事の判断がないと適用できない、強制力の強い入院です。担当してくれた先生が私の話をしっかり聞いてくれて、そこで初めて「あなたの不調はトラウマによるものでしょう」と言われ、複雑性PTSDだと診断されたんです。「トラウマはちゃんと治療すれば治ります」とも言ってもらえて、カウンセリングを受けるようになりました。

トラウマの背景にあった家庭環境、性暴力、いじめ

——複雑性PTSDの背景には、どんなことがあったのでしょうか。

兄からの性暴力が大きな要因ですが、それだけではなく、家庭そのものが機能していませんでした。

父はお酒を飲まない日がほとんどないくらいで、ギャンブルも好きで毎週のように競馬や競輪をしていました。深夜に酔って帰ってきては母を殴ったり、怒鳴り散らしたりする。今のカウンセラーには「お父さんはアルコール依存症だったのではないか」と言われていて、私もそうだと思っています。母が暴力を振るわれているところをずっと見ているのは面前DVですよね。

母からは怒鳴られたり叱られたりした記憶はないのですが、同時に、褒められたり遊んでもらった記憶も全然ないんです。子どもへの関心そのものが、薄かったのだと思います。だからお風呂に1か月入らない時期があっても、特に親から何も言われなかったんです。

——なぜ入らなかったのですか?

兄からの性暴力がお風呂場でも起きていたので入れなくなってしまったのと、汚くなれば性暴力がおさまると思っていたんです。子どもが1ヶ月お風呂に入っていなくて、髪からフケがぼろぼろ落ちて、臭いだってしているはずなのに、何があったのかを聞かない。今思えば、おかしな状況ですよね。最近このことをある人に話したら「ネグレクトではないか」と言われて、確かにそうだなと思いました。

お風呂に入れないことで体が臭くなり、それが学校でのいじめにつながっていきました。机を蹴られて教科書を踏み潰されたり、ばい菌のように扱われたり。両親もいじめを知っていたのですが、結局何もしてくれませんでした。父は「お父さんがいるから大丈夫だぞ」と私を抱きしめてくれましたが、それきりです。「いつ助けてくれるんだろう」と思っているうちに時間だけが過ぎていきました。

——進路についても否定された経験があるのですよね。

絵を描くのが好きで、美大に行きたかったんです。でも父からは「美大なんかに行って就職できるのか」と強く反対されました。デッサンを見せたら「うまいじゃないか」と言うので「だったら行かせて」と頼んだのですが、授業料が書かれた美術予備校のチラシを見せると「こんな金があるか」と拒否されてしまいました。

うちは決して貧しい家ではなかったんです。父は一流企業に勤めていたわけではないものの、景気が良い時代だったので、後々父の年収を知ったのですが、私を美大に行かせることもできただろうって思いました。

ただ、父はその給料の多くを自分のために使っていて、母は老後資金のために貯金していて、私には回ってこなかった、という構造だったようです。兄は希望通りの進路に進ませてもらい、祖母から高級な車を買ってもらったりもしていて、私とは扱いがまったく違いました。

10人以上の精神科医にかかってきた

——37歳でようやく今の主治医に出会うまで、何人もの精神科医を渡り歩いてこられたんですよね。

10人以上は変わってきたと思います。なかなか回復を感じられないので、病院を変え続けるしかないと思っていました。

一番最初、高校生の頃に担当医だった女性医師には、忘れられない記憶があります。当時の私は精神科に通えば、半年か1年ほどで治るものだと勝手に思い込んでいました。何ヶ月通っても良くならないので「この病気っていつぐらいに治るんですか」と聞いたんです。そうしたら、「そんなすぐ治るわけないでしょ」と怒鳴られて。それからしばらくしてやめました。

怒鳴ったり不機嫌になったりする医師は、ほかにも何人もいました。3分程度の診察で先生の顔も覚えられないうちに「変わらないね、じゃあお薬出します」で終わるところもありました。機械的な対応の背景には、診療の点数制度があって、長く話を聞いても儲からないという構造的な問題があると聞いたことはあるのですが、一緒に患者のために頑張ろうという気持ちのある先生には、なかなか出会えませんでしたね。

——37歳でやっと合うお医者さんに出会えたとのことですが、お医者さん探しで大事なポイントはありますか?

最近人から指摘されて気づいたのですが、今の主治医は「精神保健指定医」の資格を持っている方です。措置入院の判断ができるくらいの、ある程度きちんとした資格を持つ医師を選ぶことは、いい医師に当たる確率を上げる一つの目安になるのではないかと思っています。もちろん、資格があれば全員いい医師ということではありませんが。

——カウンセリング自体は、トラウマと診断されてからすぐに受け始めたわけではなかったのですね。

数年経ってからでした。カウンセリングは1回1万円ほどで、しかも長期的に通うことになる。お金がなかったので受けられなかったんです。

そのことを主治医に話したら「それならうちでトラウマ治療をやろうか」と言ってくれて。ただ保険診療でできるのは認知行動療法だけで、やってみたものの、私の場合はあまり効果を感じられなくて、結局やめてしまいました。その後、母に「お兄ちゃんにカウンセリング代を出してもらえないか」と頼んだら、兄が意外にも「出すよ」と言ってくれて。兄が全額負担してくれることになって、ようやく今のカウンセリングを受けられるようになりました。

カウンセラーの探し方としては、EMDRという心理療法の学会が公開している治療者リストを見て、自宅に近い方を選んでいます。長期的に通うことが前提なので、通いやすさを優先しました。

※後編に続きます。

 

『怒りに火をつけろ』(ことさら出版)
『怒りに火をつけろ』(ことさら出版)

【プロフィール】
小林エリコ

1977年茨城県生まれ。短大卒業後、成年漫画雑誌の編集職に就くも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。その後、NPO法人で事務員として働きながら、ミニコミ制作のほか、本書のもととなる同人誌を発表。現在は東京大学大学院経済学研究科にて特任専門職員として勤務。
著書に『この地獄を生きるのだ』(ちくま文庫)、『わたしはなにも悪くない』『私がフェミニズムを知らなかった頃』(ともに晶文社)、『生きながら十代に葬られ』(イースト・プレス)、『家族、捨ててもいいですか?』(大和書房)、『私たち、まだ人生を1回も生き切っていないのに』(幻冬舎)など。

Google Newsでヨガジャーナルの記事が見つけやすくなります

Googleに登録する
広告

RELATED関連記事

Galleryこの記事の画像/動画一覧

『怒りに火をつけろ』(ことさら出版)