なぜ、あの人と話すと「どっと疲れる」のか? 臨床心理士に聞く、エネルギーを奪う人から自分を守る「境界線」の引き方
会話が終わった後、なぜか心が重い。悪い人ではないのに、会うたびにエネルギーを吸い取られる感覚——それは「境界線(バウンダリー)」が曖昧になっているサインかもしれません。臨床心理士/公認心理師が教える、人間関係で消耗しないための心理的な距離の取り方をお伝えします。
なぜ「あの人」と話すと疲れるのか——境界線の心理学
「相談に乗っただけなのに、なぜかぐったりする」「断れずに引き受けて、後で後悔する」——こうした経験はありませんか? 日本の臨床心理の現場では、こうした訴えを持つ40代の相談者が増えていると言います。
本記事の監修を務める臨床心理士/公認心理師の甘中亜耶さんは、この「疲れ」の正体は、心理的な境界線(バウンダリー)が侵されている状態だと指摘しています。バウンダリーとは、「自分の責任はここまで、相手の責任はここから」という心理的な線引きのこと。この境界が曖昧になると、他者の感情や問題を無意識に「自分のこと」として背負い込んでしまうのです。
認知行動療法の視点から見ると、この状態は「認知の歪み」の一種である「個人化(Personalization)」に関連しています。「相手を助けなければならない」「断ったら嫌われる」といった思考が自動的に働き、本来は相手が抱えるべき問題まで引き受けてしまうのです。
さらに脳科学的には、他者への過度な共感は前頭前野(感情をコントロールする部位)の機能が低下し、扁桃体(不安や恐怖を司る部位)が過敏に反応しやすくなります。結果として、慢性的なストレス状態が続き、心身ともに疲弊していくのです。
日本の文化的背景も影響しています。「和を重んじる」「相手の気持ちを察する」という美徳が、時に自分の境界線を守ることへの罪悪感を生み出します。「断ると相手に悪い」「NOと言えない自分が悪い」と自分を責めてしまう人も少なくありません。
しかし臨床心理士は言います。「境界線を引くことは、冷たさではなく、健康的な人間関係を築くための基本スキルなんです」
臨床心理士がすすめる「境界線(バウンダリー)」を引く4つの実践
では、具体的にどうすれば良いのか。日本の臨床現場で実際に用いられている、今日から実践できる方法をご紹介します。
実践1:「感情」と「問題」を切り分ける
相手が悩みを話してきた時、相手の感情には共感するが、問題の解決まで引き受けないという線引きを意識します。
【具体例】
NG「それは大変! 私が何とかするから」(問題ごと引き受ける)
OK「それは辛いね。どうしたいと思ってる?」(感情に寄り添い、問題は相手に委ねる)
これは臨床心理学における「感情の検証(Emotional Validation)」の技法です。相手の感情を否定せず受け止めることと、相手の問題を代わりに解決することは、まったく別の行為なのです。
実践2:「即答しない」習慣を作る
日本人は「その場で答えを出すべき」というプレッシャーを感じやすい傾向があります。しかし、即答は境界線を曖昧にする最大の要因です。
【言い換えの例】
「ちょっと考える時間をもらえますか?」
「今日は判断できないので、明日お返事しますね」
「一旦持ち帰って、検討させてください」
この「保留する権利」を行使することは、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)における「価値に基づいた行動選択」につながります。焦って答えるのではなく、自分の価値観に照らして判断する時間を確保するのです。
実践3:「NOのバリエーション」を持つ
臨床心理士の多くが、相談者に勧めるのが「断り方のレパートリーを増やす」ことです。
【段階別の断り方】
ソフトな断り:「今回は難しいですが、次の機会があれば」
理由付き断り:「今、他の案件で手一杯なので、お力になれません」
代替案提示:「私は無理ですが、◯◯さんなら詳しいかもしれません」
明確な断り:「申し訳ないですが、それはお引き受けできません」
重要なのは、断ること=相手を否定することではないと理解することです。自分のキャパシティを守ることは、長期的には相手にとってもプラスになります。
実践4:「身体の違和感」をバウンダリーのサインにする
臨床心理の現場では、身体感覚を境界線侵害のアラートとして活用することが推奨されています。
相手と話していて、こんな感覚はありませんか?
・胸が苦しい
・肩が重い
・胃が締め付けられる
・呼吸が浅くなる
これらは、無意識レベルで「境界線が侵されている」というサインです。この身体の声に気づいたら、物理的・心理的に距離を取る許可を自分に与えます。
「ごめんなさい、ちょっとトイレに」と席を外す、電話なら「また後でかけ直します」と切る——こうした小さな行動が、境界線を守る第一歩になります。
境界線を引くことで起こる心理的変化と注意点
これらの実践を続けると、どのような変化が期待できるのでしょうか。
1. 慢性疲労からの回復
対人援助や心理学の研究においても、境界線の曖昧さとバーンアウト(燃え尽き症候群)や慢性的な疲労感の相関が示されています(Singer & Klimecki, 2014)。他者の問題を背負わなくなることで、脳と身体の負荷が軽減されるのです。
2. 人間関係の質的向上
意外に思われるかもしれませんが、適切な境界線は、人間関係を悪化させるのではなく、むしろ改善します。お互いが「ここまで」という線を理解することで、依存ではなく相互尊重の関係が築けるようになります。
3. 自己理解の深まり
「どこまでが自分の責任で、どこからが相手が背負うべき責任なのか」を見極める過程で、自分の価値観や限界が明確になります。これは認知行動療法における「認知再構成」のプロセスとも重なります。
4. 罪悪感との向き合い方
日本の文化的背景から、境界線を引くことに罪悪感を覚える人は少なくありません。しかし臨床心理では、「罪悪感を感じながらも境界線を守る」という経験の積み重ねが、自己肯定感の基盤になると考えられています。
ただし、重要な注意点があります。
境界線を引くこと ≠ 無関心・冷淡
相手を思いやる気持ちを持ちながら、自分を守ることは両立します。境界線は「壁」ではなく、健康的な距離を保つための「しなやかなフィルター」なのです。
ハラスメントや不当な扱いへの対処は別問題
職場でのパワハラ、セクハラ、DVなどの不当な扱いを受けている場合、「境界線を引く」だけでは不十分です。専門機関への相談や、法的措置が必要なケースもあります。自分一人で抱え込まず、信頼できる第三者や専門家に相談してください。
すぐに完璧にはできなくていい
長年の習慣を変えるには時間がかかります。「今日は断れなかった」と自分を責める必要はありません。少しずつ、できる範囲で実践していくことが大切です。
あなたのエネルギーは、あなたが守っていい
「あの人と話すと疲れる」——その感覚は、決してあなたが弱いからでも、冷たいからでもありません。むしろ、自分の心と体が発している大切なメッセージなのです。
境界線を引くことは、相手を拒絶することではなく、お互いが心地よく関われる距離を見つけることです。あなたのエネルギーを守ることは、あなた自身のウェルビーイングを守ることであり、それは誰かを傷つけることとは違います。
明日、また「疲れる人」に会ったら、少しだけ意識してみてください。「これは私の問題? それとも相手の問題?」と。その小さな問いかけが、あなたの心に余白を作り、もっと楽な人間関係への第一歩になるはずです。
あなたには、自分を守る権利があります。そして、その権利を行使することは、決して悪いことではないのです。
参考文献・出典
杉山崇(2019)『「心の専門家」が教える 人間関係のトリセツ』ディスカヴァー・トゥエンティワン
水島広子(2018)『「自分の居場所がない」と感じたときに読む本』大和出版
信田さよ子(2017)『加害者は変われるか?』ちくま新書
Katherine, A. (2000). Boundaries: Where You End and I Begin. Hazelden.(邦訳:アン・キャサリン『境界線——聖なる境界線』創元社)
Cloud, H., & Townsend, J. (1992). Boundaries: When to Say Yes, How to Say No to Take Control of Your Life. Zondervan.
Hayes, S. C., Strosahl, K. D., & Wilson, K. G. (2011). Acceptance and Commitment Therapy: The Process and Practice of Mindful Change. Guilford Press.(ACT関連の邦訳多数)
Linehan, M. M. (1993). Cognitive-Behavioral Treatment of Borderline Personality Disorder. Guilford Press.(弁証法的行動療法の基礎文献)
Tania Singer, Olga M Klimecki(2014), Empathy and compassion, Current Biology, Volume 24, Issue 18
監修/甘中亜耶
臨床心理士、公認心理師、ストレスチェック実施者
大学院を卒業後、3年間精神科クリニック、保健所でカウンセリングや心理検査を担当。現在は働く人の健康を支援したいと考え、1万人規模の飲食企業で労務を担当している。特に安全衛生業務、休職対応を得意としており、心理士としての知見も踏まえながら業務に従事。
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