与謝野晶子も歌に!明治時代から悩める女性を支える「命の母」が進化中【栗尾モカの更年期大学#5】
「命の母」は、「頑張る女性を助けたい」という願いから明治時代に誕生
――更年期をサポートする薬といえば「命の母」というイメージがありますが、発売されたのは明治時代だそうですね。
白石さん:1世紀以上の長い歴史があります。のぼせや冷えといった更年期症状を改善する「命の母A」と、生理の不調を改善する「命の母ホワイト」。この2つに製品名の共通している「命の母」は、日本で初めて発売された総合婦人薬です。笹岡薬品の創始者、産婦人科医の祖父を持つ笹岡省三により今から118年前、明治36年(1903年)に誕生しました。当時の女性は、家事も子育ても農作業も忙しくこなす人が大半で、大家族を支えるための生活は過酷だったそうです。体の弱い母を見てきた省三は、子供時代より「病に悩む女性を助けたい」という思いを抱いていました。そして薬の販売業のかたわら、あらゆる処方を組み合わせ、研究を重ね、ようやく完成させたのが「命の母」です。体のパーツごとに効く種類の薬とは違い、女の人の体を「全体的」に元気にしたいという思いが込められている点が他の医薬品とは違う点ですね。
――明治時代にこのような薬が生まれたとは、当時としては画期的だったのではないでしょうか。
白石さん:そう思いますね。それを象徴しているのが与謝野晶子さんの和歌に「命の母」があることがめでたい、と詠まれるほどに衝撃的だったのではないかと思っております。当初は更年期というよりも、忙しく働く女性のための煎じて飲む生薬のお薬としてスタートしました。大正から昭和前期にかけて、震災と戦争、改革や民間運動が活発になるなど、多くの人々にとって、激動の時代でした。「産めよ 増やせよ」の戦時体制下に、「命の母」や「子宝薬」として女性たちの間で話題になったそうです。
――産みの親は男性だったのですね。「命の母」というインパクトのあるネーミングに由来はありますか?
白石さん:省三さんが当時、「婦人病者が信頼をもって迎えるような理想薬を作りたい。それは文字通り〝生命を育む母性″であるところから『命の母』という名称をつけました」と語っています。「命の母」は生命を育む母性をいとおしむ思いがこめられているのです。
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栗尾モカ
記者・漫画家。新卒で航空会社に就職。退社後、出版社に入り多くの企画に携わる。「ダ・ヴィンチ」で漫画家デビュー後、朝日新聞の社会見学連載、「TVタックル」モバイルサイトインタビュー、女性誌「STORY」の海外・美容取材など数多くの連載を担当。女性のウェルネスをテーマにしたコミックエッセイは、取材の経験がニュースソースになっている。シンガポールのメディアに再就職した際、締切と子育てに追われる中でインド・バンガロールにあるヨガ研究大学(Swami Vivekananda Yoga Anusandhana Samsthana / S-VYASA)により考案されたヨガインストラクター認定プログラムに出逢い、資格を取得。伝統的なヨガ哲学や、心身を癒すメソッドを学び始める。著書に「サロン・ド・勝負」「おしゃれレスキュー帳」(KADOKAWA)「女のネタ帖」(学研)などがある。
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