長年にわたって「等身大の自分」を受け入れられなかった私が40代になって変わったこと

 長年にわたって「等身大の自分」を受け入れられなかった私が40代になって変わったこと
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井上敦子
井上敦子
2021-05-15

等身大の自分を受け入れることって難しい。若い頃は背伸びをして自分の力量以上のことをしてみたり、理想と現実の落差に落ち込んだり。そもそも自分の大きさも形も、若い頃の私には見えていなかった。人はそんな時期を経て、ようやく自分の全てを引き受けようと覚悟を決められるのかも知れません。個人差があると思うけれど、私の場合は40代に入ってからようやく自分を受け入れることが出来るようになりました。そんな『自分を受け入れる』とこについて、今回は考えてみようと思います。

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等身大の自分を受け入れられるのはいつになるの?

等身大の自分、ありのままの自分…いろいろな言い方があるけれど、一体どれだけの人がそのままの自分の姿に満足しているでしょうか?私にとって『等身大の自分を受け入れる』ことは、長い間とても難しいと感じていたテーマでした。

例えば、理想の自分像があるとすると、そこに届かない自分を受け入れることは難しくなる。自分の欠点や不足が気になりすぎると、その部分を受け入れることも難しくなります。理想には届いていなくても、欠点や不足が気になっても『この自分でOK!完璧!』と言えるってすごいこと。そして強いことです。最近よく自己肯定感という言葉を耳にしますが、それも同じようなことを指しているのだと思います。自分自身を認めて受け入れることは、私だけでなく多くの人にとっても課題となっていることなのかも知れません。

前提として『等身大の自分を受け入れる』ためには、自分のことをある程度知っていなくてはなりません。そうでなかったら、今日の自分は受け入れられるけれど明日の自分は受け入れられない!といったちぐはぐなことが起こってしまうからです。長所も欠点も、得手不得手も含めてあらゆる角度から自分を捉えて、自分の枠組みみたいなものを理解する。それには時間と経験が必要ではないかと思うのです。若くしてそれを成し得る人もいるかも知れないけれど、若い頃の自分像って曖昧で変化しやすいもの。人生経験を積み40代を過ぎたあたりから、自分という人間がどんな人間なのか?自分への理解が深まるのではないかと個人的には感じています。

『あなたのことが苦手でした』

最近驚いたことがあります。何人かの親しい友人に、『実は以前あなたのことが苦手だった』と言われたのです(笑)!!詳しく聞いてみると『昔は本音が見えず、何を考えているのか分からなくて怖かった』と。少しショックではありましたが、同時に納得のいく言葉でもありました。

私はもともとネガティブ思考が強く自分の嫌な部分にフォーカスしてしまう癖があったので、劣等感が強く自分のことを受け入れられずにいました。そんなマイナス面を人に見せたくない一心で、相手が大切な人であればあるほど自分の本音を言わずに、等身大の自分で向き合うことを避けていました。良く思われたいという気持ちもあったし、少しでも良い自分を見せることで自分を好きになってもらえることを期待していたのかも知れません。

でも考えてみれば、自分を受け入れられていない状態で誰かに受け入れてもらおうとすることに無理があったのです。聞こえの良い言葉を並べても、優しく思い遣る言葉を使っても、私が自分を受け入れていないという卑屈さを含んでいる言葉には嘘があったのでしょう。当時の私は今よりも弱くて怖がりで、自分の全部を引き受ける強さがなかったし、誰かを許したり受け入れたりする余裕が持てないくらい自分を取り繕うことに必死になっていた気がします。

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井上敦子

井上敦子

15年間の会社員生活を経てヨガ講師に転身。不眠症をヨガで克服した経験を持つ。リラックスが苦手だった経験から、ヨガニードラを通じてリラックスの本質を伝えるクラスを展開。週に8本のヨガニードラのレギュラークラスを持つ他、指導者養成講座やコラム執筆等ヨガニードラの普及に努めている。



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