【40代女性の幸せのかたち】「妊娠適齢期を過ぎてホッとした」選択肢の多い時代を生きるということ

 【40代女性の幸せのかたち】「妊娠適齢期を過ぎてホッとした」選択肢の多い時代を生きるということ
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井上敦子
井上敦子
2021-05-23

妊娠・出産に関して、子供を持たないアラフォーは岐路に立たされます。子供を持たないと決める選択、たとえ望みは薄くてもチャレンジをするという選択、自然に任せるという選択。子供を産む可能性がゼロでない限り、広がっている選択肢の中で最善の方法を探り、迷う時期なのではないでしょうか。今の私が妊娠適齢期を過ぎて寂しさよりも解放感を感じているのは、そんな迷いを感じながらを30代後半~40代前半を過ごしてきた証拠なのだと思います。

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子供を持たないアラフォーにかかる圧

「今は40代になっても子供を産める時代だからね!」そんな会話になるたび、痛いところを突かれたなぁ、気を遣わせて申し訳ないなぁ、と妊娠適齢期も終盤に入った30代後半~40代前半の頃の私は居心地の悪さを感じていました。婦人科の疾患が見つかり妊娠・出産のステージから早々に降りてはいたものの、「出産できる可能性はゼロじゃない、先進医療で試すべき方法がまだまだあるから」と、再びそのステージに上がるという選択肢が常に頭の中にチラついていたからです。

選択肢が多い状況は一見、恵まれていて幸せな場所に立っているように見えます。たくさんの選択肢があるよ!可能性も広がったよ!選べるなんて自由で幸せなことじゃない、と。確かにそうなのですが…とりわけ妊娠や出産に関しては何かが違う。もちろん医療の発達により出産を願う人が妊娠できるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。でも、医学の力を借りないで自然に身を任せよう、パートナーがいないからその運命を受け入れよう、といった類の人たちが一定数いることは確かで(私もその一人でしたが)、そういった類の人たちも頑張り続けることを求められているように感じてしまう。女性は「産む性」であること、少子化問題が深刻化していること、女性の幸せは家庭と子供を持つことだという根強い価値観(今はだいぶ違うのかな?)。妊娠・出産の可能性がゼロではない限り、子供を持たないアラフォー女性は見えない外圧みたいなものを受けているのだと思う。もしくは、自分の内側にある圧を自分に向けてしまう場合もあります。

男女平等・仕事も家庭も!目指してきた「幸せのかたち」

私たち40代は、男女雇用均等法第1世代だったり、第二次ベビーブーム生まれの団塊ジュニアだったり、「男女の能力の差なんかない、これからも女性は社会にどんどん進出するべき!」と教わって育った世代です。私は私立の女子高に通っていましたが、「女性であっても多様な生き方を選んでいける時代、あなたたちはその最先端にいるのよ!」という先生の言葉を真に受けて、とてもワクワクしたのを覚えています。もちろんそれまでだって自立した女性はいたけれど、その道はいばら道だったし覚悟が必要だった。でもやっと、社会全体で女性の活躍を後押ししてくれる時代が来る。あなたたちはラッキーよね。そんな風に教わったように記憶しています(その予言は当たっているとは言い切れないけれど)。

そして一方では、「女性の幸せは家庭に入って子供を育てること」といった価値観も根強く残っていた時代でした。母にならないと味わえない種類の幸せがあるのことは間違いないけれど、出産=女性の幸せという図式は今よりもずっと強かった。だから、仕事と家庭(子供)両方を手にすることが一番の成功であり幸せなのだと、今考えると結構難題とも感じてしまう幸せのかたちを提案されていたように思います。実際、仕事もバリバリしながら子供を育てる!といった幸せを、当時は多くの友人が夢見ていた。少なくとも私の周りはそうでした。

40代リアルの幸せってどんなかたち?

では今現在、それら全てを手に入れた人たちはどうなっているのだろう?多分私たちはある時点で、仕事も家庭も完璧に手に入れることは至難の業なのだと、気が付いてしまいました。仕事も家庭も子供も手に入れた友人の多くは、どれかを犠牲にしなくてはやっていけないと仕事のキャリアを諦めたり、少しずつ手を抜くことでバランスを保っていたり。仕事と育児の両立は男性の協力なくしては成し得ないから積極的に家事に参加する男性も増えたけれど、それでも女性の負担が大きいというのが実情だったりする。いずれにせよ、仕事と家庭と子供、全てを手に入れた生活も違った意味で随分とハードなようです。

仕事、家庭、子供。幸せのピーズを集めるように、それらを手に入れようとしてきたのが20代と30代。40代になった私たちは、そのうちのどれを持っていてもいなくても幸せにはなれるし、持っていたからといって必ずしも幸せではないということに気が付き始めているようです。一律に幸せになれるかたちなんて存在していなくて、個々に納得のいく生き方を探るというお手本のない幸せのかたち。かつて社会や学校の提案されていた幸せという概念は、ただの一例に過ぎなかったのだ。これからはもっと個人的で個性的な幸せのかたちを、それぞれ探っていけばいいのではないかな…そんな風に感じています。妊娠適齢期を過ぎた私は、手にした解放感と自由をどんな幸せに変えていこうか?これからゆっくりと考えていこうと思っているところです。

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井上敦子

井上敦子

15年間の会社員生活を経てヨガ講師に転身。不眠症をヨガで克服した経験を持つ。リラックスが苦手だった経験から、ヨガニードラを通じてリラックスの本質を伝えるクラスを展開。週に8本のヨガニードラのレギュラークラスを持つ他、指導者養成講座やコラム執筆等ヨガニードラの普及に努めている。



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