好きなものほど、自由でいるのは難しいー『プリズム輪舞曲』が問いかけること| 連載 Vol.28

好きなものほど、自由でいるのは難しいー『プリズム輪舞曲』が問いかけること| 連載 Vol.28
ルッキズムひとり語り+α
前川裕奈
前川裕奈
2026-08-18

社会起業家・前川裕奈さんのオタクな一面が詰まった連載。漫画から、社会を生きぬくための大事なヒントを見つけられることもある。大好きな漫画やアニメを通して「社会課題」を考えると、世の中はどう見える? (※連載当初は主にルッキズム問題を紐解いていたが、vol.11以降は他の社会課題にもアプローチ。)

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金髪、ロン毛、テンション低い、絵の天才、実は貴族展開、そしてCVは内山昂輝さん。こんなの好きにならないわけない、大好物の属性の過積載すぎる。神尾葉子先生、オタクを狩る天才すぎます。

そんな邪な理由から見始めた、神尾葉子先生原作のアニメ『プリズム輪舞曲』。キットが出てきた瞬間に「はいはいはい、こんなの当然好きです、夢で百万回会いましたね」と脳内拍手してたのだが、一気に最後まで見終えたあと、私の中に残った想いはこうだった。

好きなものを、自由に好きなままでいるって、案外難しいのかもしれない。

物語の舞台はロンドンの名門美術学院で、絵や彫刻を創造することに夢中な人たちが登場する。それぞれ創造することが好きで、それぞれの才能がある。けれど、みんながみんな「好き」だけでずっと走り続けられるわけではない。必ず、その先では誰かに評価される。順位がつけられる。競争になる。自分より才能のある人に出会う。比べる。負けたと思う。その結果によって将来の選択肢も絡んでくる。ただ好きで描いていたはずの絵に、少しずつ別のものがくっついていく。

これは、絵に限った話ではないと思う。

好きで始めた仕事なのに、成果や売上が気になる。好きで走っていたはずなのに、誰かのタイムと比べる。好きで着ていた服なのに、「似合っていると思われるか」を考えはじめてしまう。好きで始めた発信なのに、フォロワー数などを気にしてしまう。

世間はよく、「好きなことを見つけよう」「好きなことを仕事にしよう」「自分らしく生きよう」といとも簡単に言う。けれど、もしかしたら、好きなものを見つけること以上に難しいのは、その先で見つけた「好き」を、他人の評価から守ることなのかもしれない。「自由」に、ただ好きでいつづけることなのかもしれない。

SNSを開けば、自分より優れた人なんて一瞬で見つかる時代だ。絵を描けば、とんでもなく上手な人がいる。走れば、もっと速い人がいる。仕事をすれば、もっと成功している人がいる。発信をすれば、自分より大きな数字を持つ人がいる。踊れば、歌えば、書けば、作れば、撮れば......なんだって比較対象や自分の先をいく人はいるものだ。

本来、「好き」には勝ちも負けもなかったはずなのに、誰かの物差しが入り込んだ瞬間、それは簡単に競争へと姿を変える。『プリズム輪舞曲』の中でも、りりや、ピーターはキットと自分を比べて苦しむ。それに、順位や評価を得ないと、未来の道が切り拓けない者だっているわけで。けれどキットからすれば、ピーターにも、りりにも、それぞれ自分にはない魅力がある。誰かになろうとしなくていい。それぞれの絵を描けばいい。そんなメッセージが、作品のあちこちに流れているように感じた。

私たちの「好き」は、実はすぐそばにあるはず。それは、目立つものかもしれないし、そうではないものかもしれない。自分が長けているものかもしれないし、そうではないものかもしれない。けれど、本来は小さなことも含めれば「好き」が散らばってるはずだ。それを私たちは、「そんなにうまくないし」「結果が出ないし」と、自由に何かを愛せる気持ちを手放してしまっていないだろうか。

私も10年くらいランニングをしている。好きだから走っている。けれど、昔はランニング暦が長い割に全然速くならないことがコンプレックスだった。かっこよく走れない。自分よりも最近始めた人の方がどんどん速くなって、悔しかったり。SNSにタイムや走ったことを載せていたから、尚更周りに評価されてる気になって、どんなに映えるランニングショットが撮れても、タイムが遅い時は載せたくなくなってた。それでも私が走り続けてきたのは、やっぱり「好き」だから。最近はレース前以外はタイムも気にならなくなってきたし、プロではないのだし、長い人生を心身ともに健康でいるために走ってるというマインドに変わってきた。しかも、速い人だって「君は遅いな」なんて思うわけがないのだ、みんな好きだから走ってる、それでいいんだ。

一方で、この作品にはもうひとつの「好き」も描かれている。

キットの許嫁として登場するキャサリンは、自分が何を好きなのかがわからないし、考えたこともなかった。婚約者としてどう生きるか。求められている役割をどう果たすか。そんなことばかりを考えてきた彼女は、りりに「何が好き?」と問われて、初めて自分自身に目を向ける。そして、自分は服が好きなのだと気づき、自分の夢や人生における「好き」を「自由」に素直に生きていく。自分自身を大切にし始めてからの彼女は、とっても素敵だった。

キャサリンを見ていて感じたのは、いつの時代もこういうことがあるな、ということだった。「妻だから」「社会人だから」「この年齢だから」「女だから」と、誰かから求められる役割や、“こうあるべき”に応え続けているうちに、自分に「私は何が好き?」と尋ねることを忘れてしまうことがある。だからキャサリンが服を好きだと気づく場面は、単なる「夢を見つけた」という話ではなく、彼女が少しずつ人生を自分に返していく過程のように、私には見えた。

『プリズム輪舞曲』全体を通して、その変化にきちんと時間がかかることに好感が持てた。挫折した次の瞬間に答えが見つかるわけではない。夢に気づいた翌日に人生が変わるわけでもない。誰かを好きになったからといって、すぐにすべてがうまくいくわけでもない。

登場人物たちは、年単位で迷い、離れ、選び、また戻ってくる。そこに私は、苦しいくらいに「人生」のリアリティを感じた。「自分らしく生きる」なんて言葉にするのは簡単だけれど、そもそも自分らしさなんて、そんなに簡単に見つかるものでもない。

10代や20代の頃の自分に、今の私は何と言うだろう。きっと、「もっと自分らしく生きなよ」とは言わない。あの頃の私にはあの頃の悩みがあって、他人の評価が気になったり、自分の選択に自信が持てなかったりした。それを飛び越えて、今の場所に来ることはきっとできなかった。

でも、ひとつだけ教えてあげられるなら、「10年以上先には、今よりずっと“好き”に自由でいるよ」と言いたい。

もちろん、今だって迷う。人と比べることもあるし、自分が何をしたいのかわからなくなることだってある。それでも以前より、自分に「私は本当はどうしたい?」「今、何が好き?」と聞けるようになった。

もしかすると、自分らしく生きるというのは、「これが本当の私だ」という揺るがない答えを見つけることではないのかもしれない。好きなものが変わってもいい。一度諦めてもいい。離れたものに戻ってきてもいい。まだ好きなものがわからなくてもいい。ただ、誰かの評価や、“こうあるべき”の声に自分の「好き」が聞こえなくなりそうになったとき、何度でも自分に問い直す。

「私は、何が好き?」

そうやって、自分の「好き」を自分の手に取り戻し続けること。それが、「自分らしく生きる」ということなのかもしれない。定期的に自問自答しても良いのかな、と思った。

ちなみに、今の私に「何が好き?」と聞かれたら、金髪ロン毛、ダウナー気味、絵の天才、実は貴族なCV内山昂輝さんのキット・チャーチ君です。これは、誰の評価にも揺らがない自信あり。

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