推しの現場に"勝手に"かわいくしていく理由ー漫画『だから私はメイクする』と考える自分軸 | 連載 Vol.25

推しの現場に"勝手に"かわいくしていく理由ー漫画『だから私はメイクする』と考える自分軸 | 連載 Vol.25
ルッキズムひとり語り+α
前川裕奈
前川裕奈
2026-04-09

社会起業家・前川裕奈さんのオタクな一面が詰まった連載。漫画から、社会を生きぬくための大事なヒントを見つけられることもある。大好きな漫画やアニメを通して「社会課題」を考えると、世の中はどう見える?

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推しのイベントの日、ちょっと気合いを入れてメイクをする。推しのメンバーカラーの服を新規調達したり、ヘアセットもして、いつもより少しだけ“盛る”(死語...?)。

 「推しに見られるわけでもないのに、なんでそんなに頑張るの?」

いや、逆に聞くけど、なんで“見られないと頑張っちゃいけないの?”と思う。一番かわいい自分で、その時間を味わいたい、ただそれだけ。オシャレをしてイベント現場に来ている多くの我々オタクたちは、推し本人の認知が欲しくてかわいくしていくわけではない(と思う)。なんなら、私のように推しが二次元の場合、どうやら彼らはリアルな視覚をもっていないらしい......!けれど、ソロ参戦でも、後方部の席だとしても、ちょっとその日に向けて肌のメンテも頑張れたりするのだ。

というのも、かわいくいようと思うこと自体、本来は「自分」のためにするものだから。おしゃれって、社会のため、イイネのため、恋人のため、学校で浮かないため、推しのため、そういった他人軸ではなく自分軸の理由で楽しむものじゃないのだろうか。

けれど、ルッキズムをテーマにメディアに出ると、必ずテンプレのようなクソリプが飛んでくる。

 「ルッキズムの発信してるのに髪染めてて草」
「ルッキズム反対派のコメンテーター、きちんとメイクしてるの矛盾すぎ」

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まだ一部の人にとっては、「ルッキズムを否定する」ということは、「外見に関心を持たないこと」や「おしゃれをしないこと」と、結びついているようだ。彼らからしたら、ルッキズムを否定する人はみんな、素っ裸にすっぴんで外を歩けということなのだろうか(捕まる)。

自分のためにおしゃれをすること、メイクを楽しむこと、自分の“好き”を更新し続けること。それ自体は、とても自由で、健やかな営みのはずだ。人間に生まれた以上、楽しむ権利も放棄する権利も共にある。

原案「劇団雌猫」さん・漫画シバタヒカリさんの 『だから私はメイクする』には、そんな「自分のため」の選択を積み重ねる人たちが描かれている。

例えば、メイクに目覚めてどんどんメイクが濃くなっていく女の子。友人に心配され、恋人には「すっぴんと違いすぎる」と別れを告げられる(同じなわけないだろ)。よくある物語なら、ここで「本当の自分ってなんだっけ」と立ち止まる展開になりそうなものの、彼女は迷わない。「自分が楽しみたい」「なりたい自分でいたい」。その気持ちを手放さず、そのメイクのまま笑顔で前を向いていくし、振られたことも微塵も引きずっていないし、友達もその姿に「素敵だね」と安心していく。

ほかにも、「加齢とは、好きなものを手放すことなのか」と悩んでいたロリータファッションが好きな子が、最後には「一番しっくりくるから」と満面の笑みでロリータに戻る。「どうか貴方が自分の好きな世界を、自分勝手な理由以外で手放さないように」、その言葉とともに、自分の“好き”を堂々と纏う姿は、とてもまっすぐで、美しかった。最近では、イエベとかブルベとか骨格診断とかモテ系とか色々あるし、それらを否定するつもりはないけれど、私はファッションに関しては「自分が好きなものが結局一番勝手に似合ってくる」と信じている。だって、それを楽しんで愛している自分が一番イキイキできるのだから。

おしゃれをすることは、誰かに評価されるためのものじゃなくていい。本来は、自分の機嫌を取るためのものだ。それなのに、私たちはいつの間にか、「それってかわいいの?」「モテるの?」そんな“他人のものさし”で、自分や他人の選択を測ろうとしてしまう。

例えば、「美人だからもっとメイク薄い方がいいよ」「かわいいから髪の毛おろしたほうがいいよ」といったクソバイス(クソなアドバイス)を、褒め言葉とすら思って発してる人もいる。でもそれは、「褒めに化けた“自分の思ういい女(男)”を正解にした添削行為」と『だから私はメイクする』の中でも言っていて、清々しかった。添削行為、まじ不要。ルッキズムがしんどくなるのは、メイクやファッションそのものの問題ではない。それが「他人軸」にすり替わったときだ。たしかに境界線は見えづらいかもしれない。けれど、“社会が認めるかわいい”に自分を寄せ続けることで笑顔がなくなるのなら、どれだけ整っていても苦しくなる。逆に言えば、そこに自分の意思と楽しさがあれば、誰に何を言われようと、自分が好きな自分でいることは自由な選択のはずだ。

私は、鏡を見たときに「今日もビジュいいな」と口角が自然とあがる自分でいたい。それは誰かに評価されるためじゃなくて、自分が自分をご機嫌にするための、小さな習慣だ。繰り返しになるが、ルッキズムを手放すというのは、おしゃれや自分磨きをやめることではない。「誰のためにそれをしているのか」。その問いを、自分に返し続けることだと思う。そのうえで、もし今の自分が「これが好き」「これが楽しい」って思えてるなら、もうそれだけで優勝!誰にも見られてなくても、推しに認知されてなくても、自分の中で「今日の私、最高」って思えたら、それで全部報われる。

だってどうせなら、自分の人生の現場くらい、一番かわいい自分で参戦したいじゃん?!『だから私はメイクする』、まさにそのとおり。私は今後も、ルッキズム否定派としてメディアに呼んでもらった時にも、どちゃくそにかわいい私でいかせてもらいます!

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