セーラー戦士やプリキュアたちが拓いてくれた道〈 #ルッキズムひとり語り Vol.11〉

 セーラー戦士やプリキュアたちが拓いてくれた道〈 #ルッキズムひとり語り Vol.11〉
ルッキズムひとり語り
前川裕奈
前川裕奈
2024-09-05

社会起業家・前川裕奈さんのオタクな一面が詰まった連載。漫画から、社会を生きぬくための大事なヒントを見つけられることもある。大好きな漫画やアニメを通して「社会課題」を考えると、世の中はどう見える?

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「将来はアンパンマンの弟子になって一緒に世界を救うんだ!」

幼い頃の私は小さな拳を握りながらそう誓い、未来に対して夢とか希望しかなかった。アンパンマンガチ勢だった私にとって、彼は唯一無二のスーパーヒーロー。当時からコスプレ癖があったのか、ちゃんと公式のマントだって自分用に持っていた。しかし、そんな夢を近所の友達に話したら「女じゃ無理だよ〜」なんて無邪気な返答が、無垢な私の心を叩きのめしたのを鮮明に覚えている。確かに当時は、戦隊モノ、スーパーマン、仮面ライダー系は男性ばかりだった。今でも、どちらかといえばそのイメージはまだ強いのかもしれない。私は、アンパンマン二世になる夢を諦め、「将来何になりたいの?」と聞かれたら「お花屋さん」と答えるようになった。

そんな中、小学生になって出会った『セーラームーン』。女の子がヒーローになる物語は衝撃的だった。「女」というだけで強くなることを諦めていた私にとっての「性別の壁」をぶち壊してくれた。セーラームーンの側には、タキシード仮面という存在がいつつも、個人的にはタキシード仮面が必ずセーラームーンを救うわけではない。なんなら時々タキシード仮面が足手まといになり、セーラー戦士たちが助ける描写もあるのが結構好きだった。女の子でも「強く」なれる物語は私を奮い立たせ、アンパンマンの弟子になりたかった頃の感情が蘇った。

よくよく考えたら、『セーラームーン』より前には『リボンの騎士』で、「男装の麗人」がヒロイン兼ヒーローという、当時では斬新な設定で「戦う少女」が描かれていた。父親が手塚治虫ファンだったので(オタク気質の血は抗えない)、家にあった『リボンの騎士』を読みながらサファイアに密かに憧れていたのを思い出す。『リボンの騎士』や『セーラームーン』のおかげで、女の子でも世界を救う職業に就ける、再びそう思えた。

時が経つにつれ、そもそも現代社会において世界を救う系のヒーロー的な職業がないことを悟った。これが大人になるってやつか。それでも常に自分なりに将来の理想像は描き続けてきた。紆余曲折を経て、現在の私は世間でいう「女性起業家」ってやつになった。しかし、私はこの呼び方が嫌いだ。女性起業家、女性議員、女性役員、女性女性って....なぜそこまで性別を誇張するのだろうか。男性たちは「起業家」「経営者」とシンプルに称されているのに。一般的に男性が多い起業家や経営者のなかで、私が挑戦できたのはかつてのセーラー戦士たちが「性別で夢を諦めるな」を教えてくれたから。けれど、叶えた先で「性別でくくられる」現実に戸惑った。私は女性起業家ではなく、ただの起業家なのに。

漫画の世界は「性別にかかわらず、なんだってできる!」を教えてくれた。女の子だって活躍できるんだ、と勇気をくれた。大人になってからハマりまくったアニメのひとつ、『僕のヒーローアカデミア』では、性別問わずかっこいいヒーローがたくさん出てくる(ミルコ最高)。それから最近では『プリキュア』だって凄いんだから。「女性だから諦める」だけでなく「男性だから諦める」も払拭してくれた。そう、プリキュアにも男の子のプリキュア、キュアウィングがいる。けれど、キュアウィングのことをあえて「男性プリキュア」とは呼ばない(ちなみにキュアウィングの声優、村瀬歩さんは天才的な演技力だと思う)。プリキュアはみんなプリキュア、起業家はみんな起業家。現実世界でも性別でくくることがなくなっていってほしいものだ。

つい先日「女性起業家特集に出て欲しい」という取材依頼があった。起業後まもない頃は、会社のプレゼンスのためにも取材に対しては完全イエスマンになっていたが、「”女性”起業家特集」という括り方に違和感をおぼえた私は、その理由も説明した上でお断りした。先方は目から鱗状態で「確かに性別でくくるのはおかしいのかもしれない、企画名も考え直してみる」と言ってくださった。誰も悪意なんてないのなら、こうして一つずつ紐解いていくのが近道なのかもしれない。今の私にできる「ヒーロー活動」はこういうことなのかもしれない。

 

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今までの10回分の「ルッキズムひとり語り」では、「ルッキズム」x「漫画」をテーマにコラムを書いてきた。しかし、ルッキズムについて考える際、必ずといっていいほど「ジェンダー」をはじめとする他の社会課題も関係してくる。私たちの抱える悶々とした「生きづらさ」は様々な方向から生み出されている。今回以降のコラムでは、ルッキズムに限らず、現代社会を生き抜く際に感じる様々な社会課題について漫画を通して考えていきたいと思う。

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AUTHOR

前川裕奈

前川裕奈

慶應義塾大学法学部卒。民間企業に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。 独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にフィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業し代表に就任。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、様々な社会課題について企業や学校などで講演を行う。趣味は漫画・アニメ・声優の朗読劇鑑賞。著書に『そのカワイイは誰のため? ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』(イカロス出版)。



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