「消滅可能性都市」は「女性の責任」?地方都市から女性が流出する本当の理由を考える。
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
日本創成会議が2014年に「消滅可能性都市」を発表した。
「消滅可能性都市」の定義は、「2020年から2050年にかけて、20~39歳の若年女性(出産可能年齢の95%)の人口が5割以下に減少する市区町村のことを指す。
「消滅可能性都市」には地方都市が多く含まれ、特に北陸地方からの女性の流出は抜きん出ている。地方から上京してくる若者は男女問わず多数いるわけだが、北陸地方では、女性の流出人口が男性の2倍以上になる県も少なくない。
なぜ地方から女性が流出するのか
いったいなぜ、地方出身の女性は、生まれ育った土地を出ていく決断をするのだろうか。
山梨県在住の山本蓮は「地方女子」プロジェクトを立ち上げ、10代から30代の地方出身女性たち100人に聞き取り調査を行なってきた。
その調査によると、一番多くの理由は「働きがいのある仕事が見つからない」というものだ。男性は営業、女性は補佐と固定される土地柄では、女性が能力を発揮するのは難しい。
また多くの女性が「女性の役割を求められるのが息苦しい」ことも地方から出る理由の一つだと述べた。
地方で期待されがちな女性の役割とは、結婚して、子供を産み、夫や義父母、子どもの世話をするというものだ。ケア役割を「女だから」無償ですることを期待され、同時に低賃金で補佐的な仕事しかできないとしたら、若い女性が地方に止まるモチベーションは下がるだろう。
そう考えれば、消滅可能性都市が消滅の危機にさらされている理由は、「女性差別を行なっているから」「女性にケア労働を押し付けているから」「女性の生き方の多様性が認められておらず、結婚・出産がなかば強制されているから」だということになる。
「消滅可能性都市」が生まれるのは、若年女性たちの問題ではなく、社会の問題だ。しかし、「消滅可能性都市」「地方からの女性流出」が議題に上がる時、「女性がわがままだから」という風潮で語られることは、いまだに少なくない。
「女性の責任」にされてきたこと
ことほど左様に、他の責任者の所在を曖昧にしたり、透明化したりするために「女性に責任がある」とされるケースは少なくない。
最も顕著なのは、性売買だ。たとえば、パパ活や立ちんぼのニュースが報道される時、「街角に立つ少女たちの闇」「パパ活女子たちの生態」などが声高に語られることは多い。一方、「未成年や10代少女を買う中年男性の闇」「若い女の子にお金を払って食事をする中年男性の生態」にはフォーカスされない。それどころか、彼らには「立ちんぼ」「パパ活」のような名前すら付与されず、透明化されている。いったいどんな男性が、歳の離れた女性や未成年にお金を払い、性欲や加害欲を満たしているのか、その詳細は不透明だ。
立ちんぼが一斉摘発された際にも、少女たちが捕まる一方、買春している男性たちは捕まらない。立ちんぼを排除するためには、買春している男性たちも同時に取り締まることが大切であり、「買春すれば捕まる」がデフォルトになれば、すぐにでも問題は解決することが明らかなのに、彼らは取り締られることがない。
驚くべきことに、「援交少女」が流行語だった時代から20年以上経った現代でも、状況は全く変わっていない。「援交少女」が流行していたとき、社会学者の宮台真司は「少女たちの心の闇」をあらゆる媒体で語っていたが、「少女たちにお金を出してセックスしていた中年男性の心の闇」については語らなかった。彼らはいないものとされていたのだ。
また、「魔性」という言葉も女性に責任を押し付ける言葉として機能してきた。数年前、10代の女性俳優を称する記事で、「大人の男を狂わせる魔性の女優」と書いたものもあった。10代の女性に欲情しているのはその「大人の男」であるにも関わらず、大人が10代に欲情してしまうのは「その女が魔性だから」ということにされていたのだ。
女性側にレッテルを貼り、罪を着せようとする言葉はあまりにも多い。多すぎてツッコミが追いつかないほどだが、いちいちツッコミを入れていかなければ、いつの間にか「魔性の女のせい」にされてしまうだろう。
変わるべきは女性ではない
『地方女子たちの選択』(上野千鶴子・山内マリコ・藤井聡子著 桂書房)において、社会学者の上野千鶴子は、地方から女性が流出する原因について「その背後には、女性を“産む機械”とみなす根強い女性蔑視がある」と喝破している。
また、「選択肢があること、他の選択肢がある上で選ばれる郷里であること……女性たちに地方を選んでもらうには、変わるべきは地方の方ではないのか? 人口減少の責任を女性に転化する前に、地域社会をつくる一人ひとりに、なすべきことがあるのではないだろうか」と述べている。
地方流出や人口減少、少子化などの社会問題などは、さりげなく「女性の責任」にされてしまいやすい。
しかし、「女性は田舎にとどまって出産・育児をするべき」「子供を産まない女性は無責任」などと女性を責めたり、罪悪感を植え付けたりしようとしても、令和の今、鵜呑みにする女性は少ないだろう。
「女性の責任」という意識がどこかにある限り、これからも地方から女性は流出し続けるだろう。そして、「消滅可能性都市」の自治体は、実際に消滅する可能性がある。
しかし、それでいいのかもしれない。そもそも「女性が低賃金しか得られておらず、出産や育児が義務化されている自治体」を存続させるべき、という前提そのものが胡散臭いものなのだから。
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