「見る」という権力。男性の眼差し「メイル・ゲイズ」だらけの世界に生きることの弊害とは
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
「上様の、おなりー」という掛け声と共に、上様が大奥に足を踏み入れる際、通常、大奥の女たちは、顔を伏して上様の顔を見ないようにします。
一方、上様は女たちをしっかりと見て品定めし、夜伽(性行為)の相手を指名することができました。
基本的に、下のものが上のものを「見る」は無礼なことであり、上のものは下のものを「見る」権力を持っていたのです。このことは、現代社会にも通じる話でしょう。
権力を持つ人の性別が男性に偏っている現代日本社会においては、男性が「見る」、女性が「見られる」という構造が維持されています。
男性の眼差し「メイル・ゲイズ」とは?
男性が「見る」、女性が「見られる」構造が維持されている社会では、メイル・ゲイズが浸透しています。
メイル・ゲイズとは、男性の視点や欲望を通して、女性を描写・表現する視線のあり方のことです。
例えば、映画やドラマで女性キャラクターが男性の性的欲望を満たす対象や、褒め役割、ケア役割としてのみ描かれるなど、男性主人公に奉仕するキャラクターとして描かれることが挙げられます。
例えば、難病ものでヒロインが瀕死の状態にあり、男性主人公が、「ヒロインの死によって成長する」物語があります。この際、ヒロインが受動的で、単に男性主人公を成長させるための装置として描かれている場合、この作品はメイル・ゲイズによって作られていると言えます。
また、広告でもメイル・ゲイズは見られます。例えば、2015年に炎上したルミネのCMで、「職場の華」であることを目指すように促すものがありました。「職場の華」とは、女性にとっての「華」ではなく、そこで働く男性の癒しとしての「華」であることは一目瞭然です。このように、「男性に愛される女性像」が理想的だと暗に示す広告は典型的なメイル・ゲイズだと言えるでしょう。
男性の脱毛広告の中でさえ不可視化される男性
広告におけるジェンダー表象を分析した『その<男らしさ>はどこからきたの? 広告で読み解く「デキる男」の現在地』(小林美香・著/朝日新書)では、都市のあちこちに「女らしさ・男らしさ」というジェンダー規範を強化し、再生産している広告が多いことから、「都市の景色はさながらポスターや看板、デジタルサイネージに塗り込められた家父長制」だと指摘しています。
家父長制において、男性は「見る」側で、女性は「見られる」側です。
筆者は、女性を性的客体として捉える「男性の眼差し(メイル・ゲイズ)」が社会に浸透しているために、男性は自らが「眼差しを差し向ける側」であると認識する、と指摘しています。「眼差しを向ける側」とは、あたかも透明な存在であるかのように、姿を見られることなく、「一方的に見ること」を享受できる側のことです。
自分の容姿には無頓着なのに、女性の容姿に対して厳しい目線を向ける男性が少なくないのは、眼差しを差し向ける自分自身を透明化しているためでしょう。
この男性自身の透明化は、ウェブ広告にも見られます。通常、女性向けの脱毛広告の場合、ツルツルの肌になった女性自身にフォーカスが当たります。しかし、男性向けの脱毛広告(男性ユーザー向けにカスタマイズして流されているため、女性は目にする機会が少ないもの)では、脱毛をする女性スタッフにフォーカスが当たり、男性客は映されないことが少なくないのです。女性スタッフは、若く、可愛らしく、短いスカートを履いて、「男性に対する褒め役、性的な奉仕役、ケア役割」として描かれます。
メイル・ゲイズの弊害。男性の視線を通して、自分をジャッジする女性
このようにメイル・ゲイズだらけの世界に生きることは、さまざまな弊害があります。
それは、女性が自分の身体を常に「見られる対象」として意識せざるを得なくなることです。メイル・ゲイズを内面化してしまったら、摂食障害や整形依存、老いへの恐怖などに追いやられ、遅かれ早かれ、自信を失うことになるでしょう。メイル・ゲイズによって描かれる女性キャラクターにみられる「男性に奉仕するいい女」を目指して、主体性を失ってしまう可能性もあります。換言すると、「自分らしさ」より「女らしさ」を目指すようになってしまうのです。そうなると、必然的に、女性の生き方の多様性は失われてしまいます。
「見る」を取り戻す
メイル・ゲイズが蔓延する世の中で、メイル・ゲイズの影響を受けずに生きていくことは可能なのでしょうか?
それはとても難しいことのように思われます。例えば、女性が「女性はドロドロしているから」「女の友情はハムより薄い」などと言うことがあります。当人に、大切な女友達がいたりとしても、そう言ってしまうことがあるのです。その女性は実際に男性の友情と女性の友情を比べてそう言っているのでしょうか?違います。大抵は、世の中のメイル・ゲイズに基づいた、「(女同士は連帯してほしくないから)女同士はドロドロしていてほしい」という欲望に、影響されているだけなのです。
このようなメイル・ゲイズの影響を受けずに生きていくためには、自分自身を注意深く観察し、メイル・ゲイズを内面化していないか、を確認する必要があります。
また、男性が「見る」女性が「見られる」という非対称性を崩すために、女性自身が「見る」を積極的に行うことも必要でしょう。
『その<男らしさ>はどこからきたの? 広告で読み解く「デキる男」の現在地』では、「さまざまな広告の観察と分析を通して、家父長制的な価値観がいかに視覚化されているのかを確認する作業を繰り返しながら綴ってきた」とし、「この観察を通したコミュニケーションによって、社会を少しずつでも変えて、新しい表現が作り出す景色を見たいと願っています」という文言で締めくくられています。
「見る」という行為に込められた権力を意識し、批判的に観察し続けること。そして何より、私たち一人ひとりが「見られる」だけの存在から「見る」主体へと変わっていくこと。それこそが、真の意味でのジェンダー平等社会への道筋なのかもしれません。
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