「仕事と家庭のバランス」を追求するフェミニズムは女性を幸せにする?

「仕事と家庭のバランス」を追求するフェミニズムは女性を幸せにする?
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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ママ向け雑誌『VERY』のキャッチコピーは長らく「基盤のある女性は、強く、優しく、美しい」でした。基盤とは家庭のことであり、「家庭という基盤」があることに誇りが感じられるコピーでした。その後、変更されたコピーは「私たちに、新しい時間割」です。

かつては、社会的に“幸せな女性像”とされやすかったのは専業主婦でした。価値観や経済状況の変化などによって、現代は、「キャリアも家庭も」手に入れた女性が理想的だと考えられがちです。「私たちに、新しい時間割」は仕事と家庭の両立に悩まされる女性たちの心に寄り添ったものなのでしょう。

昨今、メディアでは、キャリアと育児を両立させる「輝く女性」の特集が組まれ、書店では「女性の働き方」を説く本が平積みされ、SNSでは、朝からジムに通い、仕事で成果を上げ、夕方には手作り料理で家族を迎える女性たちの投稿が「いいね」を集めています。

「女性も社会で活躍できる時代になった」「選択肢が増えた」。確かにそうかもしれません。しかし、この明るい光景の裏側で、何かが見落とされている、とアメリカの研究者キャサリン・ロッテンバーグの著書『ネオリベラル・フェミニズムの誕生』(河野真太郎訳 人文書院)は指摘しています。

新しいフェミニズムの正体。新自由主義(ネオリベラリズム)とフェミニズムの合体

本書において、キャサリン・ロッテンバーグは、現代社会に台頭する「ネオリベラル・フェミニズム」という現象に警鐘を鳴らしています。

ネオリベラル・フェミニズムとは、従来のフェミニズムが目指した「社会制度の変革」ではなく、「個人の努力による問題解決」を重視するフェミニズムの新しい形です。「女性も頑張れば成功できる」「バランスを取れば両立できる」といったメッセージが特徴で、社会全体の構造的な問題よりも、個人の選択や能力向上に焦点が当てられます。

この新しいフェミニズムの代表格として、フェイスブック元COOのシェリル・サンドバーグの『LEAN IN』や、イヴァンカ・トランプの『Women Who Work』などが挙げられます。

これらの書籍に共通するのは、「女性差別がいまだに社会に残っていたとしても、女性が臆せずに頑張れば、きっとうまくいく」という自己責任論と、「仕事も家庭も諦めなくていい。頑張ればバランスが取れる」というバランス志向です。

仕事と家庭の両立の責任を負わされる日本女性たち

日本でも似たような現象は起きています。

現在、日本では、男性だけの収入では家庭を維持することが難しくなったことや、相対的に貧しい国になってきたことなどに伴って、「女性活躍」「女性の社会進出」が声高に叫ばれています。一方で、家事や育児が女性に偏っている現状は放置されたままであり、男性の家庭参加も少しずつ議論されてはいますが、依然として十分に注目されているとは言い難い状況です。

また、「時短勤務」や「フレックス制度」などの制度は整備されるものの、それを利用する女性には「周囲への配慮」が求められ、結果として個人の努力や工夫で問題を解決することが当然視されています。さらには、働く母親たち向けの雑誌では、「時間管理術」や「効率的な家事のコツ」の情報が飛び交っています。

“完璧に両立している女性像”がメディアで理想化される一方、男女の賃金格差が大きいこと、女性に無償の家事労働が偏っていることなどは透明化されてしまっているのです。

「仕事も家庭も手に入れるために、女性はバランスをとりながら頑張るべき」というイデオロギーは、まさにネオリベラル・フェミニズムそのものでしょう。

ネオリベラル・フェミニズムによって不可視化される女性たち

キャサリン・ロッテンバーグが指摘する最も重要な点は、この「バランス神話」が一部の特権的な女性だけに適用可能な幻想であるということです。

高学歴で高収入の女性がワークライフバランスを実現できるのは、多くの場合、より低賃金で働く他の女性たち、つまりは家事代行サービスの従業員、保育士、介護士らの労働に支えられているからです。

そしてこれらの比較的低賃金の労働に従事している人の大半が女性であるという点にも注意が必要でしょう。ネオリベラル・フェミニズムを信奉することは、女性の解放につながるどころか、一部の特権的な女性のワークライフバランスを維持するために、ジェンダー化された低賃金労働を維持することにもつながりかねないのです。

日本でも同様の構造が見られます。都市部の正社員女性が「両立」を実現する背後には、低賃金で働くことを余儀なくされている保育士や家事代行の担い手たちがいます。保育士の中には、他人の子供の世話をする一方、自分の子供を育てる経済的・時間的余裕がないという人さえいるのです。

政治の道具としてのネオリベラル・フェミニズム

もう一つの問題は、ネオリベラル・フェミニズムが政治利用されがちだという点です。

「自立した女性」というイメージが、「公的支援に頼らず自分で何とかしろ」というメッセージと重なり合い、「女性の活躍」を掲げながら、実際には労働規制を緩和し、社会保障を削減する政策が正当化されることもあります。

女性個人に問題を押し付けないことが重要

以上に見てきたようにネオリベラル・フェミニズムが女性全体を幸せにしないのだとすれば、私たちはどうすればよいのでしょうか。

キャサリン・ロッテンバーグは、フェミニズムを「社会正義のための運動」として再生することの重要性を訴えています。個人の努力や選択の問題として矮小化された女性の問題を、再び社会全体の構造的課題として捉え直すことが必要だ、というのです。

具体的には、働きながら子育てすることの苦難や低賃金を「女性の責任」から「社会全体の責任」へと転換することや、非正規雇用の待遇改善、男性を含めた働き方改革、家事労働に対する意識改革、そして何より、ケア労働に従事する人々の地位向上と待遇改善が求められます。

本当の「選択」のために

“女性が輝く社会”“女性活躍推進”といったスローガンは前向きに聞こえる一方で、その裏側を問い直すことも必要です。しかし、個人の責任に還元された「輝き」の裏で、多くの女性が見えない労働を強いられ、構造的な不平等が温存されているとすれば、それは真の進歩とは言えないでしょう。

重要なのは、女性が本当に多様な選択肢を持てる社会を作ることです。キャリアを追求したい人も、家庭を重視したい人も、その両方を望む人も、それぞれが社会的な支援を受けながら自分らしい生き方を選択できる、そんな社会の実現こそが、フェミニズムの本来の目標ではないでしょうか。

「仕事と家庭のバランス」という美しい言葉に惑わされることなく、私たちは改めて問わなければなりません。誰のための、何のための「女性の活躍」なのかを。そして、真に平等で公正な社会とは何かを。

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