誰が物語を語るのか。「痴漢冤罪を弁護するJK弁護士」が生まれる理由


エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
世の中にはたくさんの物語が溢れている。誰が物語を語るのか。重要な問題だ。
小説家、漫画家、脚本家、映画監督、ドキュメンタリー監督、ドラマプロデューサーなど物語を語ることを仕事にしている人はさまざまな角度から、物語を語る。物語を語る権利は、万人に開かれているようにも見える。
しかし、マスメディアに関していうならば、語り手の多くは圧倒的に男性に偏っている。テレビ局の上層部のほとんどは男性であり、劇場公開された映画の女性監督比率は1割程度しかいない。この偏りは日本だけではなく、ハリウッドでも映像メディアで権力を持っているのは男性であり、メインキャラクターの7割は男性で、男性と女性の俳優では同じレベルの配役であっても、賃金格差が大きい。
女子高生に「痴漢冤罪」を弁護、代弁させる男たち
2024年に放送されたテレビドラマ『JKと六法全書』(テレビ朝日)もそういったメイルドミナントな業界を象徴するドラマだった。
主人公は高校生にして司法試験に合格した女の子。あるエピソードで主人公は、痴漢冤罪を弁護する。『JKと六法全書』の脚本家は2名。ともに男性で、そのうちの一人は弁護士資格を持っている。監督も2名で男性だ。プロデューサーは3名でそのうち2名が男性である。つまり、圧倒的な男性目線で作られたということになる。男女比が逆だったなら、痴漢冤罪をテーマにしようなど、思いつきもしないだろう。なぜなら、女性の多くが、学生時代に痴漢の被害に遭っているからだ。そして、最も痴漢に遭いやすいのが女子高校生だと知っているからだ。
製作者の多くは、女子高生が痴漢のターゲットにされやすいことを知っていたはずだ。痴漢に遭遇しても、訴えられない人は多い。それにも関わらず、痴漢という犯罪を扱うのではなく痴漢冤罪を扱い、被害者になる可能性の高い女子高生に弁護させたのはなぜだろう? それはきっと、痴漢が女性ほど身近ではないからだ。そして、女性の多くが痴漢の被害にあい、その被害を忘れられないでいることを、実感として感じられないからだろう。
本来女性視点が取り入れられるべき痴漢という犯罪について、男性が女性の着ぐるみを着て物語を語ってしまったために、「痴漢冤罪を弁護する女子高生」というディストピア的キャラクターができてしまったのだ。
真実はあなたを自由にする。自分の物語を語り始めたパリス・ヒルトン
自分の物語を他人に語らせたままでいたら、真実を歪められてしまう。実業家のパリス・ヒルトンはそのことを理解しており、「THT TRUTH WILL SET YOU FREE(真実はあなたを自由にする)」という言葉を大切にしていた。
『PARIS The Memoir』(パリス・ヒルトン著 村井理子訳 太田出版)は、そんなパリスが、自らの言葉で自分の物語を語り直した一冊だ。
パリス・ヒルトンといえば、インフルエンサーの走りと言われており、若い頃はお騒がせセレブとして名を馳せた。成功したホテルチェーンのヒルトン一族に生まれ、「苦労を知らないバカでわがままなブロンド娘」というイメージを抱いた人も少なくないだろう。また、セックステープの流出により、性的なイメージと結びつけられることも多かった。
本書では、イメージとは異なるパリスの若かりし頃の日々が綴られている。10代の頃、パリスは学校とは名ばかりの「若者を再教育する」施設(CEDU)に強制的に入れられた。学校にまともに通わない両親が、パリスの将来を心配し、施設に入所させることを決断したのだ。
しかし、CEDUは学校であるかのように装いながらも、その実、子供を虐待する施設に過ぎなかった。パリスはそこで、性的虐待、精神的虐待を含むさまざまな虐待を数年間に渡って受け続けた。施設を出た後は重度の不眠症になり、クラブ通いに熱中するようになった。そこで出会った年上の男性と付き合うようになり、求められて性行為をテープにとることを許した。当時、パリスは10代だった。
セックステープが流出すると、パリスはふしだらな女のレッテルを貼られた。パリスは自分を恥じた。10代の少女のセックステープを撮影し、売り飛ばした大人の男は、何ら罪を追及されることなく、恥も引き受けなかった。メディアでパリスは笑いものになった。「苦労を知らない金持ちのバカな女。セックスが大好きな尻軽」というイメージは一人歩きしていった。
大人になったパリスは、ADHDの診断を受けた。ADHDには、多動で、座っていられなかったり、忘れ物が多かったりする特性がある。それゆえ、学校に通い続けられなかった可能性はあるが、当時はADHDという発達障害の認知度は低く、両親もパリスも気づいていなかった。
また、大人になってから、パリスはアセクシャルという言葉を知った。そして世間が思うセクシャルなイメージとは裏腹に、自分は性的に惹かれた経験がないということに気がついた。知識を得るたびに、自分に付与されたイメージが、自分の真実と距離があることを、パリスは少しずつ確信していった。さらには、CEDUで同じ時期に一緒に過ごした仲間と再び繋がることができたたことで、彼女たちが現在も後遺症に苦しんでいることを知った。今も夜寝るのが怖いのは、自分だけではなかったのだ。自分が語らなければ、CEDUと同様の施設は、これからも運営を続け、自分と同じような子供達を生み出してしまう、そう理解したパリスは語り始めた。
現在、パリスは同じ体験をサバイブした仲間とともに、CEDUのような問題児産業の撲滅を目指して、精力的なロビー活動を行っている。また、起業家、投資家、DJ、そしてホテルのオーナーとしても成功を収めている。事業は香水から調理器具まで幅広く、年収は100万ドルを超えるそうだ。新しいテクノロジーも大好きで、「メタバースの女王」という称号も手にしている。「世間知らずでバカな女」の代表格だったパリスは、今やインフルエンサーの元祖であり、成功した起業家になったのだ。
きっと本書を読んだ人は、パリスのイメージがガラリと変わるだろう。パリスは語る。「あなたの物語を語るのはあなたで、あなたの物語はあなたの想像以上に力がある」と。
この世界には、もっと女性の語る物語が必要だ
誰にでも沈黙する権利があり、語らない権利がある。
パリスはme too運動のきっかけとなったプロデューサーであるハーヴィ・ワインスタインに「スターになりたいんだろ?」と関係を迫られたことがあった。ワインスタインの帝国が崩壊し始めた頃、雑誌記者たちは「ハーヴィ・ワインスタインとは何かあった?」とパリスに問い続けた。パリスは「いいえ」と答え続けた。当時は恥ずかしさを感じていたし、もしその話をしたら、「なぜ当時それを言わなかったの?」と問われることが分かりきっていたからだ。「なぜ当時それを言わなかったの?」。それは、責任を負う必要のない人に対し、責任転嫁をする言葉だとパリスは言う。パリスは当時、沈黙を選び、今、語り出した。
いつ語り始めるのか、それは当事者だけが決められることだ。誰にも強制する権利はない。語りたくなった時、それが語るべきベストタイミングなのだろう。
令和の今も、女性の物語を、男性が語ることは多い。その物語は時に、女性の俳優やキャラクターを通して、「女性の言葉」として流布される。女性の体や尊厳のことも、男性が描いた物語に従って、男性が決める。そういったことが続くと、女性は男性の視点を内面化し、さらに女性視点の物語は減っていく。
だからこそ、語るべきタイミングが来たら、逃してはいけない。この世界にはまだまだ、女性の語る物語が足りていないのだから。
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