恋愛って何?「愛しているから〇〇する」のリスクについて考える

 恋愛って何?「愛しているから〇〇する」のリスクについて考える
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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「恋愛」とは、何だろうか。

その答えは、時代や文化、人によって異なり、普遍的な定義はない。定義が変わり続けているのだとしたら「恋愛なんて本当にあるの?」とも思えてくる。その時代ごとに、都合のいい関係に「恋愛」というラベルを貼り付けただけなのでは? 

しかし同時に、多くの人が「恋愛」としか言えない感情に取り憑かれ、多幸感に満たされたり、拒絶され絶望したりしているのもまた事実だ。

関西外国語大学英語国際学部准教授・戸田洋志著『恋愛の哲学』(晶文社)では、7人の哲学者たちが考える「恋愛とは何か」が紹介されている一冊だ。今回は、本書を参考に、「恋愛」とは何か、そのリスクについて考えてみる。

ロマンティック・ラブ・イデオロギー。結婚に至る異性愛こそが本物の恋愛

現代社会において最も大きな影響力を持っているのは、ロマンティック・ラブと呼ばれる考え方だ。

ロマンティック・ラブとは、「恋愛」を結婚へ至る過程として理解する恋愛観だ。ロマンティック・ラブ・イデオロギーにおいては、恋愛し、結婚し、出産することこそが幸せな恋愛の完成系だとされている。

こういった恋愛観は、現在日本においてメジャーなものとみなされているが、歴史的にみるとそれほど古いものではなく、西洋において近代に出現したものだ。

また、「ラブ」の概念は、明治時代に日本に入ってきたものであり、高度経済成長期に浸透し市民権を得たものであり、歴史は浅い。当然、ロマンティック・ラブは唯一絶対の恋愛観ではなく、さまざまな問題も含んでいる。

例えば、ロマンティック・ラブは、恋愛・結婚・出産の三位一体を理想としているが、それゆえに、同性愛は考慮されていない。ロマンティック・ラブの概念は、異性愛のみを恋愛の正しい在り方として規定するものなのだ。

古代ギリシャの恋愛は、年長の男性が少年を愛する同性愛

一方、男性による同性愛こそが「恋愛」だとされていた時代もあった。

古代ギリシャの「恋愛」とは、年長の男性がさまざまな駆け引きによって、美しい少年を口説き落とす営みを指していた。そこでは、「恋愛」は結婚へと至る道ではなく、むしろ、結婚とは無関係な家庭外の営みだと考えられていたのだ。

また、この時代の「愛する」は地位の高いものが、若い男性に対して行うものであり、その逆はあり得なかった。つまり、この時代の「恋愛」は、地位の高いものが「愛し」、地位の低いものが「愛される」という非対称な関係に基づいたものだったのだと理解されていたのだ。

この「恋愛」において、相手を「愛している」のは年長者だけであり、少年はあくまで獲物的ポジションだ。年長者は、自分の性欲や征服欲を満たすための快楽の道具として少年を扱っていた。

つまり、「恋愛」という名のもとに、公然と暴力がまかり通っていた、ということになる。

恋じゃねえから。恋愛の元に行われる暴力・搾取

現代日本で、「恋愛」を年長者の男性が少年を愛することだと定義している人は稀だろう。しかし、「恋愛」という名前の元に、さまざまな形の暴力や搾取が隠蔽されているという事態は、現代も変わらない。

2024年末に完結した渡辺ペコ著『恋じゃねえから』(講談社)は、「恋愛」という言葉が隠蔽する暴力に光を当てた作品だ。主人公のかつての親友・紫は、14歳だった当時、男性教師・今井と「恋愛」をしていた。教師はそれから数十年後、彫刻家となって、紫の裸体の写真をもとに、美しい彫刻作品「少女像」を作り上げる。

物語が進むにつれ、14歳の少女が、非対称な関係を「恋愛」だと思い込んでいたことが明らかになっていく。10代の子どもが、大人と対等な関係を築けるのか、そこに搾取はなかったのか、『恋じゃねえから』は「恋愛」という名前の元に行われる暴力の巧妙さを炙り出す作品だ。

ただの暴力を恋愛と勘違いしないために

「恋愛」という名の元に暴力が振るわれていたことに気づき、「あれは、恋愛じゃなかった」と認めるのは、簡単ではない。

例えば、10代の未成年の少女が仕事場で30代の男性と親しくなり、同意のもと性行為をしたとする。そして、二人が結婚した場合、この二人の関係は「恋愛」なのだろうか。ロマンチック・ラブ・イデオロギーにのっとって考えると、ふたりは祝福されるべき「恋愛」を成就させたことになる。

しかし、この「恋愛」はグルーミング(大人が未成年と親しくなり、信頼関係を築いた上で性行為などを行う)と何が違うのだろうか。

『恋愛の哲学』で戸田は、恋愛について思考することが必要な理由を以下のように述べている。

「私」が実践しているのが、本当に恋愛なのかを、問い直さなければならない時があるからだ。なぜ、問い直すことが必要なのか。それは、私たちが本当は恋愛ではないものを、恋愛だと思い込むことがあり得るからだ。私たちは、場合によっては、ただの暴力でしかないものを、愛と勘違いするかもしれない

「恋愛」は時に人から判断能力を奪うものだ。何が「恋愛」かを定義すると同時に、「恋愛という名前の元に、どのような暴力が隠蔽されているのか」も考える必要があるだろう。

漫画などを通して、私たち大人は子どもたちに何が「恋愛」なのかを繰り返し教えている。「恋愛」の美しさ、楽しさを喧伝している。しかし現実には、女性の6人に1人がデートDVを受けているという実態もある。(※1)。子どもたちを守るためにも、「恋愛」の名前の元にどのような暴力が起こり得るのかを考え、伝えていく必要があるだろう。

※1 NHK首都圏ナビ

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