「ケアする男はかっこいい」の時代到来?ケアの価値を再考する

 「ケアする男はかっこいい」の時代到来?ケアの価値を再考する

エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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ケアは、何かと女性と結びつけられやすい。育児、家事、介護、保育といった分野は、「女性ならではの思いやり」を発揮でき、女性に向いている仕事だと思われがちだし、共働きであっても女性の方が家事・育児時間は多くなりがちだ。

ケア役割は、今後も女性が担っていくことになるのだろうか?

女性は「与え」、男性は「受け取る」。ケアを与えない女はバッシングされる

哲学者のケイト・マンは『ひれふせ、女たち ミソジニーの論理』(慶應義塾大学出版会)において、女性はケア役割を期待されている、と述べている。

曰く、「女性がケアを与え、男性が受け取る」という性別役割があり、女性が「与える」役割から逸脱した場合、嫌悪(ミソジニー)の対象になるという。ケイト・マンによる、女性が与えるべきとされているものと、男性の取り分だとされているものは以下だ。

★“女性が与えるべき”とされているもの

注意、愛情、賞賛、同情、セックス、子供(つまりは、人づきあい、家事、生殖、そして感情に関する労働)、加えて、安息所、養育、安全、安心、快適などの混合的財。

★“男性の取り分”とされているもの

権力、威信、公的認知、名声、メンツ、尊敬、金銭、およびそのほかの形式の富、階層的地位、上方への可動性、等級の高い女性の忠誠、愛、献身などを所有することで付与されることになる地位。

女らしさとは「与えること」、男らしさとは「受け取ること」という性別役割は、男性に都合が良すぎるのでは? と思われるかもしれない。

しかし、そもそも、これらの「らしさ」は家父長制のもとで形作られたものなので、男性が得をするような構図になるのは、ある種、自然なことだったのだ。

これはアメリカ社会における「女らしさ」「男らしさ」だが、日本にも当てはめることができるだろう。「子供がいるのに」外で働いたり、恋人を作ったりする女性がバッシングの対象になったり、「子供はいらない」という女性がワガママだとラベリングされるのは、全て「与えるべきケアを行なっていない」からなのだ。

ケアするヒーロー続出

ケア役割は女性に偏っており、それゆえに、低く見積もられている。保育士、看護師、家事代行などが、その業務の重さに比べて賃金が低いことは有名だ。知人の弁護士は、妊娠し、主婦業をメインにするようになった途端、周囲から低く見られるようになったと告白している。「弁護士をしていたので、落ち着いたら復帰するつもりです」と言うと、相手の表情が変わるとか。ケアは必ず必要なものであるにも関わらず、侮られがちな仕事であることは事実だろう。

しかし、近年、ケアの価値は向上しつつあるようにも見える。

堀越英美著『親切で世界を救えるか ぼんやり者のケア・カルチャー入門』(太田出版)では、性別に関わりなく「ケアできる人=かっこいい」の時代が訪れていると示唆している。

著者は“最近「ケアする者」の人気が非常に高くなっているのを感じる。かつてアスリート、ミュージシャン、俳優、作家、お笑い芸人といった人々は、人を人とも思わない振る舞いで天才性をアピールしていたところがあるが、最近は皆他人への気配りがしっかりできる人が多い”とし、子どもたちの間でもケアの価値が変わってきていると述べる。

ベネッセコーポレーションが2020年に小学3年〜6年生を対象に実施した「小学生が選ぶ!2020年 憧れの人物ランキング」のランキングを見てみよう。

1位 竈門炭治郎(618票)

2位 お母さん(393票)

3位 胡蝶しのぶ(315票)

4位 先生(229票)

5位 お父さん(171票)

憧れの人、堂々一位にランクインしたのは、『鬼滅の刃』の主人公竈門炭治郎だ。炭治郎は、弟妹や家族、仲間をケアする優しいヒーローだ。また、『鬼滅の刃』の数いる女性キャラクターの中で、胡蝶しのぶが一番人気だというのも興味深い。強い女性キャラ、華やかな女性キャラなら他にもいる。胡蝶しのぶは「柱の中では唯一鬼の首が斬れない剣士」であるにも関わらず、その面倒見の良さ、優しさ、ケア能力ゆえに、人気が高い。胡蝶しのぶはケアする女性といっても、運動部の女子マネージャーのように健気に裏方に徹するタイプではない。ケアの原動力は、敵に対する怒りであり、従来の「女らしさ」とは異なるものだ。

このようなキャラクターへの共感、憧れは、「ケア=女性役割」と言う性別役割に基づいたものではない。むしろ、「性別関係なくケアできる人は憧れる」という価値観に基づいたものだろう。

近年、ケアできる男性を魅力的に描く作品は、大人向けのものも増えている。例えば、『愛の不時着』では料理を作ってくれる男性を魅力的に描いていたし、『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』では、弁護士の主人公をサポートするパラリーガルの男性が魅力的な相手役として描かれていた。

ケアができる人がかっこいい、魅力的だという価値観は、広まりつつあるのだろう。

ケアの価値を再考する

性別問わずケアできる人は魅力的だ、という流れは確実にある。とはいっても、いまだに「ケア=女性がするもの」という性別役割は瓦解していない。それゆえ、ともすると、女性だけが無償のケアを求められ、搾取される場面もある。

例えば、『はなちゃんのみそ汁』(文春文庫)では、母親が亡くなったことで、5歳のはなちゃんが毎日父親のために味噌汁を作っていたという実話が“美談”として描かれていた。もし、はなちゃんが男だったら、毎日味噌汁を作らされていただろうか? 本来、ケアされるべき存在である幼い子供が、毎朝ケア労働をさせられたことを美談だと思えるのはなぜだろう? 

ケアは、しばしば「美しい物語」として、その裏にある差別や搾取を覆い隠す方便として使われる。そのように使われる限り、ケアの価値は、貶められたままになるだろう。

言うまでもなく、ケアは全ての人にとって必要なものだ。ケアの価値を再考するために、ケアに対する偏見やスティグマを見つめ直し、ケアを再評価する必要があるだろう。

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