映画『サブスタンス』から考える「女性にアンチエイジングを強いるのは一体誰?」という疑問
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
注意:本記事は映画『サブスタンス』のネタバレを含みます。
コラリー・ファルジャ監督、デミ・ムーア主演の映画『サブスタンス』を観た。本作は、若い頃に脚光を浴びた女性俳優エリザベス・スパークルが、加齢によって職を失い、「より良い自分になる」ために「サブスタンス」と呼ばれる謎の注射に手を出すという、ルッキズムやエイジズムをテーマにしたホラームービーだ。
エリザベスは、注射を打つことで、「若く美しい理想的な」ルックスのスーを生み出し、失った仕事を取り戻すことに成功する。しかし、若さに執着し老いを嫌悪した結果、モンスター化することになる。
美しさに拘るがあまりに人体改造に手を出して、モンスター化するというプロットは、岡崎京子の漫画『ヘルター・スケルター』と同じだ。しかし、個人の美の執着に焦点を当てる『ヘルター・スケルター』と異なり、『サブスタンス』は、社会構造に光を当てている。
「外見にこだわりすぎるバカ女」を生み出しているのは誰か
世の中には、「自分の外見にこだわりすぎる女性」「若作りしている女性」をバカにする風潮がある。映画やドラマでは度々「自分の外見にこだわりすぎる女性」が女性キャラの典型的なひとつの型として描かれてきた。例えば、M・ナイト・シャマラン監督映画『OLD』では、鏡ばかり見ているブロンドの若い女性が登場する。彼女は、まるで外見に囚われすぎた罰のように、酷い死に方をすることになる。
『サブスタンス』もエリザベスが鏡を見ているシーンが多い。しかし、本作を見た観客はエリザベスを外見に囚われたバカな女だと思わないだろう。なぜなら、本作では、エリザベスが鏡を何度も確認し、自らの容貌に不安を抱く理由が克明に描かれているからだ。
エリザベスは、年齢を重ねたことで、長年出演していたエクササイズ番組の男性プロデューサーから、クビを言い渡される。エリザベスは加齢によって、居場所を失ったのだ。
テレビに居場所があるのは「若い女性と中高年男性」
女性が加齢によって画面から消されることは、日本でも起こっている。
テレビ出演者8480人を対象にした調査(※1)によると、テレビ出演者の割合は6割が男性、4割が女性だった。
特筆すべきは、女性の出演者で一番多い年代は20代であり、30代以降、右肩下がりに減っていく一方、男性の出演者は、20代、30代、40代と右肩上がりで、もっとも多い出演者が40代だという点だ。
バラエティーやニュース、ドラマなどでも、「若い女性と中高年男性」のペアはデフォルトであり、あまりに定番の組み合わせなので誰も疑問を抱かないほどだ。例えば、テレビドラマ『VIVANT』(2023)の男性主人公が思いを寄せるヒロインポジションの女性は主人公の20歳年下だが、このような配役は珍しくもない。
このような男女差が生まれるのは、女性を値踏みし、序列をつけて評価する権力者に高齢の男性が多いゆえだろう。
『サブスタンス』はこの点を映像でこれでもかと描いている。エリザベスに「歳だから」とクビを言い渡す男性プロデューサーは、エリザベスより高齢だが、自分の容貌について頓着する様子がない。このような権力格差や社会規範が存在するのは、映像業界だけではないだろう。
弱者は強者の価値観を内面化する
エリザベスは、男性プロデューサーの「女性は若く、美しくなければ価値がない」という価値観を内面化し、それゆえに苦しむ。
上野千鶴子は『アンチ・アンチエイジングの思想 ボーヴォワール“老い”を読む』(みすず書房)において、エリザベスのように弱者が強者の価値観を内面化するケースは珍しくない、と述べている。
アメリカのエスニックマイノリティの研究によると、マイノリティ集団の人々は、ホスト社会のマジョリティが持つマイノリティについてのイメージを内面化する傾向がある、と上野は記す。マジョリティから付与されるネガティブな第三者イメージは、当事者に内面化されてネガティブなセルフ・イメージになるのだ。
例えば、白人優位の社会において、黒人が「性欲が強くて、ずるがしこい人」と見做されると、彼らはそのイメージを内面化して自己否定するか、あるいは戯画的に演じるか、もしくはそれに反発してマジョリティに過剰に同一化しようとするのだという。
エリザベスは高齢男性であるプロデューサーや番組の株主の持つ「女性は若く美しくなければ価値がない」「美しい女性は常に笑顔であるべき」という価値観を内面化している。それゆえに、若さを失った状態に耐えられないのだ。
上野は「あらゆる差別のうちで、第三者による差別以上に辛いのは、自己差別に違いない。なぜなら他の誰が自分を責めるより以前に、自分が自分を受け容れることができない、つまり自己否定感から逃れられないからである」と書く。
エリザベスは上野が言うもっとも辛い差別を自らに行っている。それゆえ、かつての同級生の男性から、「君は今でももっとも美しい女の子だ」と称賛され、デートに誘われても受け入れられず、自分は美しくないと思い込むのだ。
老いから逃げられる人は誰もいない。適度なアンチエイジングのためにできること
自分の外見を好きでいるため、若々しくいるために、体を鍛えたり美容医療にトライしたりすることは何の問題もない。
しかし、自己否定の沼に落ち込まないためには、権力者目線の性差別や年齢差別を自分に対して行っていないかも気にかける必要があるだろう。
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